台北國立故宮博物院
「美術手帖増刊・台北國立故宮博物院」で山下裕二先生と板倉聖哲先生の対談に絵を描きました。板倉さんはこの特集の監修をされている。山下さんは板倉さんの先輩だ。このお二人の学友コンビ対談は何年か前の美術手帖の特集「一夜漬け日本美術史」のときにもおこなわれた。そのときも僕は同席してお話をきかせてもらった。この絵は対談ページの扉。左が山下先生、右が板倉先生。前回もそうだったのだが、「こういう対談は酒でも飲みながらやったほうがいいよ」ということで美術出版社の一室には酒とつまみが用意されていた。ぼくは対談するわけではないのに、缶ビールを飲みながら聞いていた。ちなみに山下先生は毎日愛飲されているというKIRINの「氷結(グレープフルーツ味)」のロング缶を2本以上空けていたが、それでも難しい名前の固有名詞がスラスラでてくる。どうでもいい話だが「氷結ストロング」はロング缶一本でかなりベロベロになる危ない飲み物だ。山下先生はストロングではなくスタンダードです。学者の人の修業時代の勉強方法というのは、一週間、開館時間から閉館時間まで美術館にちっちゃい椅子を持ち込んで、ずーっと絵とにらめっこする。図版のコピーと照らし合わせながら観察結果を、ここはどうだ、あそこはどうだと書込んでいく。そういう目の記憶が後に生きてくるのだと言う。おもしろいことに牧谿の絵は日本にしか残っていなくて、母国中国には一点もない。長谷川等伯は牧谿の絵に感激した。雪舟が中国に留学して、日本で見ていた素晴らしい中国絵画を見ようと思ったが、そんな絵は誰も描いていなかった。つまり流行がかわっていたわけ…というように、中国美術と日本美術の間にはタイムラグがある。さきほどの牧谿のエピソードとあわせて考えると、日本美術の特殊性がそこからのぞける。さてこの盆踊りの絵はなんでしょう?本を買っていただければわかりますよ。先生たちの対談中、編集者、ライターさんはメモをとっていたが、ぼくはメモをとるフリをして似顔絵を落書きしていた。そのことをあとで山下先生に言ったら「伊野さん、わかってたよ(笑)」とひとこと。「いやー、しかし、授業中に落書きしてた小僧が、今、そのまま商売になってるなんて幸せですよ」と申し上げると「そうか、じゃあ、授業中に落書きしてるやつをみつけても見逃しておこう!」とおっしゃられた。真の先生である。今回、ポスターやこの本の表紙にも使われている「翠玉白菜」。故宮展の客寄せパンダである。板倉先生はこういうのにドーッとお客さんが集まってくれれば、傑作中国絵画のほうがすいて、ゆっくり見られるかも、なんて本音?をおっしゃっていたけれども、ぼくもマジでそう願う。今日から東京国立博物館ではじまるが、混雑しそうだなぁ…。美術館はすいてるのが一番あるよ!酒を飲みながらの対談は、くだけた調子のまじめ語り。中国美術と日本美術の関係性、資質の違いがよくわかる。これは買うしかないであろう。