新訂 日本の歴史
今日から消費税が10%に!……なんてことは誰でも知ってるけど、このブログは私の週間日記でもあるので、あとで読み返したときに、そうかこの日か、と思い出すように書いておきます。バカヤロー!
さて、韓国の話になると俄然盛り上がる大学の先輩のKさんという友達がいるのだが、Kさんは「歴史というのは例えるなら、山の稜線と、その山自体を形作っている全体だ」とよく言う。
我々が教科書なんかで知る歴史というのは、山の稜線の部分だ。今日消費税が上がったこともそこに記されるだろう。稜線の下にある山の形を作っている全体の中には、我々が生きている今の暮らしが入っている。個別にすべてを見ていくことは難しいし、仮に見れたとしてもそれだけで解明できるものでもないかもしれない。人間の人生が虚実がないまぜになって作られているように、歴史の稜線もまた生き物のように……いや、この話の広げ方は失敗だ。
今日は下書きなしで、ブログにそのまま書き込んでいるので、普段なら消去して書き直すところだが、このまま続けよう。そう、今週は歴史関係の連載を紹介したかったので、歴史に関するエピソードで導入したかったのだ。だが、失敗しました。
えっと、UCカードの会員の方に送られてくる「てんとう虫」という雑誌があるのですが、小和田哲男さんの新連載「新訂 日本の歴史」に絵をつけています。
歴史の授業で習ったことも、その後発掘調査や新史料が発見されたりして、今は違うとされてることが色々あります。この連載では、現在の歴史の”常識”を時代を下りながら紹介していきます。
第一回目は、縄文時代にすでに稲作が行われていた、という事実。
弥生時代になって稲作は始まったと習ったけどね。
縄文時代は紀元前1万年から始まってて、めちゃ長いので、草創期、早期、前期、中期、後期、晩期の6つに分けられているが、前期にはすでに稲作(陸稲)が始まっていたようです。
縄文時代、弥生時代って区切りがあるけど、実際「はい、今日から弥生時代です」ってなったわけではないので(縄文時代、弥生時代っていう呼び方も当時ないし)ゆっくりゆっくり変わって行ったんだろうね。
可能性としては親子の世代間で、縄文から弥生に変わった家族もいるかもしれないじゃん。
人間という生き物は、今も昔も「最近の若いやつは……」って絶対言うに決まってるんだから。「こんなつるつるした土器作っちゃって」とか絶対言ってたって。そんで若者は「おやじ、米は水田で作った方がいいんだよ」と言ってたと思うね。
2回目は、聖徳太子はたぶんいなかった、という事実。
すでに最近の教科書では厩戸王(聖徳太子)と書かれているらしい。もっとも厩戸王は実在の人物なのだが、我々が知る数々の業績を残した聖人、聖徳太子というのは、お札の肖像画も含めてのちに作られたものだったのだ。
たぶん、聖徳太子が実在したかしなかったかの釈明記者会見を開いたらこうなったりしてね。
聖徳太子は信仰にもなって歴史の中で一人歩きし、我々の時代まで生き長らえてきたわけだが、では誰が最初になんのために聖徳太子像を作ったんでしょう。気になりますねぇ。