ネットのバランス
このブログの原稿は今朝5時に起きて書いている。
昨夜は22時半にはもう寝てしまった。その前に17時から20時までも寝ている。どうしたことか。
いや、理由は明白。最近買った自転車で新宿三丁目の「世界堂」まで画材を買いに行ったからだ。
行きは30分、帰りは違う道を試したため、遠回りして40分。電車に乗れば15分くらいで着くというのに。
家にたどり着く前に、コンビニで、ビールのロング缶一本とクリームパンを買った。普段ならさして興味のないクリームパンが無性に食べたい。ただ、クリームパンは小さいのが5個くらい入ったやつしか売っていなかった。
結局、ビールだけではおさまらず、日本酒も少々飲んで、ついでに晩御飯も食べて(クリームパンも全部食べた)横になったら寝ていた。
20時に起きると、全身がだるい。
自転車を買って約一ヶ月。どこにでも自転車で出かけたい年頃。昨日は絶好のサイクリング日和だった。
それにしても、サドルに座ってただ漕いでいるだけで、自転車は疲れるな。
先日も50分かけて練馬まであるトークショーを聞きに行き、ワンドリンクの瓶ビールを飲んだせいか、ウトウトしてしまった。しかも最前列で。
疲れも含めて、自転車で出かけると何か「やった気」になる。
本来原始時代なら、全部自分でやっていたことを、便利な道具や、分業制によって、自分でやらなくて済むようになったが、それをわざわざ自分でやると、たいてい何か「やった気」になる。やりがいも楽しさも、バカみたいに近いところにある。
高校生の時は、片道40分(しかも半分は坂)を毎日自転車通学していたが、やりがいも楽しさも一切感じなかった。
今乗っているクロスバイクはママチャリと違って性能がいいので、坂道もスイスイだし、基本、乗っていること自体が気持ちいい。なんだよく考えたらこれも、完全に文明の利器の上に乗っかった快感ではないか。
さて、こういうどうでもいいことを書くのも、ネット全体のバランスをとるためである。
いや、僕のブログを読んでいる人なんて超少ないので、ネット全体のバランスなんて取れるわけがないのだが、立て続けに、自分の正論、役に立つ話、美談、悲話、憂国談を読まされると、せめて自分は違うことを書きたいと思ってのことであって、決して書くことがないとか、火曜日だから無理に更新しているとかではないのである。
おわり。
……としたいところだが
「南の島の瑠璃」
これは宮古島の昔話を頭木弘樹さんが「再話」したもので、福音館書店の「母の友」に載っています。頭木弘樹さんの沖縄昔話の再話に絵をつけるのは二度目だけど、沖縄の昔話ってなんか独特なんですよね。すごくいいです。
これは芸術新潮で今月からはじまった展覧会評、「藤田一人の展声人語」のポンチ絵。
展声人語ってタイトル最高ですな。あいちトリエンナーレを取り上げています。
昔から表現者というのは、社会との摩擦を巧みに回避しながら、したたかに表現してきた。権力が規制をかけてきても、工夫して、ギリギリの線を狙って容認さざるを得ないようにして、やるっていうのが ”芸” というものではなかろうか、というのがテーマであった。
ギリギリ芸ならアキラ100%でしょ。
もっといろんなことが書いてあるので、ぜひ芸術新潮の「藤田一人の展声人語」を読んでください。
この絵をツイッターにあげたら、ネトウヨの人に、いいね、とリツイートされてしまった(笑)。ネット全体のバランスからすればこの絵はゆらゆらしてるということだろうか。ま、一応は応援してるんだけどなぁ。