伊野孝行のブログ

女もすなり益荒男日本史1

すでに終わった連載の絵を載せまする。UCカードの会員誌「てんとう虫」で連載されていた泉秀樹さんの「女もすなり益荒男日本史」に付けていた絵です。

歴史の中の女性に焦点を絞った内容でしたが、女性の肖像画というのがほとんど残ってないので、多くは私の想像です。
築山御前%e7%af%89%e5%b1%b1%e5%be%a1%e5%89%8d
徳川家康の正室、瀬名(築山御前)は今川義元の姪であった。夫、家康につれなくされても「独り寝のさみしさに床は涙の海になって大船も浮かびます」という恋文を出していたそうな。しかし、二度にわたる家康の冷たい態度に心変わりし、策謀をめぐらし、家康をおびやかす存在になった。でもバレちゃって斬首されちゃうんだって。かわいそうに。
ぼくは時代物の絵を描いてるくせに、歴史の知識が乏しかったりするんで、「真田丸で斉藤由貴の演じているのはなんて人なんだろう?」と思って調べたら、阿茶局という人だった。
ねね%e3%81%ad%e3%81%ad
「女もすなり益荒男日本史」という連載だけど、その昔「女太閤記」というNHK大河ドラマがあった。1981年の放送というから、ぼくが10歳の時だけど、よく見てた。西田敏行が演じる秀吉が好きだった。主人公のねねは佐久間良子。あとの配役は全く覚えていないが、調べれば信長は藤岡弘だったみたい。当時は学校の図書館で信長、秀吉、家康の伝記を借りて熱心に読んでたし、自分が馬に乗っているイメージで手は手綱を持つ仕草、足は馬がパカパカ走る様子を真似て、校庭を走っていたら「なんちゅう走り方しとんの?」と級友に笑われたものである。ところがぼくの戦国ブームはその時で終わったしまったので、知識はあの時代のままで止まっている(この話前にも書いたかも……何しろそれくらいしかネタがないんで)。大河ドラマを熱心に見てたのは1980年の「獅子の時代」から1982年の「峠の群像」までで、それ以降はま〜ったく見ておらず、「真田丸」で実に久しぶりの大河鑑賞をしている。知識が子供の時のままなので、知らないことがいっぱいあります。
生駒吉乃
織田信長の妻。吉乃は豪商の娘で、土田弥兵衛という人に嫁いでいたが、夫は戦死し、その後信長に気に入られて側室となる。信長よりも10歳ほども年上の未亡人。信長を一流の武将に育て上げ、その英傑の子を三人産み、時代を支えた女性である。ちなみに生駒家ではいつも食客を抱えていて、その中に居たのが秀吉。吉乃の口添えで清洲城で取り立てられることになる……ということが本文には書かれておりました。
千代%e5%8d%83%e4%bb%a3
身の丈以上に順当な出世をした山内一豊。といっても大河ドラマ「功名が辻」も見てないし、奥さんが良く出来た人だというくらいしか知らない。「山内一豊の妻」の名は千代ともまつとも伝えられているそうだ。一豊は信長主催の御馬揃え(軍事パレード)に出たいがいい馬がない。ちょうど馬喰が駿馬を売りに来た。あいにくお金がない。その時、妻の千代は持参金を気前良く差し出した。一豊は御馬揃えで堂々たる姿を披露し、信長の目に止まり出世の糸口になったとか……ということが本文には書かれておりました。絵を描くときに画像検索していたら、小林清親が描いた絵が出てきた。……パクってます!yamauchi_katsutoyo_and_his_wife
1年分、一気に載せようかと思ったけど、疲れたからこの辺でやめます。
ちなみに今日はぼくの誕生日ですが、他人の誕生日を全く覚えられず、お祝いしてもらっても全然お返しできません。だから無視してください。しかしこんな蒸し暑い誕生日は今まで経験したことがありません。