伊野孝行のブログ

倫敦の旅、その3

さていよいよゴッホを観る日がきました。場所はギルの彫刻を観たのと同じ王立芸術院です。ゴッホ展は時間ごとに区切られた予約制です。なので混んではいますが、イライラするほどではありません。日本もこうできないものでしょうか。

この展覧会「真実のヴァン・ゴッホ/芸術家とその書簡」はロンドンでも40年ぶりの大規模な展覧会で、タブローが65点、ドローイングが30点、破損しやすくめったに公開されない手紙が35通展示されています。カタログのまえがきには、手紙からわかることは「ゴッホの狂った天才という神話のかわりに、思慮深く、高い教養のある人物で、系統だった仕事の方式(メソッド)と注意深く考えた芸術的な戦略をそなえていたのだ」と書いてあります。(Kさんの訳)狂気の画家というイメージをくつがえそうとする展覧会なのです。展覧会はこの絵から始まります。画面の右下にあるのが、そう、ゴッホの手紙です。

ゴッホに対する誤解…僕も以前は誤解していました。たとえば「炎の人ゴッホ」に描かれているようなゴッホ。それはそれで感動的なのですが(最近、映画の「炎の人ゴッホ」を観たが、面白かった。とにかく全員ソックリで、絵からそのまま飛びでてきたようである)やはりそれは裏側から見たゴッホの人生なのです。ゴッホの表側はもちろん「絵」を観ること。いかに絵に取り組んでいたか知る方が、変な謎につつまれなくていいです。

さて、本物の前に立ってどんな気分になるのか?あと確認したかったのは、色です。中間色の使い方がほんとにうまいなぁ、と思っていたので実際はどんな色なのか見たかったのです。印刷だとそれぞれに違うから。色は思っていたとおり綺麗でした。くっきりとして透明感がある。そして思いのほかどれも大きかった。野外にもかなり大きいキャンバスを持っていったのですね。

ゴッホほどスターをたくさん抱える画家はいません。ひまわり、糸杉、イス、跳ね橋、アルルの寝室、夜のカフェ、自画像…。それは何でも描いたからそれだけ数が増えたのでしょう。例えばナショナルギャラリーにあった、ただ一面草地を描いただけの作品など、こんなところをよく絵にできるなー!と感心してしまいます。絵を描き始めた初期に手紙の中ですでに語っています「「頭を刈り込んだ一本の柳をあたかも一個の生き物(たしかに本来そのとおりだが、)であるかのように描こうとするとき、注意をすべてその木に集中し、そこになんらかの生命が吹き込まれるまでたゆみなくやり続ければ、おのずからそれを取りまくものは大方それに応じて出来上がってくる。」

成熟期には、もうなんでも絵に出来るのだという自信が光っています。ゴッホが描いたのはたったの10年間。この展覧会を観ただけでも、その時間が千年にも値するものであったのがわかります。考えられない充実。自分の10年と照らし合わせればなおさらです。ああ、出来るなら最初の一枚から、最後の一枚までを並べて追って行きたい。秘密を探りたい。

初期の頃の絵は確かに暗い絵が多いのですが、この暗さも後年明るく反転するには必要。この時期をじっくり観ると、才能が爆発したときにカタルシスを覚えるので気持ちをこめて観ます。そんな中でゴッホの素晴らしい鍛錬をみました。この絵です。

こんな難しいアングルから何枚も描いていました。なんとか画面に納めてみせるぞ、と格闘していました。ゴッホの恐るべき技術力はこういう努力の果てに身に付いたものだと思うと、また感動です。ゴッホの絵はどれも画面の骨格が太く色の構図がしっかりと出来上がっています。主題には外から演出を加えず、そのもの自体の中から何かをひっぱりだしてきます。最高傑作のひとつ「ゴッホの椅子」なんてただのありふれた椅子なわけですから。

ホックニーがゴッホについてこう語っていました。「私はいつもヴァン・ゴッホに強い情熱を傾けて来た。それは確実に、70年代初期から大きくなり始め、今も大きくなり続けている。それが実際いかにすばらしいかをさらに意識するようになった。どういうわけか、それが私には一層リアルなものに思えた。」そしてヴァン・ゴッホのもとに遅くやって来たのを後悔していると付け加えていました。僕とホックニーと比べるのは大きな間違いではありますが、この気持ちは今、特にわかります。僕は初めて好きになった画家がゴッホでしたが、今のようにちゃんと戻ってくるまで時間をとりすぎたと少し後悔しているのです。

さて今年の秋にゴッホが日本にやってきます。またまた3分の1は他の人の絵が混じってるみたいですけど。ロンドンはもちろん混じりっけなし。行った甲斐があるな〜。でも油絵35点と素描30点あるらしいですから、必見。顔に包帯を巻いて、パイプをくわえて見に行きましょう!国立新美術館ゴッホ展

ロンドン旅行記というより、ただのゴッホの感想になってしまいました。今回をもってロンドン報告も終わります。お付き合いありがとうございました。お別れはこの曲で。僕のゴッホのテーマソング、大好きな曲です。ジョナサン・リッチマン「Vincent van Gogh」