着せ替えられる服のごとし
小説が世に出る形はいろいろありますが、たとえばまず、小説誌で連載されるとします。
イラストレーターはその時に挿絵を頼まれます。
次に小説誌での連載が終わり単行本として出版されることが決まった時、今度はカバーの絵をまかされる……かといえば必ずしもそうではありません。本屋に行って、「あれ?これって挿絵描いてたあの小説だよな」と、違うイラストレーターの手になるカバー絵を見つめながら、「やっぱり俺の絵じゃ売れないんだろうか」と肩を落としたことも何度かありますね。
でも、逆パターンもあるのでお互い様です。
同じようなことは単行本から文庫化される時にも起こります。
単行本のカバーと文庫本のカバーでは、違うイラストレーターが描いている場合も珍しくありません。「装いも新たに」というやつです。
余談ですが、小説が映画化されると、急遽、期間限定の新しい帯が巻かれます。最近はその帯の幅がはほぼ本のサイズで、いや正確に言うと本のサイズより数ミリ短く、本来のカバーが帯の上からちょっとだけ見えている、みたいなのもあります。さすがにこのやり方を最初に見た時は、「えげつな〜」と思いましたが、とにかく本が売れない、本が売れない、本が売れない、本が売れない……と呪文のように聞かせれている昨今にあっては、そのいじらしさに笑ってしまいました。
私は自分の職業を卑下する気持ちはコレッポッチもありませんが、所詮は服のように着せ替えられるものなのだ、とも思っております。
そう考えると、小説誌→単行本→文庫本とずっと頼まれるのは稀なことに思えてきました。
前置きが長くなりましたが、今週は幾多の障害を乗り越えめでたく文庫まで頼まれ続けた、今月発売の梶ようこさん『立身いたしたく候』のカバー絵についてです。
当ブログでも連載時や単行本発売のタイミングで宣伝していましたが、もう一度イチから載せちゃっていいですか?
まずは「小説現代」で連載したいた2013年当時の挿絵でござ候。
さあさあ、パソコンの前のお坊ちゃん、スマホを握るお嬢ちゃん、ホレホレ見なはれこの通り、2018年2月にめでたく文庫化されたカバーはこうなって候〜。江戸時代の就職活動の話ですが、文庫のカバーは現代の就職活動風景と混ぜたものにしたいとの申し出があり、他に城の出世階段を駆け上がる案と履歴書案もござ候。
さてもう一つ。
これは単行本から文庫本にする際、絵をちょっとだけ変えて使われたものです。群ようこさんの『うちのご近所さん』。今月発売です。メインのおばさんの服の色が違うのと、表4にいた人たちが表にまわってきました。この小説はもともと連載されていたものだったか、書き下ろしだったか忘れましたが、もし連載されてたものだったら、その時挿絵を描かれていた人がいらっしゃるかもしれません。すんませんね。ま、これもお互い様だということで。