美術時評5ヶ月
「芸術新潮」で好評連載中、藤田一人さん「わたし一人の美術時評」の挿し絵から。まずは最新号より。お題は「キュレーション時代の終焉」。キュレーションとか、キュレーターという言葉はいつ頃から使われはじめたんでしょうね。要は美術館で展覧会を作る学芸員の仕事ですが、最近はIT用語にもなってるみたいです。最新号なので内容は雑誌を買ってお読みいただくとして絵だけね。京都の「哲学の道」を歩きながら「こんなところに哲学はない!」と憤慨したり、崔洋一助監督の作ったスケジュールをみて「君のスケジュールには思想がない!」と怒った大島渚監督ならきっとこう言うんじゃんないかな?と思って描きました。で。お次ぎはその前の2月号。「現実逃避のすすめ」という題でした。あの大震災でほんとうに日本はかわったのか?かわらなけらばならないのか?「政治が前向きなのは分かる。が、芸術はむしろ懐疑的であってもいい。現状に果敢に立ち向かうのも分かるが、衰退を受け入れ、静かに最後を看取ることを模索してもいい」しっかりと現状把握をした上での現実逃避の提案です。危機の時代の芸術問題です。ところで「ムンクの叫び」って叫んでるんじゃなくて耳をふさいでいる絵なんですよね。なので瓦礫のなかで音楽を聞く少年です。1月号は「美術商はすべて古物商なのだ」です。日本で美術商になるにはどうすればいい?答えは簡単、古物商許可を申請すればいい。「美術品の価格を決定付けるのは圧倒的に付加価値。基本的に減価償却を終えたモノを再生して世に送り出す、古道具・リサイクル品の価値設定とかわりはない。」「美術品の価値とはモノ自体にではなく、モノに付加された様々な価値観にあるというわけだ。」なるほどー。ってことはこんな一コマ漫画はいかがでしょう?はいお次ぎは、12月号「高度経済成長世代のノスタルジー」です。世界を股にかける村上隆さんには村上裕二さんという弟がいて兄弟そろって画家です。しかしお兄さんとは対照的にアカデミックなエリートコースを歩んでおられる。ところが裕二さんが最近「ウルトラマン」をテーマに作品を発表。村上隆さん、奈良美智さん、ヤノベケンジさんらの海外での高い評価をうける仕事も、その元には少年時代に見た漫画やテレビの世界が原風景としてある。うってかわって僕自身のことをかんがえると、もちろん自分にとっても漫画やテレビは原風景として焼き付いてる。しかし、あまり利用はしていない。もしかして自分の方が不自然かも。ま、いいや。こんな絵を描いておきました。11月号「美術家は大らかにつるむべし!」です。そうなんです、友達って大切だ。一人じゃ絵は描けない。自分が成長していくときには友達が必要だと思う。よく「独学で絵を学ぶ」なんて経歴に書いている人いるけど、ほんとかなと疑う。独学は危険です。