「鈴狐騒動変化城」②
さて、先週に引続き、「鈴狐騒動変化城(すずぎつねそうどうへんげのしろ)」です。
挿絵を50点くらい描きました。ネタバレになるといけないので、ちょっとしか紹介できないのが残念ですが。
挿絵を描くときには、小説の文体や、物語全体の雰囲気を重視します。自分の絵柄よりも重視します。小説にあわせて絵柄を変えるわけです。そこがイラストレーターならではの仕事の仕方だと思います。小説の雰囲気に合わせることによって自分でも未知の絵が描けるので楽しいです。でもうまく合わなくて苦労することもあります。ところが今回の「鈴狐騒動変化城」はまったく合わす必要がないほど、自分の世界とドンピシャでした。「鈴狐騒動変化城」は福音館書店の児童書ですが、本のどこを探しても〈児童書〉〈対象年齢〉の文字は記されていません。それは、大人が読んでもオモシロイに違いないと思った担当さんがそうしたようです。事実、大人が読んでもオモロいです。今回、わたしも印税契約だから、売らんがためにそう言っているのではなく、事実オモロいのです。↑とある超面白い挿絵の〈部分〉↑とある超面白い挿絵の〈部分〉
おもしろいということは新しいということです。「鈴狐騒動変化城」をお読みになれば、この本がいままでにない趣向にあふれていることをおわかりいただけるでしょう。「おいおい児童書でこんなことやって大丈夫なのかい?」という部分があるのですが、それは児童書という枠で作っているからはみ出せる部分であります。中村勘三郎丈の言う「型があるから型破りができる」というものです。また、時代劇だからこその設定の自由さもあります。「新しくなければ時代劇じゃない」とわたしは思っております。↑とある超面白い挿絵の〈部分〉。この家老がなぜ笑っているか?理由を知ったらきっとびっくりすると思いますよ。↑とある超面白い挿絵の〈部分〉。これが悪いお殿様。悪いよ〜。どんなに悪いか読んだらびっくりするよ。
読みはじめたときと、読み終わったときに自分の気持がA地点からB地点に動いている。それが感動というもので、作者は読者の意識が自然に変わっていくように仕向ける。この点において田中哲弥さんは天才的な手腕を見せるので、なによりそれを味わっていただきたいです。
町一番の美人のお鈴ちゃんが、お城のわるい殿様にむりやり嫁がされるのをみんなで力をあわせて奪還する、という設定は、あくまでひとつの型であり、型破りのためにあるとわたしは思いました。この「鈴狐騒動変化城」のユニーク(他に類を見ない、という意味)なところは別のところにあります。読んでのお楽しみなのですが、そのユニークさをしっかりと説得力のあることとして伝えるためには、まずキツネのおツネちゃんが、かわいく描けなければいけない。人の語を解するキツネで、野人に近い素朴さと、天然のかわいさがあり、いわゆる化け物でもある。「かわいー」「なにこの子キツネなん?」このあとキツネはこの二人にいじくりまわされるのだった…。
というわけで、読みたくなりましたかな?ちかごろは便利なもので、ポチッとくりっくすると、数日後にはお家に配達される便利なものもあるらしいですね。「鈴狐騒動変化城」はここからクリックしても手に入るとな!
では、万人にこの芸術が愛されることを願って筆をおこう。さらばじゃ!