美術時評3本
「芸術新潮」で連載中の藤田一人さんの「わたし一人の美術時評」の挿絵を3回まとめて載せます。この連載は毎回何を描くか非常に難しいのですが、この難しさが楽しいのです。
この回では「国立美術館」のあり方が問題になっていました。コラムには「コレクションとは単なる作品の集積ではなく、一つの価値の体系。国立美術館の場合、その背景には国家的、公共的な価値観、美意識というものが共有されなければならない。」とありました。ちょうどその時は国立新美術館で「陰影礼讃―国立美術館コレクションによる」が開催されていました。私は見てませんが、その展覧会では公的な美術観が問われていたのでしょうか?これをどうして絵にするか悩んだあげく、坂本龍馬、岩崎弥太郎、西郷どんの3人が展示を観て一言感想を漏らした、という表現にしてみました。
第4回、『老いと芸術』ではこんな絵を描きました。この回では「老い」がテーマでした。コラムの中には登場しませんが、「老い」と聞いて思い出すのは、熊谷守一。売れたのは60歳をすぎてからです。とにかくよく我慢しました!カラスが頭にとまっている写真を見たことがありますが、自然の一部になりきった守一の心境を表しているかのようでした。(単に飼っていてとてもよくなついていたのかもしれないが…。)コラムの内容を絵にしたというのではありませんが、なんとなくニュアンスで描きました。
第5回、『出世の道も国次第』ではこんな絵を描きました。かつては日本の芸術家達は、有力美術団体展の大臣賞、その後、日本芸術院賞をとって、文化功労賞さらに文化勲章へと上りつめる出世コースがありました。思えば異端児、岡本太郎でさえ「二科」に所属していたわけだし、世間でも有名な画家はどこかの団体に所属していました。今の人気アーチスト達でそういう団体に所属している人は少ないと思いますので、このコースが変わってくるのも自然なことでしょう。山下清は勲章をもらってませんが、もし勲章をあげると言われても、きっとこう言うんじゃないかな、と思って登場願いました。我ながら表情が抜群の出来です。
(3点の画像はクリックするとクッキリ鮮明に見えるでしょう。パソコンによってはどうかわかりませんが。)