ウィーンの旅、その2
「セセション」にある「ベートーベンフリーズの」一部「セセション」
◯セセションでクリムトを尊敬しなおす
クリムトは画家として必要なものをすべてもっている。通俗性をもっている。俗受けする才能は実は一番難しいものではないか、と私などは思ってしまう。あぁ、もっと俗受けしたいものである。
才能というのは、何か欠落した部分があって、それを補うために工夫したり開き直ったりすることで形を現してくるものだけど、若い時から「どうだ!うまいだろ?」な絵が描けたクリムトにも、欠落があったはずである。それは何か?うますぎることか?まあ、よく知らないけど、クリムトは技術で絵の表面を覆い尽くしても仕方ない、と早々に気づいて、新しい造形をつくる一大事業に精を出したと思う。クリムトを初代会長とする「ウィーン分離派」はそれまでの保守的な芸術にアンチを唱えて集まった集団で「せセッション館」は彼らの展示施設である。アールヌーボーとモダンが混じり合った奇妙で美しい建築だ。一時期行方不明とされていたクリムトの『ベートーヴェン・フリーズ』も今はここの壁画となっている。地のものはその土地で味わうときにこそ、眼だけではなく、五感で直接味わうことができる。もちろん絵だから匂いも味も音もしないが、味わったと断言していいだろう。時代は変わってしまったが、磁場はまぎれなくそこにあり、我々を強くひきつける。『ベートーヴェン・フリーズ』の一室で「ああ、なんてクリムトはすごい人なんだ!」と大尊敬したのである。壁画に描かれた人間や動物、模様をしげしげ観察しているとクリムトのねらいの秘密が徐々に解明されてきて飽きない。かたちのひとつ、角度のひとつとっても計算され尽くしているのだ。
◯ウィーンの3分間写真は3分ではなく5分かかる。
前回のウィーン日記が後ろ姿ばかりで楽しくなさそうとの感想もあったので、無理矢理楽しそうな写真でものせておくか…。顔をさらすのは嫌いなのだが…。この3分間写真はたぶん証明写真に使うモノではなさそうだ。味わいがありすぎる。唐突にシャッターがきられてあわてた。しかし待ち時間5分て長いな〜。
◯ゴッホの意外な活用術ベルヴェデーレ美術館は元宮殿で「ベルヴェデーレ」とは良い眺めの意味である。ここでもクリムトを目玉としていろいろな絵が楽しめる。ちなみにここはゴッホの風景画を1点所有しており、それが意外なところに展示されていてうれしかった。クリムトの風景画の部屋にゴッホが1点混じって展示されていたのだ。クリムトの風景画はモネに似ているのだが、こうしてみるとゴッホの影響もあるような気がしてくる。ゴッホの絵はクリムトの部屋にとてもマッチしていた。ぼくはゴッホはきっと「表現主義」の部屋にあるにちがいないと思っていたのだ。一般にはゴッホは表現主義に影響を与えたとされているわけだが、画家にとっての「主義」というのはあっちへ行ったりこっちに行ったり自由に行き来できるものであって、共産主義、自由主義みたいに相いれないものではない。
「地のものはその土地で味わう」の第2弾はさきほどの「表現主義」の絵。たいへんおもしろく感じられた。退屈させないんだなぁ。定規で線をかいたような、筆後をのこさないような、クールな描き方の絵もいいと思うんだけど、描いていて楽しいのはそりゃこっちでしょ。「描いてる」ってカンジ。このカンジは絵でしか表せないんだもの。表現主義の絵を印刷物で見てるときは、中途半端な印象を受けたけど、どうして生で見ると、描き方にしろテーマにしろいろんな意味でギリギリをねらっているのがわかる。なんで中途半端だなんて思っていたのだろう?空気感とかやっぱこのへんの土地の感じがする。ちょっとひんやり暗めなのも気持いい。「エミール・ノルデ」「キルヒナー」「オスカー・ココシュカ」この絵いったいなんなの?ウーパールーパーまでいるよ。
◯ウィーンで太田さんに会う。
太田雅公さんはセツ時代の友達。年は5こくらい上なんだけど、入学がぼくより半年遅かったので、気がねなくなれなれしく接している。そんな太田さんがリンツに居るということをfacebookで知った。ちなみに同部屋のデザイナー兼イラストレーターの浅妻くんもセツの仲間。「太田さん、こっちに来ない?会おうよ!」ということでリンツから来てくれた。でもウィーンとリンツは東京と長野の松本くらい離れている。そんなこともいとわず来てくれた太田さん。実に久しぶり。太田さんは舞台衣装家だ。宮本亜門氏が新しく出来た劇場のためにオペラ『魔笛』を演出する、その衣装デザインのために7月まで2ケ月滞在する。夕食でベトナム料理をみんなで食べた。そのときに太田さんが武蔵美の教授!になってたことを知り驚く。あの太田さんが大学の教授かよ!でもひさしぶりに太田さんと話して刺激になった。とにかくこの人はいいものをつくるためならすべてを厭わない。自腹だって切っちゃう。そういえばセツ時代に一年に一度学校をあげての展覧会があったんだけど、そこで一等になると長沢節センセイの絵がもらえる。なので生徒ははりきって絵を描いて搬入するんだけどなかなか審査がきびしくてそう簡単には一等になれない。僕もがんばって何枚も出したんだけど、太田さんは B全パネルで12枚くらい搬入してて、あ〜、負けたと思った、そして見事一等をとった。そのころのままの熱量で今も生きているのがすごいね。太田さんは僕たちの部屋に泊まっていった。3人で話しているとここがウィーンだなんて思えない。新宿かどこかのようだ。太田さんはどこでも寝れると言ってソファでヒザをまるめて寝ていた。そして早朝、ホテルを去って行った。さようなら太田さん。太田さんいいこと言ってます。対談 池内博之 ×太田雅公『欲望という名の電車』について、それぞれの視点。「ハイ・ファッション」より。
ウィーンの旅、その2おしまい。あと一回くらいあるかも。