曾我廼家五九郎物語
曾我廼家五九郎(そがのや ごくろう、明治9年4月12日 – 昭和40年7月7日)は、日本の喜劇俳優である。曾我廼家五九郎丈のお墓は徳島県の吉野川市にあり、地元では「ごくろうさん」と親しまれている。そのお寺から仕事をたのまれた。正確に言うと、お寺のパンフレットを印刷している印刷会社から。もっと正確に言うと、その印刷会社の社長さんの妹さんから。どこかでわたしを見つけてくださったようだ。曾我廼家五九郎丈はノンキナトウサンの映画で一世を風靡した人で、彼の五九郎一座には若き日の伴 淳三郎もいた。お寺発行のパンフレットの曾我廼家五九郎丈の一代記を描いたので今日はそれを載せます。その可笑しささは東西演劇界随一!日本の喜劇王、曾我廼家五九郎一代記のはじまりはじまり〜!明治九年、四月十三日。武智故平は父、亀之助三十七歳、母、ミヤ十六歳の長男として産まれた。家は養蚕農家で故平少年は薪をひろって家の手伝いをした。貸本屋で政治小説を借りてはよく読んだ。夢は政治家であった。青年になった故平は東京に出て壮士劇に加わった。壮士劇とは政治理念を芝居仕立てにして演じる劇である。しかし、140センチそこそこの小さい体では、いっこうにいい役がもらえない…。生活は妻のキヨにもっぱら支えられていた。明治十四年、大阪から来ていた曾我廼家五郎・十郎一座に入門。「曾我廼家五九郎」の誕生である。
当時、東京には喜劇の一座がなかった。三年後に独立して「五九郎一座」を旗揚げする。最初はうまくいかなかったが、ついに浅草で大成功!永井荷風は「あんな面白いものをよくひと月に六本も出せるなぁ」と感心していたほどである。五九郎の人気を決定づけたのは麻生豊の漫画「ノンキナトウサン」の舞台化である。その後、映画にもなり人気は絶好調!巨万の富を築いた爆笑王の快進撃はまさにここにきわまれり!元が弱きを助ける政治青年。関東大震災の時には、私財を投げうち支援した。お金、お菓子、日用品をいれた「笑い袋」を罹災者に配ってまわった。世界恐慌、満州事変…世の中が暗くなる一方でも。五九郎は喜劇に命を削った。しかし…二・二六事件の年に、高血圧で倒れる。五九郎は昭和15年、七夕の日、六十四歳の生涯を閉じた。浅草にはノンキナトウサンの碑が立っている。「あなたはちいさな体に、大きな希望をいだいた。ご苦労さまといわれ、その言葉を芸名にした…」と刻まれている。
五九郎一代記これにておしまい!
※当ブログの五九郎一代記のキャプションは、お寺発行のパンフレットの文章とちがっているかもしれない。たぶん違っている。なぜなら、パンフレットはずいぶん前に送ってもらったが、ごちゃごちゃの部屋の中にまぎれてしまって、探し出すのが困難で確認できず…。そういうわけで、あしからず。