卒業
早いもので小説すばるで連載中の「ぼくの神保町物語 イラストレーターの自画像」も、もう6回目。当時の年齢でいうと28〜29歳のあたり。西暦でいうと1999年〜2000年。今回のタイトルは「卒業」ということで、居心地よすぎて、ずっといたかったセツ・モードセミナーからの卒業を書いています。卒業というか、セツ先生が突然亡くなっちゃったんです。自転車でコケて。ぼくに最後にかけてくれた言葉は「お〜い!おとーさーん」でした。なんだそりゃ。しかし、もう17年前の話か……。今回の枕は、駿河台の丘について書いています。歌川広重と宮田重雄の絵から、御茶ノ水を見てみると……。1999年、最後の大原スケッチ旅行。先生は、自転車で移動中に転んじゃったのです。いくら元気でも80過ぎたら自転車に乗るのはあぶないね。
今の小説誌ではほとんど見開きの挿絵がないので、毎回無理やりにでも入れています。御茶ノ水界隈にあった文化学院。ここは長沢節の母校でもあります。今は、文化学院自体がここにない。
作文するにあたって、文化学院の創設者、西村伊作の評伝、黒川創著「きれいな風貌」を読んだのですが、長沢先生が通っていたのは、ちょうど校舎を建て替えている頃かな?というのは大正12(1923)年に関東大震災で一度壊れてしまって、その後、とりあえず簡単な校舎を建てて再開、挿絵に描いた校舎は昭和12(1937)年の完成。長沢節の入学は昭和10(1935)年だから、先生がいた時はずっと工事中だったかもしれない。