時代物について、その1
下は12年前に描いた絵。当時はこんな感じの「マゲもの」ばかり描いていた。まだイラストレーションというよりは絵画的気分が濃厚である。なぜこのような絵ばかり描いていたかを、今回は述べてみようと思います。「ひなたぼっこ」
イラストレーションの父は「絵画」であり、母は「デザイン」である。何をどう描けばイラストレーションとして成立するのか、デザインから考えた方が答えは導きやすい。イラストレーションはデザインから分業されたものだから。しかし当時、絵の勉強だけしていた私は、なかなか糸口がつかめなかった。小手先で描いたイラストレーションで仕事は経験済みだったが、この先通用しなくなる予想はついていたので、何かもう少しズッシリとしたものを押し出して行かねばいけないと思っていた。そんな時「時代物」なら目的がはっきりしていて修行するにはいいと思った。それに当時は若手の少ないジャンルで、ここの空き地は狙うしかないと、野心がモリモリ湧いてきた。
ところで、「浮世絵」の世界と、写真に残された幕末の頃のご先祖様の姿がかけはなれていて、最初はどうも頭の中で結びつかなかった。西洋人ジョルジュ・ビゴーの描いたスケッチは、なるほどこうだったろうと、納得がいくが、浮世絵の中の先祖達はかなりデフォルメされている。この洗練された美意識は今の日本人からはだいぶ失われてしまった。江戸時代は「浮世絵」と「写真」と「ビゴー」をミックスしたところにある。そのミックスをする場所は頭の中にしかない。他にもミックスする材料はあるし、調合も各人各様なのだが、本筋は外したくない。アニメ顔の時代物なんて許せないのだ。「時代物」の本筋は何も、浮世絵、日本画系のみにあるあけではない。ビゴーの絵も本筋である。ここにヒントを見いだして、非浮世絵日本画の時代物を描いてみようと思った。ビゴー「東京芸者の一日」より
幕末江戸を訪れた外国人の記述に、日本人は夏はほとんど裸で道を歩いているとあった。まず最初に「裸婦」の時代物を描いてみた。気分はゴーギャンで。これが冒頭に載せた絵だ。この「新しい時代物」の計画は図にあたり、初めて出した「イラストレーション」誌の「チョイス」で一発入選し、特別賞をもらったが、世の中そうはうまくいかなかった…。(次週につづく)