猫と猛暑
前にもこのブログで書いたかもしれないけど、猛暑日が来るたびに思い出すので、また書いてしまおう。
今朝は、火曜と金曜の朝にやっているジョギングの日だった。近所で小さな喫茶店をやっているおじさんと走っている。走っている時間は20分ほど。おじさんの店はものすごく狭いので、喫茶店をやっているといえども、おじさんは慢性運動不足。もちろん、座り仕事の僕も運動不足。そんな二人にとって唯一の運動が週に2回のジョギングなのだ。一人だったら絶対に3回で走るのをやめているが、相手が待っていると思うと続けられる。かれこれ走り始めて1年半が経つ。
そして一年を通して同じ時間に外に出ると、季節の移ろいゆく様子がわかるのである。季節ごとに入れ替わる植物の栄枯盛衰物語も、カラスの出勤時間の変化も、そんでカラスに荒らされまくったゴミを(火曜と金曜はちょうど燃えるゴミの日で、生ゴミが散乱しているのをよく見かける)、人知れず近所のおばちゃん達が、向こう三軒両隣の精神で掃除していることも、走り始めるまでは知らなかった。
美しい国ニッポンはこのおばちゃん達(年齢でいうとおばあちゃん達)によって保たれているのだ、間違いなく。おばちゃん達が掃除をやめれば、たちまち道路は、生卵の殻や、キャベツの芯や、濡れた紙くずが放つすえた匂いで満ち、それを目にしてモラルが下がった住民がゴミをポイ捨てして、街はスラム化するだろう……て、この話も前に書いたのだが、この話をするつもりじゃなかったんだ。また書いてしまおうというのは「気温の話」だ。
昨日、東京も梅雨明けして、巻き返しをはかるかのように急に暑くなった。猛暑、猛暑、猛暑。朝のジョギングですでに30度は軽く超えている。去年は危険を感じたので、集合時間を7時半集合から1時間早めた。ジョギングじゃなくても、昼間に歩いて5分ほどのスーパーに買い物に行って帰ってくるだけでも、ダメージがでかい。そんな時に思い出すのが、10年ほど前にバイト先の喫茶店で小耳に挟んだ会話だ。
誰だかわからないが、ウチの店で取材を受けている先生のような人がいた。いつもライターか編集者を前に、動物の話をしていた。だから動物に詳しい先生だと思う。この先生が語っていたことを小耳に挟んだ。
先生は「動物の進化に一番関係しているのは気温なんだ。気温の網が全ての種に覆いかぶさり、網をかいくぐれた種が繁栄し、かいくぐれなかった種が滅ぶということなんだね」みたいなことを言っていて「なるほどなー」と納得したのだ。
確かに気温の変化は全ての生き物に一様に影響を持っている。平均気温が、2、3度上がるだけで、生きられない種はいるんだろうな。逆に気温が変化したことで勢力を増す種もいる。
猛暑日の炎天下を歩いているだけで死にそうになるたんびに、私はこの先生の話を思い出してしまうのである。
猛暑は人間という種に覆いかぶさる真っ赤な網なのだ。
……はい、以上が「思い出す話」で、これで終わりなのだが、随分前に「チコちゃんに叱られる!」を見てたら、この先生が出ていた。
動物学者の今泉忠明さんという方だとわかった。
「猫はなぜ魚が好きか?」という回だったと思う。猫は小さい時に食べていたものを好んで食べるようになるので、世界にはトウモロコシを好んで食べる猫もいれば、パスタを食べる猫もいるらしい。らしいというか実際にパスタを貪り食う猫の映像が流れていた。日本はまわりが海だから人間の手から魚を与えられ、猫は魚好きになるのだ。
そういえば、高校の頃、校庭に住み着いていた猫にバッタをやったら、バリバリ何匹も食べていたので「猫ってバッタも好きなんだ〜!」と驚き、家に帰って自分とこの猫にバッタをあげても、食い物とは認識せずに、ただバッタをいじめていたことがあったが、それもそういう理由なのだろう。
ひょっとして、この話も前に書いたかも知れない。
しかし、遡って調べたりはしないことにしている。
人生も後半戦に入れば、誰しも、同じ話を繰り返すだけになるので、許されることになっている。
仕事じゃないし。