開巻一笑
これは6月28日の早朝にツイッターに投稿したものです。
ご覧のとおりバズっています。
そしてツイートから5時間後に、なんとこの置物を持っている方が現れました。
おお〜っ!色は違って、欠けたところもあるが、まさしく同じもの。さっそくこの方に連絡を取り、ゆずってもらうことになりました。
ツイートに何という置物か?読んでいる本は何か?という質問が入っているので、それをお題にして、いろんな人がふざけて大喜利がはじまりました。これも拡散された要因で、結果的に置物が見つかったのだからお礼を申し上げたいです。どうもありがとう!
実を言うと、この置物は京都のギャラリーカフェ「隠」というお店にあります。
ガラスに写り込んでいる右の方は芳澤勝弘先生です。禅学・禅宗史研究家で白隠研究の大家であります。
カフェの2階に白隠禅画が並ぶギャラリーがあり、その上の階が先生の研究室にもなっていたはず。カフェの名前が「隠」なのも納得していただけると思います。
カフェ自体は先生の知り合いの方がやっているのだったか、詳しいことは忘れてしまいましたが、お店で先生と仕事の打ち合わせを終えて、外に出た時、壁面のディスプレイに見つけたのがこの置物でした。
「わ〜、先生これめちゃいいじゃないですか!この置物なんなんですか?誰が作ったんですか?」私は一目見てトリコになってしまいました。
「これはな、かいかんいっしょうというやつだよ」
「かいかんいっしょう…?」
漢字で書くと「開巻一笑」。
でも、それがこの置物の題名なのかなんなのかはよく分からずじまいでした。カフェをプロデュースしている人が見つけてきたのか、骨董品屋が先生のところに持ってきたのか…ちょっとの間の立ち話で、根掘り葉掘り聞くのも悪いと思って、写真をとるだけにして後で家に帰って調べることにしました。
「開巻一笑」を調べると中国の明代の笑話集らしい。日本でも訓訳されて読まれていたようです。
「開巻一笑」で検索して出てくるのは笑話集のことだけで、置物の情報は出てきません。
この置物の名前ではないかもしれません。ハゲ三老人が読んでいる本が「開巻一笑」なのか、この状態が「開巻一笑」なのか。置物の本には題がついていないから、状態のことを差して先生は言ったのでしょうか。
見たところ一点ものではないと思いました。先生の口から作者名が出てこなかったことからして、工房かどこかで作られた職人の仕事だとにらみました。
欲しいには欲しいが、本気で探すとなると玄人(骨董屋)の手を煩わすことになると思ったし、その筋に親しい人もいないし、早々にあきらめました。基本、物欲がないのでね。
あれからそろそろ1年が経とうとしていた時に、スマホの中の写真を見返していて、ふと思い出したようにツイートしたというわけなんです。もっとも本気で見つけようと思っていたわけではないし、単なる暇つぶしのつぶやきにすぎなかったのですが…。
7月7日、ついに我が家におじいさん達がやってきました。
置物は私に譲ってくださった方(くじらのとけいさん)の義理のひいおじいさんの持ち物だったらしい。
ひいおじいさんは今はない阪和鉄道という会社で設計士として働いていらしたようです。古い家を取り壊す時にこの置物の存在を思い出したものの、事情を知る者はもうおらず、新しい家にはこの置物を飾る場所もなく、埃をかぶったままだったということです。
さて、丁寧に梱包された箱の中から取り出した置物は大方の埃は掃除されていましたが、長年積もってこびりついた埃や黒ずみが取れなかったので、歯ブラシに水をつけてこすってみました。一番右のおじいさんからです。するとハゲ頭の地肌が見えてきました。
さらにこすっていると、アレ?色も落ちてない?とヒヤッとしたのも手遅れ、右のおじいさんの着物の襟元が消えてしまいました。
僕はてっきりこの置物は焼き物だと思っていたのですが、どうやら粘土か石膏でできた塑像のようです。
叩いてみると焼き物のような高く乾いた音がしません。それにさっきから水をかけても流れ落ちるだけでなく、いくぶんか染み込んでいるような気がしないでもなかったのです。
部屋中に独特の匂いがしはじめました。たぶんこれは石膏の匂いでははなかったかな。
洗浄後。右のおじいさんの襟元の色がハゲてしまいました。
もともと元どおりに復元するのではなく「隠」で見た置物に印象を近ずけるつもりでしたので、とんでもないことやっちまった!とは思いませんでしたが、びびったことは確かです。焼き物じゃなかっとはねぇ。
ひっくり返してみると、中がくりぬいてない。焼き物は中をくり抜かないと、焼く時に破裂すると聞いたことがあります。
水洗いした後の、この土人形のような素朴な感じも悪くないですね。迷いましたが、でもハゲ頭は光っていて欲しい。
乾いてから、指でおじいさんの頭をこすってみますと、指の油で頭が光り出しました。
なるほど。
左のおじいさんの欠けている指は粘土で補修しましたが、右のおじいさんの持っている手あぶり火鉢の取手は復元しませんでした。
でも、なかなか「隠」で見た雰囲気に近づけません。
でも、本の表紙の模様は芸がこまかい。
色もだいぶ違うので、何人かの職人さんが塗っていたのでしょう。
私の置物では、左のおじさんの羽織の紐がないのですが、代わりに金具がついています。羽織の紋も「隠」とは違います。
火鉢の柄も違う。私のはラーメン丼の模様。でも芸が細かいのは、火鉢の表面が焼き物のように細かく亀裂が走っているところ。ここだけ焼き物かと思いましたが、そうではなく、ここも石膏?のようです。炭もちゃんと入っています。
毎日、ちょこちょこ手を入れながらこの置物を眺めています。
何が好きかって、ま、この雰囲気が好きなんだけど、ある種自分の理想のような世界です。この仲間に入りたい。
私の髪型はまもなくこのおじいさん達と同じになるのですが、ハゲも悪くないと思わせてくれます。そういう意味でも好きかな。
のぞいているのは一休さんと蜷川新右衛門さん。ま、いつものお得意のってやつですが、実は芳澤勝弘先生、アニメ「オトナの一休さん」の監修もされていて、去年打ち合わせで行ったのも田辺の酬恩庵一休寺から頼まれた頂相(禅僧の肖像画)を描くための打ち合わせだったのです。
今度先生に会うことがあったら報告しなければ。あ、そうそう、くじらのとけいさんも京都にお住まいだということで、この置物は京都のどこかで作られていたのかもしれません。
以上、「開巻一笑」後日談でした。
おわり。
追記。ブログを読まれた芳澤勝弘先生より連絡をいただきました。「開巻一笑というのは小生の命名です」「10数年前にパリで出会ったあるご婦人からいただいたもの」とのことです。