『私のイラストレーション史』
〈この本は、私が生きた時代に目撃した「日本のイラストレーション史」を記録しておこう、と企画して書きはじめたのです。〉
南伸坊さんの『私のイラストレーション史』のまえがきの書き始めです。
「絵びら」屋さんの店先で手描きポスターのできるのをジッと見つめる南伸坊(当時は伸宏)少年。
いろんなきれいな色が作業的に塗られていく。はじめのうちは何が描いてあるのかよくわからない。そのうち、墨が入って輪郭ができ、何が描いてあるかわかるようになると、伸宏クンはこう思うのです。
〈最後に使うのが赤と黒で、目鼻やリンカクが描かれて絵が完成していくのだったが、コドモ心に、そこに本日開店だの、出血大売り出しだのと文字が書き加えられていくと、なんだかせっかくのキレイな絵が台無しになってしまうのがとてもザンネンだった。〉
デザイナー志望のきっかけは小6の時に行った、親戚の家の床の間に飾ってあった明朝体のレタリング。
それはその家の娘さんの作品で、彼女は年上の美人だったので、お姉さんへの憧れとともについデザイナーになろう!と思ったのです。
のせられて立候補することになった中学校の生徒会長選挙では、15枚のポスターを全部違うデザインにするという凝りようで、結果、教育的な意味合いは別にして断トツで当選してしまい、いまだにこれを超える効果のあるデザインやイラストの仕事はできていない……なんてエピソードも可笑しいが、早々と本質的なイラストレーション体験をしているのがスゴイなぁ。
イラストレーションのことを語ると自然に他のものも引きずってくるのは個人の体験が核になっているからですが、逆にそれがない「イラストレーション史」なんて面白いのかな?と思います。
確かに『私のイラストレーション史』は個人的な話には違いないんですが、この本に書かれる伸坊さんの少6からガロの編集長時代というのは、ちょうど60〜80年代のエポックメイキングな時代がまるごと入っているんです。
貸本屋で借りてきた水木しげるの『河童の三平』の一コマが心に焼き付いた話。
〈お茶漬けなんかを、サラサラサラと食べた後、三平がだだっぴろくなってしまった座敷で、ゴロンと横になってるところ、寝返りをうって横向きになったりしてるところの、絵の完成度はどうであろうか。すばらしい!こんな絵は水木しげるでなくてはゼッタイ描けないし、何度見ても釘付けになってしまう。〉
伸坊さんは小学生の時にお姉さんとお父さんを亡くされているので、この『河童の三平』を読んだ中学生の時、コマの中の三平を昔の自分を見るように見つめていたようです。
これぞまさしく名画との出会いじゃないですか!
『河童の三平』って友達探しの旅みたいな感じもして、ぼくが読んだのはずいぶんな大人になってからですが、ちょっとさみしくて、なんかジーンときちゃうんですよね。
高校の先生が教えてくれるデザインのセンスはもう古臭いと思ってたし、その生意気な鼻っ柱をクスクスくすぐって嗅覚を刺激する、新しい時代の絵やデザインは、もう本屋さんやポスターの中に出てきつつあったのです。
何しろ時代は60年代。
そして1966年『話の特集』が創刊されます。
〈話の特集』創刊号を買って、勇んで教室へ行った日のことは、いまでもよく覚えている。遅刻ぎみに教室へ入ると、人だかりがしている。のぞき込むと、人だかりの中心に、秋山道夫がいて『話の特集』を机の上で開いていた。〉
おー!!なんかすごいっすね。
『河童の三平』の一コマが水木しげるでなくてはゼッタイ描けないように、それは和田誠さんでなくてはゼッタイ作れない雑誌だったのです。
まさに新しい時代の若者たちの表現。
新しい時代は新しい表現を選ばせるのです。
出来たて一番アツアツのときに、腹をすかせてガブッとかぶりついてる感じが、こっちまで伝わってきて、お腹が空いてきます。
ぼくは自分が生きていない時代のことは、つまみ食い程度にしか知らないんだけど、案外つまみ食いがそのまま自分の大事な部分の血や肉になっている気がする。
つまみ食いって腹にしみわたるんですよね。
もっとちゃんと食べたくなっていたので、この『私のイラストレーション史』は待ちに待ってた本でした。
とっても満足感あります。それだけでなく、さっきも言ったようにまたお腹が空いてくるのです。
〈結局、傑作を作らせるのはいつも傑作なのだ。優れた作品に出会うというのが一等強力なモチベーションである。〉
というのもすごく納得できますね。自分もこんな世界を作ってみたい!と激しくそそのかされてぼくもはじめたんだと思います。
〈芸大をめざして、都立高の入試を受けたが失敗、定時制にもぐり込んで夏休みに転入試験を受けたが失敗、やっとこ翌年に工芸高校にギリギリ入学したものの卒業時には赤点で追試、追々試でお情けの卒業はしたものの、芸大入試を失敗、失敗、失敗と、あらゆる試験に落ちまくり、結果、試験のない「美学校」へ入学することになったこと、その学校がめちゃくちゃおもしろかったこと、その時期があったからこそ、無試験で『ガロ』の編集者になれたこと。
とすべての一つ一つは、承知していたことだけど、そのすべてがそれぞれに有機的に関係していて、そのすべてがムダじゃなかったばかりか、少しのムダもなく、まるで予め決められていたかのように推移していったのだ。〉
めちゃクレバーな頭の伸坊さんですが、意外にも試験という試験に落ちまくりなのところが勇気づけられるじゃないですか……っていうか試験ってなんなんだろね?
この本を読んでいると、伸坊さんの人生はこうやって、つまづいて、曲がって、伸びて、絡まって……とそれにしてもうまいことできてんな〜と思わずにいられない軌跡を描いています。
誰しも海図のないまま海に漕ぎ出だすのが人生だけど、自分が好き、面白いということで舵を切って行けば、そして『ガロ』の編集部に入って長井勝一さんに学んだという「優れた作品に対する感謝」の気持ち、「楽しませてくれた人を尊敬する」気持ち、を持ち続けていれば、自然に導かれる必然性のようなものがあるのかもしれないですね。
〈ほんとなら『私のイラストレーション史』なんていう地味なタイトルじゃなく『読めば3分で運がよくなる本』としたいくらいですが、そこは人柄が奥床式だから……。〉
この本の中の最重要登場人物、和田誠さんと赤瀬川原平さん。伸坊さんが尊敬するこのお二人の直接の交流は少ないと思うし、作物には相反する(?)ようなところもありますが、南伸坊さんには和田さんと赤瀬川さんの両方が色濃く入っていて、伸坊さんの中で合体している。これは後で生まれた人の中でしか起こらないことです。このことを考えるとけっこうグッとくる。
ご存知のように、イラストレーターでもあり、デザイナーでもあり、編集者でもあり、エッセイストでもある伸坊さんでなくては書けない本だし、「私の」と断っていますが、最も大切な要点を押さえたスタンダードな日本のイラストレーション史だと思います。
マンガ史やサブカルチャー史とも交わっている点においてもね。
そう、マンガとイラストが交わるということにおいては、伸坊さんが『ガロ』の編集長をやってる時に、安西水丸さんや湯村輝彦さんにマンガを描いてもらったのなんか、外すことのできない重要な歴史なんですよ。
イラストにとっても、マンガにとっても、メディアにとっても。
ぼくだったら自分のお手柄にしちゃうところだけど、そこは伸坊さん、人柄が奥床式だから……。
いや〜、いつもは適当にブログを書いているのですが、ちゃんと書かなきゃと思うとかえってうまく書けないもんですね。
ま、ぼくの紹介が面白くなくても、本を読んだら絶対に面白いと思うので、必読中の必読図書、オ・ス・ス・メです!
おわり。