我は求め訴えたり
いま売っている「イラストレーション」誌にわたしの小特集がのっています。よかったら見てください。「イラストレーション」誌はイラストレーターがよく読むというよりはイラストレーターになりたいひとを中心に読まれることが多いと思う。小特集だけどわたしが声を大にして訴えたかったことは「イラストレーションとは単に絵の役割のことで、役割さえまっとうすれば何をやっても自由なんだ!」ということ。それを特集のテーマにして、おもに絵で力説したつもりなのだ。
この場合の自由とは役割があっての自由、つまりカギカッコのついた「自由」だけど、それはアートだっておなじだし、世の中にカギカッコのついてない自由なんてない。自由に描いて、しかも仕事の役割をキッチリおさえるというのは一見矛盾していることだけど、矛盾したことができるのが本当のプロだと思う。魅力のある作品は必ず矛盾を含んでいる。そこでは矛盾が不思議と統一されている。
最近のイラストレーション界に漂う閉塞感の原因はいろいろあるが、結果的に自由な空気が薄れているのは事実だと思う。
で、どうすればいいのか?とりあえず自分にできることといえば、そんな状況に反応して絵を描くことだ。現状にあわせて絵を描くことではない。昔は良かった、すべてやりつくされた、なんてことはない。もっとこうあってもいいんじゃないかな?と思うことはいくらでもある。まずそれは自分の絵にたいして一番思う。わたしが色々なタッチで絵を描くことはテクニックの問題ではなくて自由の問題なのだった。(←正直、これは後づけですが今はそう思って意識的にやっているのでよしとしておきましょう)
……憂国の志士を気取ると肩がこるワイ。ええ〜っとですね、ほんで、小特集には「HOW TO DRAW」のコーナーもあって描き下ろしが載っています。よく「シュールな絵ですね」と人に言われることが多いのだが、それは「変な絵ですね」という意味で言っていると思う。なのでほんとうのシュールな絵を描いてみた。題して「シュルレアリストの肖像」。クリックするとデッカくなるよ!原寸にちかい大きさで見開きで載せてもらった。筆のタッチとかよくわかるし。でも…あんまりうまくいかず(まわりで人が見てるのってやはり緊張する)かえって恥まで大きく載せることになってしまったけどね!絵の中に番号がふってあるのはマックス・エルンストの作品にそういうのがあったから。番号に対する解説もつけています。それは是非「イラストレーション」誌を買って読んでください。