伊野孝行のブログ

江戸美術の研究者

東京アートナビゲーションというサイトで連載している「江戸アートナビ」。毎月、巣鴨にある安村敏信さん(前板橋区立美術館館長)のお宅にお話を伺いに行き、ライターが文章にまとめ、ぼくが絵をつけている。ライターの方は山下裕二さんの教え子だった人だ。今月は「月岡芳年」について。内容は連載されているコチラのサイトでみていただこう。

月岡芳年の《正月羽根突図》を紹介します。明治という新たな時代の到来で、幕末~明治初期の絵師たちは己の表現とどう向き合っていったのでしょうか。芳年の生き方とともに、検証していきます。

毎回、安村さんはお話のときに、画集や図録や本を見せながら説明してくださる。それがみんないい本なので、自分も買おうと思って、題名や版元をひかえておいて、あとで探すのだが、すでに古本にもでていなかったり、あっても非常に高い値がついているものが多くて悔しい思いをする。今回も太田記念美術館で出した月岡芳年の図録を元に話をされていて、どーしても欲しかったが、みつからなかった。図録(展示)の充実ぐあいによって画家にたいする印象もガラッとかわる。

この絵は先月の記事「安田雷洲」のときの扉絵です。安田雷洲が描いた赤穂浪士討ち入りの絵には元となる西洋の銅版画があって、それがいっしょに並んでいるので、是非みてほしい。おっかしいんですよ、すごく。

安田雷洲の《赤穂義士報讐図》を紹介します。知られざる絵師の奇想天外な発想に注目です。

安田雷洲って、ぼくもよく知らなかったんだけど、ひと目見て「変だ!」と思ったので好きになりました。はじめて見たときは、「なんだこれは!」と自分で発見したような気分になっちゃうわけだけど、すでに図版になっているわけです。ここに安村敏信さんらの研究者の仕事の成果や意義があるんですね。だれかが面白いと思って発掘してくれないと、目にすることもできなかった。そういうこともこの回の話にでてきます。絵描きは、どんなものでも自分の肥やしにしてやろうと思って見ているから、目の反応もすばやいのですが、自分で発掘、研究までするのは大変です。どんどんおもしろい絵を世におくりだしていただきたい。それに影響をうける絵描きたちも出てくるはずですし。これは11月の絵。

歌川国芳の《下女如来障子へうつる法のかげ》に描かれた美女、於竹さんに注目するとともに、日本絵画における影の表現の変遷をたどります。

この絵はだれがどうしているでしょうか?答えは3枚目の絵にあります。安村敏信さんは、こんな風に描いちゃっても、笑ってくれるいい先生だ!