時代考証秘話その2
さてさて、神仏習合を正面から取り上げた画期的な番組、歴史秘話ヒストリア「神と仏のゴチャマゼ千年 謎解き!ニッポンの信仰心」の時代考証に触れながら描いた絵をふりかえる第2弾でございます。
第1弾を終えた時点では、続けて第2弾をやる気だったんですが、時間が過ぎるとともにだんだん気持ちが失せてきて……いや、でも途中でやめるのも気持ち悪いしな……。
はい!
では、行きましょう〜!
時は748年、場所は大分県の宇佐。八幡宮の原型?のような神社が舞台です。
聖武天皇の使が唐に渡る前、宇佐に立ち寄り、祈った。
使はこう祈った。「無事に唐へ行って、黄金をもって帰ってこれますように」
さてここの時代考証。
八幡の巫女、大神杜女(おおがのもりめ)は鉄鐸から変わって「咒師の鈴」を持っています。
建築考証の先生からのアドバイス。
「社殿は中型で三間社、朱塗り、切妻造、階段はない。その前に簡素な土間床の三間の建物、いわば拝殿を作り、そこに空座の四角い畳をおいてはどうかと思います。そこに神を迎えて祭りを行うと考えます。」
と言われても全然わからん……。担当ディレクターの丁寧な説明と解説、資料の提供、そして考証の先生直々のラフスケッチを参考にして、はじめて絵に起こすことができました。この絵に至るまでに3回ほど修正をしたと思います。はい、では続きを。
すると八幡神が大神杜女(おおがのもりめ)におりてきて、お告げをくだした。
「汝らが求めるところの黄金はまさにこの国より出るであろう。使いを唐に送ってはならぬ」
聖武天皇は大喜び。「は、八幡神の仰せのとおりじゃ!これで光り輝く大仏が造れようぞ」
さてここでの時代考証。
大仏は初代大仏です。現在の大仏とは違います。
写真はNHKのドラマ「大仏開眼」の時に作られた初代大仏の模型。
聖武天皇が頭にかぶっている冠(なんて名前だったかな)にぶら下がっている玉のジャラジャラ(たぶん正式名称はあると思います)の数は前、後ろとも12本づつなのが正解です。でもドラマなどでは、12本たらすと顔が隠れてしまい、俳優さんが嫌がるので本数を減らしてしまうことがあるのだそうです(本来、玉のジャラジャラは顔を隠すためにあるのでしょう)。
「装束考証の先生は12本ないのがちょっと不満だそうですよ」とディレクターにささやかれたので「だったらきっちり描きましょう!」と請けあいました。みなさん、12本ですからね。正確に描きましょう。
作画の資料を探しているうちに見つけました! 考証の先生をがっかりさせたのはこの俳優さんでしょうか。ジャラジャラは8本です!
次に「聖武天皇」と入れて検索すれば出てくるこの絵、立派な絵なのにジャラジャラは10本!惜しい!
しかし、ドラマ「大仏開眼」で孝謙天皇を演じた石原さとみのジャラジャラは12本あります!さすがです!でもかわいいお顔を見せるためちょっと短いのかな?
はい、粗探しはやめて次に行きましょう。
時は翌749年。
陸奥から黄金が見つかると、また八幡神にお告げがあった。
「われ都に行って大仏を拝むぞ」
一行は宇佐を立ち、奈良の都へ向かった。
一条大路を進む紫の輿に乗っているのは、八幡神。ただし人に見えるのは、巫女であり、尼でもある大神杜女(おおがのもりめ)の姿。
転害門(てがいもん)で文武百官に出迎えられた輿は、大仏の前へと向かった。
「八幡の大神(おおかみ)、お待ちしておりました」
天皇は聖武から娘の孝謙へと変わっています。石原さとみの役ですね。
そのあと僧5000人が読経し
「そのあと僧5000人が読経し
唐の音楽や舞が披露され、八幡神をもてなしたのじゃ」と
セリフでいうと2行ですが、絵に描くのは大変です。
しかも映るのは1秒〜3秒くらいだったかな。
テレビの仕事は大勢の人に見てもらえるのが嬉しいのですが、一枚の絵はちょっとしか写りません。
まだ続きます。
次は神仏習合において、なるへそな大発明、本地垂迹説の説明パートです。
世界の中心に須弥山という大きな大きな山がある。そのはるか上空に、仏や菩薩たちがおられる。
ちっちゃくてわからないけど、薬師如来、阿弥陀如来、大日如来、普賢菩薩、弥勒菩薩、地蔵菩薩、千手観音菩薩、如意輪観音菩薩がいます。
「仏の姿に間違いがあってはならぬ」という事で、ちゃんと描いています。でも、ほとんど映っていないけど。
いいのです。まっとうな仕事というのはこういう事です。
仏たちは遠く東の、粟粒が散らばったような小さな島々の民、つまり日本の人々を救いたいとお思いであった。
釈迦「さいはての民は悟りから遠い。とはいえ我らがこの姿のまま現れても、彼らは驚くばかりでうまくいくまい。どうしたものか…」
文殊「お釈迦さま、これならいかがでしょう。我ら本来の光り輝く姿を隠し、彼らに親しみ深い〈神〉として姿をあらわせば」
釈迦「確かに、このままではさいはての民にはまぶしすぎようぞ。よきかなよきかな。では早速、ヘンシーン!」
文殊「ヘンシーン!」
かくして仏や菩薩は日本の民を救うために、神の姿に身をやつして現れた。だから神々は実は仏が変じたお姿なのじゃ。なんとありがたいことではないか。
アニメーターの幸洋子さんのアニメートで素晴らしいカクカクアホラシアニメに仕上がっていました。
ここまで書いて、かなり疲れてきました。
でも頑張ろう。あと少し!
時は鎌倉時代初期。
ここの時代考証は簡単です。「春日権現験記絵」をそのまま描き写せばいいのです。
奈良のとある寺の僧(頓覚坊)が、深く悩んでいた。
「春日大明神、お助けください」
夜遅く春日に詣で、瑞垣のうちに入り込み、本殿のすぐ近くで法華経をよんだ。そして夜が明ける前に帰っていった。これを百日続けた。
夢の中に美しい若君(春日神)が現れ、僧のひざのうえで遊んでいる。見ると髪の毛が濡れていた。
「どうして髪の毛が濡れているのですか?」
「おまえがよむ法華経がうれしくて、喜びの涙で濡れたのだ。でも法華経はライバル比叡山で大切にしているお経だよ。興福寺が大事にする唯識論だったらもっとうれしかったのに」
「それによく聞け。あまり近すぎるのはよくないぞ。これからは瑞垣の外でよんでね」
「はい、そういたします!」
ここもアニメーターの幸洋子さんの力によるところ大です。
さあ、最後のパートです。
時は1868年3月。
場所は神祇事務局(二条城か吉田神社におかれていた可能性が高いのだそうです)。
樹下茂国(じゅげしげくに)「諸悪の根源は、神道に仏教が混じってしもうたためじゃ」
国学者「けがらわしい!我が国の将来のため、仏教など払いのけよ!」
樹下茂国ともう一人神職の衣装は「狩衣(かりぎぬ)」です。
「直衣(のうし)」ではありません。違いは、狩衣は肩に切れ込みがあることです。直衣には切れ込みはありません。
ま、このようにして奈良時代から始まった神仏習合は明治の世に神仏分離させられたわけです。
本当に明治時代ってさぁ……ま、いいや。
前にも書きましが、神仏習合とはいい加減をええ加減に保つように工夫し努力してきた日本人の精神史そのものである!と私は主張したいですね。
あ〜ブログ長かった。
更新するの疲れた。
読むのも疲れたでしょ?
終わりだ!終わりだ!