長沢節と美少年
※このブログは自分礼賛、自慢話をするために開設、更新されております。
あなたは美少年、もしくは美少女と呼ばれたことがありますか?
わたしはあります。ただ一人の人だけに。
美少年……なんて心をうっとりさせる甘美な響きでしょう。
でも、わたしは世間一般で言うところの美少年とは程遠い顔です。
そういえば、小さい頃、全盛期の郷ひろみがテレビに映るたび、「あんたの方が男前やに」と母親はわたしに言い聞かせていたので、小学校の高学年くらいまでは全くコンプレックスも持たずに育ちました。
単なる親のひいき目に過ぎなかったことは、思春期になって、他人をよく観察しだすと一目瞭然なのでした。
デコチンで眉毛がぼんやり薄く、目も小さいし、美しい鼻梁があるわけでもなく、たらこ唇で……と数え上げればきりがなく、おまけに中学に上がると度の強い眼鏡をかけるようになり、顔じゅうにはニキビができて……高校生になって念願のコンタクトレンズにして、ニキビもおさまりましたが、それでも地味な顔であることには変わりありません。ところが、大学卒業後、セツ・モードセミナーに入学すると、事態は急変!なんとわたしは美少年と言われたのでした。それも世界中の美少年と美少女しかモデルに選ばない画家、長沢節にです。
長沢節好みの美少年とは?
ちょうどわたしがセツに入学した頃、地下鉄サリン事件が起こり、連日テレビにはオウム真理教の幹部たちが出ていました。
カリスマ校長であった長沢節先生は「セツがオウムみたいだって言ってる人もいるらしいよ。プッ!バカみたい」と生徒たちが腰かけているテラスのベンチにやってきて、生徒の耳をひっぱって笑っていました。
そして「麻原はブタみたいだけど、幹部はみんなカッコイイね〜」と言うのでした。
映画の本も何冊も出している先生には、ひいきの俳優がいるわけですが、例えば日本人で言うと、寺田農や小倉一郎といったところが先生の好みなのです。トシちゃんもいいと言っていました。
顔の好みもあるのかもしれませんが、なんと言っても、それ以前にゴツゴツとした骨美や華奢で筋ばった肢体を持っていることが条件なのです。長沢節好みの美少年とは顔じゃなくて体のことだと言っても過言ではありません。ちなみにヴィスコンティの「ベニスに死す」に出てくる美少年アンドレセンみたいなのは気持ち悪くて嫌いだと言ってました。
この辺りが世間の美少年観と大きく違うところです。「あなたはセツに行ったらきっと長沢先生に気に入られるわよ」と友人に言われてセツに入ったものの長沢先生に見向きもされなくてがっかりして学校辞めちゃった美少年が今までに何人もいた……らしいですが、きっと彼らはいわゆる美少年だったのでしょう。入学を推薦した人も誤解をしています。男らしい筋肉隆々とした肉体美とは程遠い、貧素な体がセツでは神に選ばれし肉体ということになるわけですから、わたしのコンプレックスなんかいっぺんに吹き飛びました。絵を描くことを教わったという以上にわたしは人生を救われたのです。
……という出来事が今から20年前にありました。セツでモデルのバイトをしていたことも今は昔の物語です。53キロだった体重も今では7キロも増え、天国の長沢先生にあわせる体がありません。死ぬ時には体重を元の53キロに戻しておかねばなりません。
先日、展覧会に行ったら私がモデルをした絵が5点も出ていました。
1点くらい出てたらいいなぁ、とは思っていましたが、予期せぬ大漁に「あ、これオレ!」「ねぇちょっとこっち来て、これとこれとこれとあれもオレ!」と一緒に行った友人たちに自慢しまくりました。
一緒にいた友人の中には長沢先生最後の大お気に入り美少年(先生のお別れ会で弔辞も読んだことのある)村上テツヤ君もいました。彼のデッサンは1枚も出ていない。わーははは、勝った……!と思いましたが、まぁ、これは学芸員さんのチョイスなので、長沢先生が選んだわけではありません。しかし気分がいいものです。
わたしはチビなので、長身の人がポーズを取った時に出るダイナミズムが自然には生まれません。だからポーズにはいろいろな工夫をしました。なるべく360度どこから見ても、描きたい体の線が発見できるよう、部屋の姿見で研究したものです。
「お!いい線でてるぞ!描かなきゃ損だ!」と先生に言われたくて必死に頑張りました。
先生は一回の授業で、普段は2、3ポーズ、興が乗れば5、6ポーズもデッサンをとります。そしてデッサンを自慢げにパチンパチンとマグネットで黒板に止めて教室を出て行くのですが、わたしはなるべく先生が描く枚数を多くしたかったのです。とっておきのポーズは先生が教室に現れてから披露しよう、などと考えていました。ワンポーズ10分なのですが、大きく体をひねったり、腕を上げたりすると、体が悲鳴をあげて、プルプル震えがくるのです。でも先生のために頑張りたいのでした。
それが立派な長沢節信者のとる行動でしょう。ま、先生が教室にいないときでも頑張ってましたけどね。
ちなみにポーズの良し悪しは、自分がデッサンを描く側に回るとよくわかるのです。
〈(前略)服装は女と共通のTシャツと白いコットンパンツだ。ボトムのすそをまくり上げて、女より細い脚からは思いがけなくもすね毛が生えてるので驚いた。それが骨の鋭さと妙にマッチして、とてもセクシーだったのである。
今までの行儀のいい男なら、人前でこんな格好をしないだろうに、この男は自信に満ちてスニーカーのかかともふんづけていた。
切れるような細長いアキレスけんを誇示してるのだろうか?とがったくるぶしの骨とでつくりだす溝の谷間の陰影が深く美しい。
今まで気付かなかったが、アキレスけんへ続く玉ネギみたいなピンクのかかとというものが、こんなに魅力的なものだったとは!いきなり触ってしまいたいほどのかわいさではないか!
もしここに靴ダコでもできてしまったらもう大変……。パウダーやアイシャドーをうまく使って、丁寧にメーキャップした方がいいと思う〉
(『節のヤングトーク』より 共同通信社より配信 1998年)
文章(展覧会図録に収録されている)を書き写しているうちに恥ずかしくなってきました……。このエッセイは授業中に描いたデッサンを元に、先生が連載のために後でつけたものですが、くるぶしやらかかとやらを絵と文章でこんなに魅力的に見せてくれた人がいたでしょうか(このデッサンは右肘のゴツッと出っぱった感じもウマい!)。長沢節に発見されなかったら、わたしのくるぶしもかかとも靴下の中に隠れたままだったろうし、スニーカーのかかとはふんづけていませんでした。
今ではポーズをとる筋力も体力もなく、腹は出てるし、身体中に情けない中年の哀れな感じがまとわりついています。そしてもちろん美少年ではありません。地球上で唯一わたしのことを美少年と言ってくれた長沢節先生は1999年に自転車事故で亡くなりました。その時点でわたしはただの冴えない男に戻ってしまったのです。お腹の周りの肉は完全に自己責任です。
先日展覧会を見に行った時も、セツ仲間と大いに共感しあったことがありました。長沢節に出会って以降、長沢節以上に変わった人に出くわさないってことです。その素晴らしい変人っぷりは、生身の先生に直接会った人でないと感じ取れない部分が多く、先生の文章と絵だけでは実はあまり伝わらない気がするのです。そこがファンとしては悔しいのです。
ただ、数ある長沢節本の中に散見される「先生があんなんことした、こんなこと言った」というしょうもないエピソードはどれも抜群に面白く、そんなところに人柄が濃厚に現れていると思います。
たとえば、こんなところにも。
〈長沢先生と学校近くのラーメン屋とか行くとですね「おマエなんにする?オレもやしそばとギョウザ!」とか屈託のない大きな声で言ったりするのです。ちょっと苦笑いしてしまいます。そして、その辺に置いてあるラーメンのしみのついた『週刊平凡』なんかをペラペラめくって、タレントの写真を見ながら「あっ、オレこれ好き!」とか「これ、キライ!」とかやはり屈託のない声で言ったりするのです。まるで女子中学生です。見かねて「先生ちょっと恥ずかしい……」と小さな声で言うと「あっ、そっか、ごめんごめん」と素直に謝るのです。そんな天真爛漫な長沢節先生のことを思い出すと本当に懐かしくて仕方ありません〉峰岸達さん『長沢節 伝説のファッションイラストレーター』河出書房新社刊より。
〈長沢先生が、試写に行くから一緒に行こうよ、なんて誘ってくれるの。着替えてるから待ってろって。で、降りてくるとピンクのコーデュロイのスーツにロングブーツでしょ。パンチやメンクラに出てはいても、こんな奇抜な服、着るバカいないよな、と思うようなファッションじゃない。それで威張って歩くんだよね。地下鉄に乗ると、バーッと走って空いてる席とったりさ、ヘンなんだよねェ。この人はほんとうの変人だ、と思いました。最初は理解できなかった。
それがじきに、馴れるなんてもんじゃない、オレもセツ風のヘンな人間になりたいと思った。前に絵を習ってたのは受験のための絵の学校だったけど、セツはまるでちがう。遊びを勉強させてくれる学校なんだよね。人の家へ遊びに行って朝まで喋ってるなんていうようなことが、信じられないくらい楽しかった〉早川タケジさん。『セツ学校と不良少年少女たち』じゃこめてぃ出版刊より。
人を惹きつけてやまないカリスマ性はきっとこんなところにあるのではないかなぁ。あとお得意のチンポコの話とかね。そしてたまに人を凍りつかせるようなことも言ったり……だから、わたしは長沢節小話をなるべく多く採集、編集して文献に残すことが、これからの長沢節研究と後世のファンのために必要だと思うし、なんと言ってもわたしがそれを読みたいのです。せつに。
実は、webの「チルチンびと広場」というところで「私のセツ物語」というコーナーがあります。一昨年の展示「ぼくの神保町物語」で、長沢節先生との思い出を書いたわたしの文章をお読みになった、Mさんが思いついた企画だそうで、わたしも一文を寄せています。ここでもセツ小話が聞きたいと呼びかけています。というわけで、卒業生の皆さん、Mさんから頼まれたら是非セツ小話を書いてくださいね〜。