絵を楽しむ最上の方法
私はラジオを聞きながら絵は描けますが、ラジオを聞きながら文章は書けません。絵と文章では頭の使う部分が違うというのがよくわかります。
でも総合芸術である映画を観るときに、頭を使い分けている意識はまったくありません。映像を見て、音や音楽を聞いて、字幕を読んでいる。その映画がものすごく面白くて感動をした場合でも、実はそれほど頭は使ってないのではないかと思います。
私は一流の芸術に触れるよりも、自分でヘタな絵や楽器や作文をやっているときのほうが有意義に感じるのですが、やっぱり自分の体験として頭も感覚も使うからでしょうか。
極端なことを言ってしまえば、絵は見るよりも描く方が絶対に面白いと、思うのです。世界にはもう見切れないほどの名画が存在していて、わざわざ駄作を作る必要はないのに、描いてしまうのはそういうことでしょう。
歌舞伎座で歌舞伎を見るより、田舎の村歌舞伎に自分で出演する方が楽しいところがあるはずです。でも、見る方はしょーもないものを見せられるのはたまらんものがあります。でも、自分でやってみたら、ただ鑑賞している時よりも理解が違ってくると思います。
さて、絵が好きだ、絵を描くことが好きだ、という素朴な気持ちから出発した私の絵描き人生も、プロのイラストレーターを目指してしまったせいで、鑑賞者と実作者に生活者が加わり、絵が人生を左右する局面に至ります。あぁ、絵を描き続ける限り貧乏なのは致し方ないことだ、とあきらめと踏ん切りがついた30代前半……ちょうどその頃のことが書かれているのが今月の「ぼくの神保町物語 イラストレーターの自画像」(小説すばるで連載中)なのです。
もうここまでくると、絵の楽しみ方としては最上級の段階に達しています。なんつったって、絵に必死にしがみついて生きるより他ないんですから。
今回は2003年〜2005年あたり。私は2003年にHBギャラリーで「人の間」(ひとのあいだ、って読むんですよ、にんのげん、じゃないっすよ)という初個展をやります。その頃バイト先の神保町の街は再開発で、大きく変わろうとしていました。ちょうど通称「神田村」と呼ばれる本の取次店が密集していたあたりに二つの高層ビルが建ったのが2003年でした。
南伸坊さんはこの物語にもいずれ登場願いますが、このカットは唐仁原さんの思い出の中の伸坊さん。この時は私もまだお会いしていません。