伊野孝行のブログ

ゴーギャン展に行った

ゴーギャン展に行ってきた。タヒチには行ったことがないが、たぶんゴーギャンの絵に描かれているようなところではないと思う。このあいだテレビで見たけど、ハワイのようなところだった。誰もが思い描く楽園。しかしゴーギャンの絵を観て楽園だなんて思えない。神話の絵巻をみているようだ。善も悪も生も死も未分化で、友達のように寄り添う。文明開化された自我の中から無意識が覚醒し、ジャングルの奥には自分を投影できる闇がある。それがゴーギャンのタヒチであり、それはまたゴーギャン自身の姿なのだ。印象派の画家達は身近なところでモチーフを見つけている。それが新しかったのだが、ゴーギャンは海を越えてしまった。最後は非業の死を遂げた。ゴッホにしろセザンヌにしろ昔の芸術家の覚悟はすごい。芸術家で最も大切なのは腹をくくることである。美術館の常設展では萬鉄五郎も観れた。ゴーギャンに似てるところがあると思ってたが、実際さっきゴーギャンを観てきたばかりの眼でみると、全然似ていなかった。間近に観ると鼻の穴がでかかった、脇毛もあわせて、これ以上小さくてはいけない必要な大きさである。萬鉄五郎はキュビズムっぽいのも描いてるが、これもちゃんと萬鉄五郎の絵になっている。また他に、木村荘八の大作「新宿駅」が観れて感激であった。木村荘八の描写力は挿絵画家であったことにより鍛えられた面もあると思う。当時の風俗、新宿駅を知る上で写真では映らない雰囲気を知ることができる。単なる画家ではできない芸当である。画像がなくて残念。