伊野孝行のブログ

70年代なんて知らない

10月3日からはじまるグループ展「70年代なんて知らない」に参加します。

グループ展の主催者の阪口笑子さんに「70年代をテーマにした展覧会をするから参加しない?」と誘われた時に「ぼく、70年代って知らないんですよ、70年代なんて知らない、というタイトルだったら参加できるかも…」と答えたら、それがそのまま展覧会の名前になってしまいました。

僕は1971年生まれなので、70年代は小学2年の時に終わっています。実質「70年代なんて知らない」んです。小学校の学区域の中だけで生きてましたので。いや、それだって立派な70年代体験ですけどね。

そういうものを描いてもいいんですけど、DMは一応わかりやすい70年代的なものにした方がいいかなと忖度して、結局いつものポンチ絵です。万博と三島由紀夫割腹事件は1970年なので、幕開けですね。

だいたい我がイラスト界も80年代リバイバルブームだっていうのに、そんな最中になぜか70年代。
高校生の頃、『1970年大百科』(JICC出版局)という本を買ってしげしげと見ていた記憶があります。
古臭いと思ってたわけではなく、一種の憧れを持って自分の知ってるようで知らない世界を見てたんですが、当時は60年代70年代がプチリバイバルしてたのかなぁ。田舎にいてもよくわからなかったけど。大学の頃にベルボトムのジーンズが流行りだしました。
中学高校時代は80年代だったから、80年代は知ってるんです。それが、30年以上すぎた今、リバイバルブーム。
でも80年代リバイバルブームも最近はやや食傷気味。
ブームに乗っていないので、なるべくなら終わって欲しいんですが、かと言って70年代ブームがきて欲しいとも思いません。ぼくがきて欲しいのはイノ・ブームなんですけど、来ないっすねぇ。
ルネサンスはギリシア・ローマ時代をもう一度!ということだったし、鎌倉時代の運慶は、奈良時代の仏像が持っていた写実性に再び挑みました。
リバイバルブームも、現在に欠けているものを過去に探しに行ってるということなんでしょうか。
それとも単なるファッションなんでしょうか。ズボンの裾が広まったりすぼまったりすることに理由なんていりません。流行は人間社会の健康を維持するためにも必要なことだと思います。だからファッションだとしても批判する気はないんだけど。
どんな絵が並ぶのかわかりませんが、参加メンバーはこの方々です。
【参加作家】
吉岡里奈/中村幸子/ごとうえみこ/高田理香/水上多摩江
井筒りつこ/メグホソキ/スガミカ/山崎綾子/櫻井砂冬美
小池アミイゴ/早乙女道春/山崎杉夫/伊野孝行/阪口笑子
珍しく、年齢的に下から2番目!(先輩方は70年代をよくご存知でしょう)最年少は吉岡里奈さんで、ぼくよりグッと若いですが、知ったような顔をして昭和のナツエロを描いています。
「ギャラリー自由が丘」というところで10月3日から9日までやっています。
オープニングパーティーはありませんがたぶんメンバー達も顔を出していると思います。

手のひらサイズのテキトー

今週金曜日からはじまる「手のひらサイズのオブジェ展」という84名も参加するグループ展に、テキトーに作ったオブジェ(?)を出しますので宣伝します。適当というのは、学校の時にテストにあったでしょ、「適当な答えを書きなさい」というのが。そっちの適当ではなく、いい加減な意味での適当です。いい加減も「あら奥さん、お塩、ちょうどいいお加減よ」という意味でのいい加減ではなく、「あいつってほんといい加減なやつだよな」のいい加減です。植木等的な意味です。植木等の歌や映画はご覧になったことがありますか?無責任にテキトーに生きて、しかもうまいこといっちゃう植木等を見てどう思いますか?サイコーじゃん!と思いますよね。

植木等(演じる、歌うところの主人公)はいい塩梅をねらって何かをやったわけではないのです。本当に適当に生きてるだけなのです。いつかそんな風に生きれたらいいよな、とか言って真面目に生きていると、単に年をとってゆるくなるだけで終わるでしょう。私なども常にテキトーな絵を描くことを心がけております。

ところが、絵というのは、いくら絵がいい加減であっても、紙はいつもピシーッと平らなのです。仙厓さんのひたすらゆるい禅画も、ピンと軸装されているのです。
そこで今回の出品作は、絵を描く前のカタチもいい加減に作ることにしました。粘土で作っていますが、いい加減を装ってるわけじゃなくて、本当にヒョイヒョイとやってます。絵付けも超テキトーです。
今回は販売もありなので、売る予定ですが、こんなに適当に作って一体いくらの値をつけるのでしょう?
植木等ならめっちゃ高額にするだろうな〜(笑)
会場にはこのおじいさんたちは連れて行きませんが、数年前に作った幽霊のモビールも飾る予定です。季節外れだけど。
というわけで、暇な人は見てやってください。暇でなかったらいいです。
昨日おとついと、京都に行って灼熱の中を歩き回ってたので、今日はバテてます。
昨日、京都の秘境で出会った仙人の写真です。
ではみなさんさようなら〜。

さぼるための更新です

今週はわけもなくブログさぼりたい。それでも10年間毎週更新しているので、間を開けるのが気持ち悪かった。さぼるための更新です。なさけないです。寝転びながら描いた絵でもご覧ください。来週は立ち上がるんだ〜、亀よ〜!

『私のイラストレーション史』

〈この本は、私が生きた時代に目撃した「日本のイラストレーション史」を記録しておこう、と企画して書きはじめたのです。〉
南伸坊さんの『私のイラストレーション史』のまえがきの書き始めです。
もちろん、イラストレーション以外の話もたくさん盛り込まれています。
「絵びら」屋さんの店先で手描きポスターのできるのをジッと見つめる南伸坊(当時は伸宏)少年。
いろんなきれいな色が作業的に塗られていく。はじめのうちは何が描いてあるのかよくわからない。そのうち、墨が入って輪郭ができ、何が描いてあるかわかるようになると、伸宏クンはこう思うのです。
〈最後に使うのが赤と黒で、目鼻やリンカクが描かれて絵が完成していくのだったが、コドモ心に、そこに本日開店だの、出血大売り出しだのと文字が書き加えられていくと、なんだかせっかくのキレイな絵が台無しになってしまうのがとてもザンネンだった。〉
う〜ん、とてもよくわかる!わかるよ!とオニギリ頭を思わずナデナデしたくなります。
デザイナー志望のきっかけは小6の時に行った、親戚の家の床の間に飾ってあった明朝体のレタリング。
それはその家の娘さんの作品で、彼女は年上の美人だったので、お姉さんへの憧れとともについデザイナーになろう!と思ったのです。
のせられて立候補することになった中学校の生徒会長選挙では、15枚のポスターを全部違うデザインにするという凝りようで、結果、教育的な意味合いは別にして断トツで当選してしまい、いまだにこれを超える効果のあるデザインやイラストの仕事はできていない……なんてエピソードも可笑しいが、早々と本質的なイラストレーション体験をしているのがスゴイなぁ。
イラストレーションのことを語ると自然に他のものも引きずってくるのは個人の体験が核になっているからですが、逆にそれがない「イラストレーション史」なんて面白いのかな?と思います。
確かに『私のイラストレーション史』は個人的な話には違いないんですが、この本に書かれる伸坊さんの少6からガロの編集長時代というのは、ちょうど60〜80年代のエポックメイキングな時代がまるごと入っているんです。
貸本屋で借りてきた水木しげるの『河童の三平』の一コマが心に焼き付いた話。
〈お茶漬けなんかを、サラサラサラと食べた後、三平がだだっぴろくなってしまった座敷で、ゴロンと横になってるところ、寝返りをうって横向きになったりしてるところの、絵の完成度はどうであろうか。すばらしい!こんな絵は水木しげるでなくてはゼッタイ描けないし、何度見ても釘付けになってしまう。〉
伸坊さんは小学生の時にお姉さんとお父さんを亡くされているので、この『河童の三平』を読んだ中学生の時、コマの中の三平を昔の自分を見るように見つめていたようです。
これぞまさしく名画との出会いじゃないですか!
『河童の三平』って友達探しの旅みたいな感じもして、ぼくが読んだのはずいぶんな大人になってからですが、ちょっとさみしくて、なんかジーンときちゃうんですよね。
高校の先生が教えてくれるデザインのセンスはもう古臭いと思ってたし、その生意気な鼻っ柱をクスクスくすぐって嗅覚を刺激する、新しい時代の絵やデザインは、もう本屋さんやポスターの中に出てきつつあったのです。
何しろ時代は60年代。
そして1966年『話の特集』が創刊されます。
〈話の特集』創刊号を買って、勇んで教室へ行った日のことは、いまでもよく覚えている。遅刻ぎみに教室へ入ると、人だかりがしている。のぞき込むと、人だかりの中心に、秋山道夫がいて『話の特集』を机の上で開いていた。〉
おー!!なんかすごいっすね。
『河童の三平』の一コマが水木しげるでなくてはゼッタイ描けないように、それは和田誠さんでなくてはゼッタイ作れない雑誌だったのです。
まさに新しい時代の若者たちの表現。
新しい時代は新しい表現を選ばせるのです。
出来たて一番アツアツのときに、腹をすかせてガブッとかぶりついてる感じが、こっちまで伝わってきて、お腹が空いてきます。
ぼくは自分が生きていない時代のことは、つまみ食い程度にしか知らないんだけど、案外つまみ食いがそのまま自分の大事な部分の血や肉になっている気がする。
つまみ食いって腹にしみわたるんですよね。
もっとちゃんと食べたくなっていたので、この『私のイラストレーション史』は待ちに待ってた本でした。
とっても満足感あります。それだけでなく、さっきも言ったようにまたお腹が空いてくるのです。
〈結局、傑作を作らせるのはいつも傑作なのだ。優れた作品に出会うというのが一等強力なモチベーションである。〉
というのもすごく納得できますね。自分もこんな世界を作ってみたい!と激しくそそのかされてぼくもはじめたんだと思います。
〈芸大をめざして、都立高の入試を受けたが失敗、定時制にもぐり込んで夏休みに転入試験を受けたが失敗、やっとこ翌年に工芸高校にギリギリ入学したものの卒業時には赤点で追試、追々試でお情けの卒業はしたものの、芸大入試を失敗、失敗、失敗と、あらゆる試験に落ちまくり、結果、試験のない「美学校」へ入学することになったこと、その学校がめちゃくちゃおもしろかったこと、その時期があったからこそ、無試験で『ガロ』の編集者になれたこと。
とすべての一つ一つは、承知していたことだけど、そのすべてがそれぞれに有機的に関係していて、そのすべてがムダじゃなかったばかりか、少しのムダもなく、まるで予め決められていたかのように推移していったのだ。〉
めちゃクレバーな頭の伸坊さんですが、意外にも試験という試験に落ちまくりなのところが勇気づけられるじゃないですか……っていうか試験ってなんなんだろね?
この本を読んでいると、伸坊さんの人生はこうやって、つまづいて、曲がって、伸びて、絡まって……とそれにしてもうまいことできてんな〜と思わずにいられない軌跡を描いています。
誰しも海図のないまま海に漕ぎ出だすのが人生だけど、自分が好き、面白いということで舵を切って行けば、そして『ガロ』の編集部に入って長井勝一さんに学んだという「優れた作品に対する感謝」の気持ち、「楽しませてくれた人を尊敬する」気持ち、を持ち続けていれば、自然に導かれる必然性のようなものがあるのかもしれないですね。
〈ほんとなら『私のイラストレーション史』なんていう地味なタイトルじゃなく『読めば3分で運がよくなる本』としたいくらいですが、そこは人柄が奥床式だから……。〉
はははは。
この本の中の最重要登場人物、和田誠さんと赤瀬川原平さん。伸坊さんが尊敬するこのお二人の直接の交流は少ないと思うし、作物には相反する(?)ようなところもありますが、南伸坊さんには和田さんと赤瀬川さんの両方が色濃く入っていて、伸坊さんの中で合体している。これは後で生まれた人の中でしか起こらないことです。このことを考えるとけっこうグッとくる。
自分はそんなこと出来てるのかなって反省もする。
ご存知のように、イラストレーターでもあり、デザイナーでもあり、編集者でもあり、エッセイストでもある伸坊さんでなくては書けない本だし、「私の」と断っていますが、最も大切な要点を押さえたスタンダードな日本のイラストレーション史だと思います。
マンガ史やサブカルチャー史とも交わっている点においてもね。
そう、マンガとイラストが交わるということにおいては、伸坊さんが『ガロ』の編集長をやってる時に、安西水丸さんや湯村輝彦さんにマンガを描いてもらったのなんか、外すことのできない重要な歴史なんですよ。
イラストにとっても、マンガにとっても、メディアにとっても。
ぼくだったら自分のお手柄にしちゃうところだけど、そこは伸坊さん、人柄が奥床式だから……。
いや〜、いつもは適当にブログを書いているのですが、ちゃんと書かなきゃと思うとかえってうまく書けないもんですね。
ま、ぼくの紹介が面白くなくても、本を読んだら絶対に面白いと思うので、必読中の必読図書、オ・ス・ス・メです!
おわり。

興福寺と大徳寺の番組

去る4月15日、ノートルダム大聖堂で火事が起きた。

ニュース映像を見ながら「ああ、なんということだ!」と思っている自分と、「おお、塔の部分はこうやって焼け落ちるのか」と思っている自分がいた。なぜなら私は2月中旬からほぼ一ヶ月に渡り、NHKの『歴史秘話ヒストリア』のために、奈良の興福寺が燃える絵ばかりを描いていたからだ。

絵といえども、順番としてはまず燃えていない興福寺を描く。そこに火の手が上がり、大炎上していく様子を描く。これを7回繰り返した。だから自分の手で7回燃やしてしまったようなカンジ…。

そう、興福寺は奈良時代に建てられて、なんと今までに7回も火事になっている。でも、実際に興福寺が火事になったのを見たわけではないから、想像の中で描いたに過ぎない(しかもアニメなので、あとはアニメーターさんまかせ…)。その仕事が一段落した後だったから、ノートルダムで火事があった時、燃え方のほうに興味を持ってしまったのだ。

ノートルダムは幸いに消火されたが、消防技術の発達した今だから可能なことだ。江戸時代の火消しを思い出してみても、消火というよりは、燃える範囲を広めないために、先回りして燃えそうな家を壊すとかしかできない。興福寺に限らず、昔はいったん大火災が発生すれば、あとは神や仏に祈るしかなかったようだ。
去年、興福寺の中金堂は8度目の蘇りをみごと果たした。それも創建当時の天平時代の姿そのままに。このなだらかな屋根の勾配と、金色に輝く鴟尾を見よ!美しい!まさに興福寺は七転び八起きの不滅のお寺。
というわけで明日24日(水)の22時30分からのNHKの歴史秘話ヒストリア「興福寺 七転び八起き 日本の文化はここで生まれた」をぜひご覧ください。130枚くらい絵を描いています。
燃えるシーンだけでなく、建てるシーンも描いています!
 はい。
そして、もう一つお知らせです。
同じく明日の17時50分からNHKBSで自分が出演する番組『伊野孝行 真珠庵での格闘』が放映されます。(再放送は5月5日12時20分〜30分)
約1年前にBSスーパープレミアムで放映された『傑作か、それとも…京都 大徳寺・真珠庵での格闘』という番組(90分)の個人パート版(10分)です。個人パートでは真珠庵の襖絵を描いた絵師たちをそれぞれ追う内容だそうです。私は襖絵を2泊3日で描いて帰ってきたおかげで(他の人は半年くらいかけて描いてる)本編での登場時間は2分半ほどでした。だから私的には10分というのは短縮版というより、拡張版ですね。
ただ、この番組、BSはBSでもBS4Kなので、4K放送のチューナーが内蔵されているTVか、別に4Kチューナーを持っている人じゃないと見れないのです。もちろんボクも見れません。つーか、今のところ、まわりでも見れるという人は誰もいないんだけど…。
家に2回取材に来たのと、なぜか神保町でロケもやったので、そういうのもうつっているかもしれません。見れる人がいたら見てくださいね〜。
上の画像は昨年の本編のものです。
この写真は描き上がった襖絵の前での記念写真です。
おわり。

来週からね

ブログを始めて10年たって、継続は力なり、と言いたいところですが、このところ忙しさにかまけて、すっかりサボり癖がついてしまった気が……。

でも、一応更新はしてますからね(絵も描き下ろしてるし〜)。大量に絵を描く仕事もようやく終わった、と思ったら修正や追加があって、さらに確定申告のカウントダウンが始まったので、やはり今週もプチ更新でごめんください。

これで5週連続、中身のない更新をしているけど、不思議なことにアクセス数がほぼ変わりません。愛想尽かさないで、いつまでも読者でいてくださいね。来週からちゃんと書こうと思います。書けるかな〜?なにしろサボるの気持ちいいもんな〜。