神様の髪型と亀違い
NHK Eテレ 『趣味どきっ!福を呼ぶ!ニッポン神社めぐり』で神話の絵を描いてます。2月26日まで毎週月曜日(午後9:30 )にやってます。私は仏教のことも日本の神様のこともよくわからないままに生きてきた。日常生活に支障はない。まー、私のような日本人は実はいっぱいいると思う。別に知らなくていいとさえ思っていた。でも、最近は日本の仏教や神道はすごく曖昧なものらしいっていうところに惹きつけられる。自分たちがどこから来たのか知りたくなる年頃でもある。もともとがいい加減だったなんて聞くと、ホッとするなー。
さて、そう思っているからか、時々、神様や仏様お坊様を描く仕事が舞い込んでくる。絵に描くとなると、具体的な形にしないといけない。
服装などもある程度は調べる。もっとも、時代考証は雰囲気程度にしかやっていないし、かなりテキトー。なぜか枚数の多い仕事を頼まれることが多いので、描きやすいように簡略化して、装飾品もごく少なめにしてしまう。だからたとえ NHKで放送されたとはいえ、私の絵を参考資料にしない方がいいですよ。
この間も雑誌で地蔵菩薩に螺髪(らほつ、大仏様などにあるパンチパーマ状の巻き髪)を描いてしまい修正が入った。菩薩は人間が仏になろうと修行を積んでいるとこなので、まだクリクリなのであった。これなどは初歩的なミスだと思う。仏教は調べればだいたい答えは出てくるのではないだろうか(あまり詳しく調べたことないけども。「オトナの一休さん」で描いていた袈裟なんてめちゃくちゃいい加減だった)。
ところが調べたってわからないのが、日本の神話の神々の姿。例えばどんな髪型をしていたかは、誰にもわからない。わかるわけがない。よく日本の神様の髪型は、頭の両サイドで髪を結う「みづら」という形で描かれる場合も多いが、同じ神様でも描かれる絵や時代によって様々である。
「みづら」は古墳時代の人の髪型である。したがって、神話に出てくる神様も古墳時代っぽい雰囲気の衣装が多いのだが、このイメージで描かれるようになったのも明治30年頃からだそうだ。それまでは髪を垂らしている姿の方が多い。
「みづら」は埴輪の頭の造形を基にして推測された髪型だ。下の画像は1921年の本の復元図だ。…ってこの画像は、及川智早さんの『日本神話はいかに描かれてきたか』及川智早著(新潮選書)から抜き出したものです(この本も今回の仕事用に買って、結局ちゃんと読む前に仕事を終えてしまった。何のために買ったのだろう)。
ネットを検索してたら、土浦市のホームページに1983年に古墳から発掘された「みづら」の写真が載っていた。髪の毛がそのまま発掘されたようだ。おお、やっぱりこんな髪型してたんだ。埴輪から推測した人スゴいね。
ところで、歌舞伎や文楽で、源平合戦の頃のお話なのに、登場人物は堂々と江戸時代の風俗でやってたりする。また、西洋の宗教画では、紀元後間もない中東の宗教家であるイエス様の絵が、思いっきり中世のイタリアの風俗で描かれてたりする。親しみやすくするためだったかもしれない。観客や信者に考証に疑問を抱く知識はなかったかもしれない。だいたい昔は時代考証の資料なんてものは作り手も手にすることは困難だっただろう。
幕末から明治初期にかけて活躍した絵師、菊池容斎は『考証前賢故実』全11巻というのを出して、それは当時の画家が歴史物の絵を描くときに参考にするバイブルであったそうな。この頃になると考証の研究はある程度進んできたとみえる。
去年ある美術館で尾形月耕の描いた浦島太郎の絵を見て、思わずツッコんでしまった。この絵だ。
う~ん、亀が海亀ではなく、沼亀である。イシガメだろうか。
今調べて知ったのだが、尾形月耕は菊池容斎に私淑していたらしいじゃないか。菊池容斎のお手本にこういう亀が描かれていたのだろうか。亀好きとしてはちょっと気になるところである。
ではまた!
【追記】
伊野孝行×南伸坊 WEB対談『イラストレーションについて話そう』更新されております〜。
よろしく!