朝青龍、封建主義、長屋門
日曜日の大相撲千秋楽は、またまた朝青龍にしてやられたね。白鵬も勝たなきゃ男がすたるから、是非勝たしてやりたかったけど。でも、こういうときに必ず勝つのが朝青龍。そしてガッツポーズもあえてやったと見た。相撲や歌舞伎は封建主義をしいているからこそ、未だにその世界が維持されている。昔からの決めごとは守らなければならない。深い意味など考えなくてもいい。いちいち疑問を抱けば崩壊してしまうだろう。僕は封建時代に生まれた物事が好きだ。
相撲道?神事?それが何なのか、どっちにしろ人間がこしらえたものだから根拠はあいまいなものにちがいない。それに従っていれば間違いがなく、伝統に裏打ちされた美しさ、説得力があるものだ。でも…だからといって、絶対それに屈しなければいけないのだろうか?人間がこしらえたものなのに、それに逆らっちゃいけないの?人間の自由意志、朝青龍のガッツポーズを見てそんなことを思った。
えー、枕が長くなりましたが、えー封建時代というものは、もの一つをとりましても、いちいち格式がありまして、門というのも、身分によって、こういう門にしなければいけない、なんてことが決められておりました。「野生時代」に連載中の「通りゃんせ」の挿絵から「長屋門」の場面です。門の両側が長屋になっておりまして、顔を出してるような武家奉公人が住んでおりました。たいした絵ではございませんが、あしからず。