伊野孝行のブログ

最近の『笑なん』

日本農業新聞で連載中の島田洋七さんの自伝エッセイ『笑ってなんぼじゃ!』略して『笑なん』の最近の挿絵から。

アラタちゃんは、3歳のときの事故が原因で知的障害児になった。

大立ち回りの後の風呂は、最高に気持ちよかった。けど、なんでばあちゃんは怒らんかったのやろ?

しかし、謝ったのはいじめっ子の親だった。

アラタちゃんは、俺が学校に行くときに、よく学校の近くまでついてきた。 門のところで「ここからは入ったらあかん」と言うたら、大きな声で「うん! わかった!」というて帰っていった。

グランドを見渡したら、なぜかアラタちゃんが本部席に座っている。

「アラタ、いくつ?」と、歳を聞かれると「さんじゅう!」と言うてた。

中学の同級生にK田くんという、軽度の知的障害の子がいた。普通にしゃべったり授業は受けれるのやけど、 雨が振ってきたら、それが2時限目でも「雨降ったし、帰る!」と帰ってしまう、ちょっと変わったやつだった。

ばあちゃんに、「水筒ないの?」と聞いたら、「湯たんぽがあるやろ」と言われた。

毎日、減っていく数字を書き換えるのが楽しみな日課になっていたんや。

「うわぁ、汽車や、汽車が走っとっと!」俺の、ひどくびっくりする様子に、友達もえらくびっくりしてしもた(笑)。でも、なんで冬やのに汽車が走るんや?

「ああ、それは貨物列車や。人は乗れん」「違う! 人が乗ってたんや。手を振ったら、ちゃんと返してくれた」「手? それは家畜と間違えたんやろ」ばあちゃん、ああ言えばこう言う(笑)。「毎月五千円を送っていましたが、今月は苦しくて、二千円しか送れません。お母さん、なんとかお願いします」俺の手は手紙を落としそうなほど震え出した。どうしよう……。

少しでも食べる量を減らして、家計の助けをしようと俺は心に決めた。

じいちゃんは、たった50歳で42歳のばあちゃんを置いて亡くなってしまったのだ。末っ子のアラタちゃんは、まだ赤ちゃん。かあちゃんたちもまだ子どもだ。当然、フルタイムで働ける時間もない。それで、始めたのが、何十年も続いた学校の清掃の仕事だったんや。

足の裏にものすごく嫌な感触。気持ち悪い何かを俺は踏んづけた。

「昭広、スッポンは高級ばい。魚屋に売ったらええ金になるとよ」こんな変な顔した亀が売れるなんて、にわかには信じられなかったが、俺たちはスッポンを抱えて、大急ぎで家に走って帰った。

俺はうれしくて、うれしくて、学校に着くやいなや机の上にクレパスを置いた。だけど、一時限目は国語やった(笑)

繁華街と か公園なんかに、街頭テレビが備え付けてあったもんや。 特に相撲と野球のときは、 テレビの前に黒山の人だかりができてたなあ。

池松君が初めて練習にやってきた時、俺たちは度肝を抜か れた。 なんと、池松君は、ぴっかぴかのバットとグローブを持ってきたのだ。

俺は初めて触るキャッチャーミットやベースに、心臓がドキドキした。 テレビでし か見たことのないベースは、想像以上に重くて、手にずっしり。

夏休みに広島のかあちゃんのところに帰ると、 かあちゃんは必ず俺を広島市民球場に、プロ野球の試合を観に連れていってくれた。 偶然にも、家の近所の古い旅館が、広島カープの選手の宿泊先になった。俺は根拠もなく、「必ず選手は出てきてくれるはずや」と確信して、じっと待っていた。

「あの……、僕のかあちゃん、広島で働いているんです。徳永秀子っていうんですけど、会ったことありますか?」

手渡されたんは、なんと広島カープのロゴが入った色紙に書かれたサイン。

さよなら、一休さん

Eテレ『オトナの一休さん』ついに最終回です。
第二十六則「さよなら、一休さん」。すでに確認用ビデオを見ているけれど、本放送を見てまたウルウルしちゃいそうだ。
史実の一休さんはとんち小僧ではなく破戒僧だった、くらいの知識はあったけれど、このアニメの仕事をはじめるまで、ちゃんと向き合ったことはなかった。
仕事がはじまったらはじまったで、〆切に追われる日々。なかなか一休さん研究も進まない。なにせ、一人でアニメのすべての絵を描かなくてはならない。ざっと数えると全26話で730〜740枚の絵を描いた。ラフスケッチと本番で使用した紙を積み重ねると、その厚みは30センチを超える。それなのに『オトナの一休さん』のウィキペディアでは、私はキャラクターデザイン担当ということになっていて(間違いではないんだけど)、なんか楽な仕事っぽい印象がするではないか。
確かに、ふつうの商業アニメは、キャラクターデザイン担当とそれを絵にするアニメーターは別な場合が多い。複数の人で手分けして描くためには、どうしてもキャラクターの顔を記号化する必要がある。

そして描線も個性を抑制したニュートラルなものでないと、描く人によってバラツキが出る。漫画家とアシスタントの共同作業で作られるタイプのマンガの絵にも同様の特徴が現れる。
『オトナの一休さん』は真逆である。もちろんキャラクターなのである程度は記号化はされているが、ドラえもんやのび太くんのように、モロに記号の絵ではない。だから、回によって一休さんの顔がマチマチ。自分でも以前描いたような顔に描けない(!)。振り返ってみると第一則「クソとお経」の時の顔が一番好きだ。一休さんだけでなく、新右衛門さんも養叟和尚も。まだ完全にキャラとして顔の描き方が決まっていないので、逆に表情に幅がある。私は何も進歩しとらんということなのか…。『オトナの一休さん』のアニメーターは絵を描いて動かすのではなくて、私の絵に動きをつける仕事をしてくれてます(特殊効果などでは描いてもらっている部分もある)。最終回担当は野中晶史さん。野中さんは第一則、シーズン1の最終回、応仁の乱の回など、要となる回を任されるアニメーターチームの隊長です。

先日、京都に行ってきた。一休宗純ゆかりのお寺、大徳寺の「真珠庵」と、通称「一休寺」という名前で親しまれる「酬恩庵」にようやく出向いたのだった。アニメを描く前に行っとけよ、という話ですがね。描き終えた今、ようやく私は一休さんに向き合えた。感慨深さもひとしおだった。
「酬恩庵」の一休さんの木彫は有名で、見るのを楽しみにしていた。写真は「別冊太陽」より。
で、実は「真珠庵」にも同じような木彫があってびっくり!
「一休寺」は誰でも拝観できるが、「真珠庵」は通常非公開(私は特権を使って「真珠庵」に入れるのだ、ハーハハハ!)なので、木彫の存在がそんなに知られていないのだろうか。
びっくりしたのは、「真珠庵」の一休さんには髪の毛があったことだね。

写真は至文堂発行「日本の美術 頂相彫刻」より。


「酬恩庵」の一休さんの木彫も、元は髪の毛や髭が植え込んであった。しかも一休さん本人のものが。今は穴だけ空いている。
「真珠庵」の一休さんの木彫は獣毛が植えてある。何の動物の毛だろう?
あなたはどちらの一休さんがお好みですかな?
さて、番組のホームページを見ていただくと、驚きの事実が!
最終回の次の週から、同じ時間帯で、第一則から再放送が始まるのだ。Eテレ得意の再放送でまたまたお楽しみください。

『オトナの一休さん』はループする!

絵画の序列とラス前一休

先日、フト、チャンネルを放送大学に合わせると、ちょうど西洋美術の授業をやっていた。
お名前を失念したが、財津一郎似の先生の語り口に引き込まれてついつい最後まで見てしまった。面白かったのである。
講義の内容をざっと要約すると、こういうことであった。
その昔、西洋古典美術の世界においては絵画に5つの序列があった。
上から順にあげていくと、まず一番にエラいのは「歴史画」、次が「肖像画」、その下が「風俗画」、さらに下は「風景画」、一番下は「静物画」ということになる。
(ふむふむ、そんな序列があったことは僕も聞いたことがあるぞ。人間に階級という序列があった封建の世においては、絵画にも序列があってもおかしくはない。ただ、人間に上下をつけることと同様、馬鹿げた絵の差別だよなぁ…)と思って見ていたところ、先生はすかさず「皆さんは、そのような序列は馬鹿げている、そうお思いになるでしょう」と先手を打ってきた。「しかし、それはちょっと違うのです」と話は続く。
ルネサンスの万能の天才レオナルド・ダ・ヴィンチは絵画だけでなくいろんなことを研究していた。当時、それは特別不思議なことではなかった。ルネサンスの頃には、絵画はそれまでの職人の仕事と思われていた地位からずっと上がって、科学、哲学、宗教などと同様に、この世の真理を追究するため、世界の本質を表現するための”学問”として扱われていたのだ、と。
ルネサンスから時代がくだっても、19世紀以前は西洋においては、絵画は学問と考えられてきたようなのだ。
ゆ・え・に…「歴史画」が一番エラいのであった。
レンブラント、数え年30歳(1636年)で描いた歴史画(宗教画)《目を潰されるサムソン》。
「歴史画」を描くためには、単に絵が上手いだけではなく、知識と教養がなくてはならない。また大画面を構成する腕がなくてはならない。貴人たちと付き合える社交性も必要だったかもしれない。
「肖像画」はそんな貴人たちを描く仕事であり、高貴で立派な人に見えるように描かなければいけない。そのへんのチンピラのような顔になってしまってはいけないのである。人間を描くのは難しい。だから2番目にエラい。
「風俗画」は庶民の生活である。ここにも人生がある。やはり人が描けなくてはいけない。
「風景画」は人がメインじゃなくてもいい。
「静物画」は人も風景も登場しない。
(ふむふむ、ということは、つまりこの序列は、描くのが難しい順、ってことだろう。そして難しさの一つは人間を描くってことだな)。
レンブラント、数え年36歳(1642年)の時に描いた集団肖像画《夜警》。歴史画のような画面構成。しかし描いた当時の年齢を調べると、驚愕してしまうなぁ。

しかし、実は序列というのはそれほど絶対的なものではなかった。そういうことになってる的なものだったようだ。
(ふむふむ、そうだよな。歴史画だってつまんないのはつまんない。静物画でもいい絵はやっぱりいいもんな)と僕はちょっと安心した。
放送大学の先生はこんな例をあげていた。
静物画と風俗画の名手シャルダンのエピソードである。シャルダンの作品は国王ルイ15世が買い上げ、さらに外国の王様も欲しがった。フランスでは絵がうまい画家はルーブル宮に住むことが出来、シャルダンも住んでいた。そして他の画家から尊敬を受けていた。シャルダン、数え年40歳(1739年)の時に描いた風俗画《買い物帰りの女中》。
(ふむふむ、シャルダンほどの腕前があれば、肖像画だって歴史画だってバンバン描けたと思うが、なぜ序列の上を目指さなかったのだろう。そんな立身出世の競争には興味がなかったのだろうか。おかげで今の時代から見れば即物的にものを描いているシャルダンの絵の方が同時代の歴史画家より数段イケてるように見えるよ。江戸の封建時代でもそうだけど、何もかもが平等であるよりも、序列などの決まりごとの中で、本音と建前をうまく使って生きる方が、しあわせなことだってあるかもしれないな)と僕は勝手に想像をつけ加えた。
シャルダン、数え年61歳(1761年)の時に描いた静物画《野苺の籠》。

さて、ここでいきなり宣伝ぽい展開になるが、この放送大学の授業は、ただいま開催中の人形町のVison’sの展示『こんな絵を描いた』(6/24迄)を思い起させるのである。
霜田あゆ美、数え年50歳で描いた《一葉に惹かれた男たち》。
大高郁子、数え年53歳で描いた《万太郎と一子 一九六〇年 初春》。
森英二郎、数え年69歳で描いた《墨東綺譚》。
たとえば、永井荷風や久保田万太郎のような明治から昭和にかけて生きた作家をテーマに描く場合には何が要求されるだろう。
単に絵のセンスということ以外に、歴史画を描く時みたいにあれやこれや必要になってくるじゃないか。
まず、着物が描けなければいけない。すでに生活の中から着物を手放した我々にとって、自然な着物姿が描けるようになるのはそう簡単なことではない。しかもそれだけではダメだ。女性なら堅気の女房か、芸者さんなのか、着物の着方、髪型や髪飾り、仕草で描き分けなければならない。
この時代の男性は普段から洋服も着ている。スーツは時代によって形が違うから、その辺も要注意である。
さらに目を広げて、生活の中の小道具、住居。もっと引いて町の様子。江戸時代から残る建物とモダーンなビルヂング。隅田川を渡ってくる江戸の風には、近代のバタくささもちょっと混じっていないといけない。
当然、作家の肖像には知性と変人っぷりが必要である。
…めちゃくちゃ大変な仕事ではないですか。はい、調べましたって感じで描いたらアウトだしね。さらっと絵に忍ばせるだけってのが肝心なんだ。
そう考えていたら、いつもテレビドラマの話をするときだけいきいきとなる森英二郎さんのことも、急に大先生と呼びたくなってきた。
いっそのこと、イラストレーターにも序列をつけてみたらどうだろう?

そんな時代に逆行するようなことをしてはいけませんね。

今は全てが平等なのです。

「こんな絵を描いた」新作+ベスト展の情報はここからどうぞ!

さて!
今週の『オトナの一休さん』は?
第二十五則『後継者などいらん!』です!
『オトナの一休さん』は26回で終わりなので、ラス前一休さんです。
〈かねてから「自分の教えは誰にも継がない」と絶法宣言をしていた一休(声・板尾創路)だったが、新右衛門(声・山崎樹範)や弟子たちに後継者を問い詰められ、愛弟子・没倫(もつりん/声・鬼頭真也)の名を口にしてしまう。歓喜に沸く弟子たちだったが、没倫は「それは師匠の芝居だ!」と憤る。一休が「滅宗興宗(よく滅ぼすものがよく興す)」の言葉に込めたメッセージとは?一休と没倫の、知られざる師弟愛エピソード〉
僕のソックリさん没倫がメインの回です。
今回絵に動きをつけてくれたアニメーター飯田千里さんは、没倫のキャラを決めるときに、「伊野さんっぽいお坊さんでいいんじゃないですか」と提案しました。「どうして?」と聞く僕や他のスタッフ。「それはですね、没倫さんてあの有名な一休さんの肖像画を描いた人なんですよね?だったら現に伊野さんも一休さんの肖像を描いているわけだし、ちょうどいいかなと思いまして」と答えた。
「う〜んそれはありだな」ということで没倫=伊野になったわけなのです。
没倫は墨斎という名前で、東京国立博物館に所蔵されている『一休和尚像』を描いたと推測されている人物なんですね…ってこれちょっとネタバレね。読まなかったことにしてアニメ見てね。

Eテレ『オトナの一休さん』公式サイトはこちら

球道恋々と地獄の一休さん

ただいま絶賛発売中、木内昇さんの分厚い新刊『球道恋々』のカバーを担当しました。
デザインは新潮社装幀部の飯田紀子さん。
『球道恋々』は「小説新潮」で連載されていたのですが、その時の挿絵も担当させてもらいました。
連載が始まった時、自分のブログで書いた文章を引用します。
手抜き……じゃないよ。当時の興奮をもう一度伝えようと思いまして。

〈編集者の小林さんと下高井戸の「ぽえむ」で打ち合わせをしたあと、家に帰って読みはじめたのだが、あまりにおもしろかったので興奮して小林さんにこんなメールを送ってしまった。
「すごくおもしろいですね!新しいものの誕生にたちあっている喜びにひたりました。 野獣のような選手、高校野球の黎明期はこんなだったかもしれない。 木内さんの独創力にしびれました。明治時代の高校野球というアイデアがすばらしく、今みたいな世の中でもまだまだおもしろいことはつくれるんだなーという「勇気」をもらいました。 よくスポーツ選手が口にする「勇気を与える」なんて言葉はおしつけがましくてキラいなんですけど、読むスタミナドリンク、この小説は元気になります!〉続けてブログではこんなことを書いていました。〈明治時代の高校野球の話で、一高(旧制第一高等学校。東大教養学部などの前身)と三高(旧制第三高等学校。京都大学総合人間学部などの前身)の試合から始まる。 現在の六大学野球の東大は弱小チームなわけだが、明治時代においては強かったようだ。当時のユニフォームというのがスゴイ。ベルトのかわりに兵児帯をしめている。これは木内さんの作り話ではなく史実である。絵に描いた投手は三高の通称「鬼菊地」というヤツで、なんと足には荒縄を巻きつけている。スパイクのすべりどめのかわりだろう。ちなみに他の選手は地下足袋である。 明治時代の高校球児のキャラの濃さは、往年のスポ根まんがにも匹敵するが、明治時代という今にしたら結構めちゃくちゃな時代を背景にしたからこそできるめちゃくちゃな感じがたまらない。デタラメなわけではなく事実があって、そこから小説の想像力で遊ぶおもしろさ。こちらの想像力もおおいにかきたててくれます〉主人公は中年になっても野球が好きでやめられない一高OBの宮本銀平。扉のこの人がそう。彼は学生時代は万年補欠だったのになぜか突如コーチの依頼が舞い込む。下の鉛筆画はカバーのアナザーバージョンのラフです。下の絵はカバーの原画。ソデ(カバージャケットの折り返し部分)の部分を伸ばしてみるとこんな感じになります。
連載時の挿絵はここにまとめてみました。良かったら見てちょ!一話目のピッチャーがスパイク代わりに足に荒縄を巻いた三高の「鬼菊地」です。

「球道恋々」小説新潮連載挿絵、全18回はここで見れます!

さて、今週の『オトナの一休さん』は?
第二十四則「地獄の一休さん」です!
マラリアに倒れてしまった一休(声・板尾創路)。一命は取り留めるも、「ワシはもうすぐ死んで地獄へ行くんじゃ」と、なんとも弱気。新右衛門(声・山崎樹範)と森女(声・山下リオ)はそんな一休を前に戸惑う。やがて眠りに落ちた一休は、夢の中で因縁のライバル・養叟(ようそう/声・尾美としのり)に出会う…!人間誰だって弱気になることもある。最晩年の一休が自分の弱さをありのままに綴った漢詩をアニメ化
……と、Eテレのホームページから思いっきりコピペしてしまったぜ。
今回も私のソックリさん没倫(もつりん)も出ています。
アニメーターは幸洋子さん。地獄のシーンはガラスの撮影台に絵を重ねてコマ撮りしている……んだったかな?スペシャルな技術を使っています。幸洋子さんの担当回は、内容と関わり合いなく、見る人をなぜか「しあわせ〜」な気分にしてくれるんですよね。「名は体をあらわす」とはまさにこのことです。

ここでニュースです。「オトナの一休さん(第一則 クソとお経)」でATP賞(制作者が選ぶ、制作会社に贈られる賞)の優秀新人賞を藤原桃子ディレクター(←「オトナの一休さん」を思いついた人)がゲットしました。パチパチ!

第33回 ATP賞テレビグランプリ、優秀新人賞は藤原桃子さん!

そんでオマケにもう一つ告知。

明日6月14日から「こんな絵を描いた」新作+ベスト展が開催されます!
17日は参加者総勢10名のトークショーあり。イラストレーターが雁首そろえて何を話すんだっつーの。褒めあいしても気持ち悪いし、傷舐めあうのも気持ち悪い。ここはいっそ厳しい批評合戦と行きますか!?

「こんな絵を描いた」新作+ベスト展の情報はここからどうぞ!

ザ・ベスト展!と一休さん

人形町って日本橋のすぐ隣なのに観光地っぽくないところがいい。

先日、青山界隈のとあるギャラリーに絵を見に行ったら、誰かお客さんがお土産に持ってきたどら焼きの、箱だけあった。

箱自体を「大福帳」に見立てたデザインで、その箱がいいから箱だけとっておいてある、ということだった。中身のどら焼きはない。

「すご〜く美味しかったよ」と言われて、箱しかないのがますます恨めしい。僕はつぶあんの和菓子が大好きである。
聞けば人形町のお店だという。しかし箱のどこにも店の名前が書かれていない。ただ大福帳と大書してあるのみ。そのいさぎよさに惹かれて、ますます食べたくなった。
今は、その店が「清寿軒」だという調べはついている。
来週人形町に行くから、絶対に食べよう!(どら焼きが入った状態。写真は勝手にネット上のものを無断拝借。シェアというのだろうか、シェアというと一気に罪悪感が減る。)
人形町は最近なじみの街になりつつあるのだ。
それは人形町(日本橋堀留町)の「Vison’s」というギャラリーでイラストレーターの企画展が2014年から、年に2回開催されていて、ちょっとした手伝いなんかもしているからだ。
このギャラリーは阿佐ヶ谷美術専門学校の持ちもので、同校でタイポグラフィーの授業をしているグラフィックデザイナーの日下潤一先生が企画展のテーマを決めてイラストレーター達に描かせているのだ。
描かせている……なんて書くと「伊野くんはひどい!みんなのことを思ってやっているのに」と日下さんはおっしゃるに違いない。
確かに日下さんは1円の銭もとらないボランティアで、DMや小冊子のデザインももちろん無報酬。そんな奇特な人に対して、描かせている、なんてひどいことを言ってはいけない。
いくら日下さんが強引にひっぱったとしても、絵は、描かせられるほど単純で簡単なものでもないのである。
2年続けて計6回やった企画展の、ザ・ベスト展が来週から開かれる。
日下さんが考えた展覧会のタイトルはこうなっています。
「こんな絵を描いた 自作ベスト+新作展」
参加した我々はやはり自発的に「描いた」のである。この DMを見て強く思った。だってそう書いてあるんだから。「絵は一人では描けないよ」これは唐仁原教久さんがよくおっしゃっている言葉だ。
この言葉の意味を僕は身にしみて知っているつもりだ。
人間は一生をかけて、ほぼ同じところをぐるぐる回っているだけ……というのは、人生を半分以上生きれば、誰でも思い至る感想だ。
ぐるぐる回る軌道をちょっとでも変えてくれるきっかけを無下にしてはいけない。そのきっかけはいつやってくるのか。待ってもいない時にやってくるきっかけを人は「おせっかい」というかもしれない。
おせっかいな人がこの世にいなかったらどうなるだろう。
ここに二人のよく似たキャラクターに登場してもらおう。
一人は中里介山の「大菩薩峠」の主人公、机竜之助。
もう一人は柴田錬三郎の眠狂四郎。
眠狂四郎は机竜之助をモデルにして柴錬がこしらえたキャラクターなので、容姿はよく似ている。大映映画ではどちらも市川雷蔵が演じている。どちらが机でどちらが眠かわかりますか?机竜之助は、物語の冒頭ではわりと積極的に人と関わるのだが(どんな関り合いかというと、剣術の試合相手の妻を水車小屋に拉致して犯したりする)だんだん巻が進むにつれ、殺人以外はほぼ流されるままに生きていく。
かたや眠狂四郎は無頼の徒と名乗るくせに、始終おせっかいに人と関わっちゃうのである。
「大菩薩峠」は机竜之助のだんだん出番が少なくなっていく上に、流されるままに生きているので、どうしても話が退屈になってきて、12巻あたりで僕は挫折した。しかも2回も。「眠狂四郎」は小説でも映画でもみなさん楽しんでいる通りだ(白状すると「眠狂四郎」の小説は1冊しか読んでない)。
はい、どうですか?
ほら、おせっかいな方がいいじゃないですか!おせっかいな人がいると話や人生が展開するんですよ……まぁ、途中から強引な例えだなと思ってましたが。それに私は机竜之助のキャラの方が好きです。
今日宣伝したのは他でもありません。17日の16時からトークショーがあるのです。
参加者のほとんどが顔をそろえるトークショー。プロレスのバトルロイヤルのように盛り上がればいいのですが、さてどうなるでしょう……とても心配です!
僕は田原総一郎よろしく司会のような役をやらされるので、ことのほか心配です。お客さんが来るのかも心配。
自由な言論空間の中で、イラストレーターのタブーに斬り込み、真剣勝負で言葉のやり取りをする!1000円を払ってくださった方に楽しんでいただけるよう、がんばります。どうぞよろしく。
どら焼きを買いに来るついでに来てください!有名な親子丼の店ほか、人形町には老舗がいっぱい!
さて、今週の一休さんは?
第二十三則「偉くなるって恥ずかしい」です!
物語も終盤。第4コーナーを曲がりました。ここからは一話も見逃してはなりません。
今回の見どころはEテレのサイトで読んでいただくとして、はい、ここでは極私的な自分の知り合いに向けての見どころを書きましょう。
見どころ、それは、このわたくしめがカメオ出演(?)しているところです!しかもこれから最終話までずっと出る。
今まで、一休さんの弟子といえばマル、サンカク、シカクみたいな頭の形をした雑魚キャラ(この弟子たちを描くのがけっこう楽しい)だったのですが、ここにきて初めて名前のある弟子が登場します。
その弟子の名は没倫(もつりん)。
さてこの没倫のキャラをどうするか相談した時に、アニメーターの飯田さんが「僕は伊野さんをイメージしてましたね、だって伊野さんも◯◯◯◯◯だから」と言いました。◯◯◯◯◯というのは次回以降のネタバレになるので差し控えますが、その意見を聞いて一同納得。「大丈夫ですか、伊野さん的には?」とディレクターの藤原さんに聞かれて「はい、みなさんがそう言うなら」と答えました。内心では「声優はやらなくていいんですかね?必要なら……」とまで思っていたのですが、そこは誰も求めてませんでした。当たり前だ。
この人が没倫です。似てますかね?

がばいエロい一休の漢詩

まずは『笑ってなんぼじゃ!』の挿絵から。

洋七さんが小学生の頃の話…ということはつまり『佐賀のがばいばぁちゃん』の頃の話です。

いやぁ、ひじょうに助かるなぁ。何がって言って、資料探しが。映画にもドラマにもなっているし、それがネットで見れたりするのもんで…とても助かる。今のところ。

『笑ってなんぼじゃ!』は日本農業新聞で連載されている、島田洋七さんの半生記です。

さて、今週の『オトナの一休さん』は?
第22則「一休、エロ漢詩を詠む」です!
今の時代、お坊さんが結婚するのは当たり前だし、誰と付き合おうが勝手なわけですが、一休さんの時代は許されたことではなかったようです。世間から非難の目を向けられても、そこは一休さん、自分の道を貫きます。
しかも、それだけではありません。一休さんは恋人との情交をかな〜りきわど〜い漢詩につづっています。一休さんは詩人なのです。『狂雲集』という詩集(かっこいい名前ですよね、狂雲集って)を盗み読みした弟子たちは大騒ぎ!
番組ディレクターの藤原さんに、史実の一休さんを知るためにはどの本がおすすめですか?と聞いて教えてもらったのがこの本、『一休和尚大全』(河出書房)。石井恭二さんが現代語訳する一休さんの漢詩はなかなかカッコイイんっす。おっと、いきなり本の帯に今回のアニメにも出てくる漢詩の一節〈美人の陰、水仙花の香有り〉が引用されているではありませんか。
『オトナの一休さん』第2シリーズでは4人のアニメーターの方に一話づつ担当してもらっています。今回担当の飯田千里さんは、毎回チャーミングな動きでキャラの可愛さを引き出してくれます。ありがたや、ありがたや。
ぜひお見逃しなく!