青木繁ゴーマン人生
先週発売されたばかりの「芸術新潮」は青木繁特集。青木繁といえば教科書で『海の幸』という絵を誰もが一度は目にしたことがあるはず。28歳8ヶ月の短く激しい人生だった。早死にだったらしい、くらいは知ってはいたけど、こんなゴーマンな男だとは知らなかった!若くしてその才能を認められた青木繁は(漱石も褒めていた)、さらに「オレ様」に拍車をかけて、美術界のアレキサンダー大王にまで昇り詰める予定であったが、そのあとすぐに転落人生が待っていた。父親の死をきっかけに実家のある九州へ。母親との決別。病気。貧乏。放浪。絵以外のものはどーでもいいんじゃー!と言ったかどうかは知らないが、あっけなく命もなくしてしまった。今回、角田光代さんがゆかりの地を訪ねて、「青木繁 その人と出会う」を書いておられます。それを読むと短いゴーマン一代記の裏に隠された悲しさに心を動かされます。で、私はゴーマンバリバリオレ様名言集を担当しました。
挨拶するときやお辞儀するときは、ふつう頭を下げるものだが、青木繁は逆に頭を上げてそっくりかえって返答した。石原慎太郎もそうだけど、とにかく威張って反り返っている人には、誰かが後ろでつっかえ棒を添えてあげたほうがいいかも。同級生の熊谷守一が、絵に意見を言ったらこう返した。「うん、そのうちに、君もオレのように描けるようになるさ」熊谷守一は青木繁とは正反対の人生だった。長生きしたし、売れたのは六十過ぎてから。あと、友達の絵の具を勝手に使って「あれがかくより、オレがかいた方がいいのだ」と言ったり、勝手に友達の絵に加筆したりもしたそうだ。「骨格がよくて、別嬪で、教育があって、品性がともなっていて、巨万の持参金があって、僕の絵具の掃除を嫌がらなければ、別に邪魔にもなるまいと思うから(嫁を)貰おうかしら」とお嫁さんの理想を語った。
他にも色々あるけど、ぜひ「芸術新潮」でお読み下さい。いやー、でもお辞儀を天に向かってするなんて、これはギャグかな?もともとゴーマンな人であったとは思うけど、ところどころサービス精神も感じるなぁ。ってことはまわりからは憎みきれなくて愛されていた人であった。長生きしたらどんな絵を描いて、どんな人になってただろうな。