興福寺火事絵巻その1
GWいかがお過ごしでしたでしょうか。私は寝たり起きたりの生活でした。体の調子が悪かったというわけじゃなくてね。無為に過ごすという。無為とはダラダラと無駄に過ごすことでもあるけど、仏教で無為といえば不生不滅の存在のことであり、老子でいうところの理想の境地でもあるわけですが、もちろんダラダラ過ごす方のネ。
言葉が物事を区別するものなら、同じ言葉に良い意味と悪い意味があるのがややこしいんだけど、もしかしてダラダラ過ごすことが実は真理に近いんじゃないかと思ったりしない?あと、眠るときに見る支離滅裂な物語と、将来の願望が同じく「夢」と呼ぶのもどうしてだろう。
過ぎ去ったことも夢のようだと言ったりする。
奈良の興福寺は、710年に創建されてから現在までなんと!ナント!南都!7回も火事にあっている。その度に再建されてきたわけだが、江戸の火事で中金堂が焼けた後は、ややみすぼらしい仮堂のままで今日に至っていた。しかし去年、中金堂は創建当時の姿のままで再建され(8回目)、天平の夢をもう一度我々に見せてくれたのだ。
そんな興福寺の歴史を追ったのが先週放送されたNHK歴史秘話ヒストリア「興福寺 七転び八起き 日本の文化はここで生まれた」。ふだんは再現ドラマで見せるパートを今回はアニメでやりました。
その火事絵巻を何週かに渡って紹介いたします。
はじまりはじまり〜。
まだ都のできる前の奈良盆地。
中金堂が完成したのは714年。その6年後に不比等は亡くなる。以降、北円堂、東金堂、五重塔、西金堂が建てられた。
さて、興福寺1回目の火災はどうやって起こったか。
講堂・東金堂・西金堂・南円堂・鐘楼・経蔵・南大門・中門・僧坊など、北円堂や蔵をのぞくほぼすべてが焼失した。
さて火災の翌日、京の都に興福寺消失の報告があがる。
「燃え落ちてしまいました…」
「…ええい、嘆いてなんになる。建て直しじゃ。我が信心の証を見せん!」
で、1回目の火災が再建からわずか12年後、康平3年(1060年)5月4日の夜に2度目の火災は起こるのである。
最初の火災から12年後なのでまだ関白は藤原頼通。
で、放送ではこの後もう一度再建シーンと落慶法要のシーンがくりかえされます。
ちなみにこの藤原頼通の話を歴史好きの友達に話したら「頼通は父ちゃんの道長が創建した法成寺もまるっと再建しとるんすよ(これも巨大寺院よ)。再建請負人かぁ」とのこと。
頼通エライ!
創建から300年後に1回目の火災、2回目はその12年後、では3回目がいつかというと、その29年後でした。
創建から300年無傷だったのにここにきて半世紀で3度の火災。
原因は貴族の生活が朝方から夜型へと変わり、儀式も夜に行われることも多くなったからだそうだ。
ちなみに朝に仕事するから朝廷って言うんだってね。
昔は消防車なんてないから、燃えたら最後、神か仏にお祈りするしかなかったのです。
私はアニメの勉強とかしたことがないので、絵コンテの描きかたが変かもしれない。ひとつ思ったのは、これくらい小さいサイズで絵を描くほうが(本番はA4サイズで描いてますよ)いろんな構図を思いつくということ。不思議なんだが、最初からA4の紙に描くとヨリヒキにバリエーションが出ないんだよなぁ。
というわけで今週はここまで。
あ、そうそう今日5月7日の午後3時08分~ 午後4時00分に再放送があるんだ。ぜひ見てね!