伊野孝行のブログ

春日若宮おん祭

今売りの「芸術新潮」2月号で、6ページに渡り「春日若宮おん祭」を漫画でルポしております。この祭りは900年近く、ほぼ途切れることなく毎年続けられてきた御子神さまを接待する行事です。前夜祭、後夜祭的なものを含めて計4日もの間、イベント&芸能目白押しのスゴイ祭りなのです。

ところがこのルポ漫画、わたしはまったく取材に行っていないんです……。IMG_2513ご覧のように、最初のコマでも説明されていますが、芝崎みゆきさんが取材し、描かれる予定だったのです。ところが、なんと取材の最終日に、芝崎さんは右肩骨折(上腕骨近位端骨折)するという災難に遭い、絵が描けなくなってしまったのです。

そこでコンビニエンス・イラストレーター伊野に電話がかかってきたというわけです。年末進行の真っ只中、12月20日のことでした。IMG_2514

「しかし、取材もしていないのにどうやって描けばいいんだろう……」と心配になりましたが、芝崎さんは驚くほどしっかりとしたネームを描いてくださいました。
〈三角巾とコルセットで固定されながらーの、なんとかネーム(コマ割りとラフ)を、体を斜めにしながら、腰のはじあたりでムリヤリ描きました〉
これは芝崎さんのブログより当時の状況を語った部分の引用です。「腰のはじあたり」ってうまい言い方ですね。
資料写真は芸術新潮専属カメラマンH瀬さんがぎょうさん撮ってはります。編集部に出向いて、芝崎さんと一緒に取材に行ったT山さんとS田さんから、「春日若宮おん祭」についてみっちりレクチャーを受けます。芝崎さんが右肩骨折事件のあらましも聞きました。ちょうどその日は新潮社の仕事納めの日で、一年の激務から解放された編集者たちの談笑があちこちから聞こえてきたりと、社内にはゆったりとした雰囲気が漂っていました。IMG_2515
大晦日にはダウンタウンの番組を見ながらゆっくり酒を飲み、ぐっすり眠った後、新幹線(1月1日は空いている)で三重の実家に帰る……予定だったのですが、果たしてそんなことができるでしょうか。
とりあえず、下書きまでは今年中に終わらせておこうと思い、ダウンタウンの番組は見ずに、紅白歌合戦をラジオで聞きながら、仕事を続けました。
数時間前にT山さんから、漫画の補足指示とともに「年越しは会社と決めて珈琲飲む」という句がおまけでついたメールが来ていました。完全なるワーカホリックのT山さんは会社で一人コンビニ弁当を食べながら原稿書きに勤しんでいるようです。IMG_2517
ふとわたしは、何か大晦日的な気分を味わなければ、と急に思い立ち、買っておいた鯛の刺身と日本酒1合だけで、ささやかながら2016年の最後の晩餐をしました。でも、立ち食いそば屋に駆け込んで食事を取るように慌ただしく済ませてしまいました。そんなに慌てることはなかったのですが、やはりこの後も仕事をしなければいけないと思うと、自然とそうなるのです。
食後、また机に向かい、ラジオで相葉くんの司会にハラハラしつつ紅白を聞き、作画に励みました。なぜか「行く年来る年」の裏番組で「オトナの一休さん」が1本だけ再放送されるので、その5分間はテレビを見ました。
深夜2時頃までやって集中力がなくなり、寝ました。IMG_2516
明けて2017年。8時起床。昼過ぎまで続きをやって、下書きを完成させ、さっぱりした気持ちで帰省しました。
正月は実家でのんびりしていました。だから漫画に描きこんだ「お正月返上」というコマは大げさなのです。芝崎みゆきさんはこれを信じて、非常に恐縮なさって、さらにブログでわたしを褒めまくってくれています。いやはやこちらこそ恐縮です。
芝崎さんにはエジプト文明やマヤ・アステカ文明について描かれた著書(今、『古代マヤ・アステカ不可思議大全』を読んでいますがと〜ってもオモロイです!)があり、文字のすべてが手書きです。それにくらべたら手抜きですよ、私のなんか。
しかし、今回の仕事はなかなかできない経験でした。いろいろ勉強になりましたね。もし仮にどこかでわたしが描いたルポ漫画が、モロに芝崎みゆき風であっても見逃してくださいね。IMG_2519
芝崎さんのブログはこちらです(それにしても褒めすぎだ……)。
是非、作・芝崎みゆき、絵・伊野孝行『見てきたよ!ざざっと春日若宮おん祭』を「芸術新潮」でお読みください。

やったぜ!たけちゃん

相撲が好きだ、と言ってる割に今場所はほとんどテレビ観戦をしなかった。

北の富士が心臓手術の後、大事をとってNHK専属解説を休場した。あまりテレビを見なかったのはこのせいかもしれない。相撲ファンだったのに、いつの間にか北の富士ファン、いや、北の富士の解説を聴きながら見る相撲ファンになっている。北の富士がラジオの解説に出るときは、テレビの音量を消し、ラジオを聴きながらテレビを見る。e58c97e381aee5af8ce5a3ab-540x582

北の富士と一緒に相撲を見ることは、お相撲さんの粋な香りに包まれて見ることだ。土俵の攻防をうまく解説する親方は他にもいる。でも、土俵の中だけが相撲じゃない。土俵の外にもいろいろ何かある。楽しいことやコワイことが……よく知らないけど。そんな相撲のすばらしさのすべてが北の富士に現れている。

居酒屋の取材では、ちゃんとしたことを言うリポーターより、吉田類のちょっといい加減なレポートこそが似合う。お酒を飲むとはそういう気分なんだもん。居酒屋といえば吉田類、相撲といえば北の富士。ハァ〜どすこい、どすこい。

もう一つテレビを見なかった理由は、3時4時あたりから、6時までというのは私にとって一番仕事に手中できる時間なので、この時間にテレビを見だすと、手持ち無沙汰になって酒を飲みだす、横綱戦が近くなる頃に横になって寝だす……となるパターンが多い。だから見なかった。
ま、そんなに熱心な相撲ファンじゃないってことですね。
それはともかく、稀勢の里のお父さんは、こっちが勝手にイメージしていたのと違ってかっこいい人だった。横綱昇進はそりゃめでたいことだが、大関稀勢の里がもういなくなるのかと思うと、なんだか寂しい。稀勢の里が大事な一番を落とすたびに、ビートルズの「ドントレットミーダウン(がっかりさせないで)」が脳内再生されたものである。ぼくの中の稀勢の里のテーマ曲。やきもきするのも楽しみだったのかもしれない。IMG_2477やったぜ!ビートたけしさんの本のカバーを描いた!
子供の頃からからファンだったのでミーハー気分爆発。新潮文庫「たけしの面白科学者図鑑 ヘンな生き物がいっぱい!」という本だ。
しかも、来月、再来月と3冊続けて出るシリーズものだ。1冊だけではなく3冊並べて楽しい本にしたい。2月1日が正式な発売日だが、もうネットにも画像が出ているので載せちゃおう。デザインはもちろん新潮社装幀室。
本のカバーをやるときは、以前はた〜っくさんラフを描いたものだが、最近は出してもせいぜい3案くらいかな?でも、今回はアイデア自体、おまかせだったので、はりきって出せるだけ、出してみた。考えついた順番に載せてみよう。1234567
結果から言うと一番最初に描いたラフが使われたので、その後の6案は考えるだけ無駄だったわけだ……。タケちゃん微妙に修正/1巻
股間に注目してほしい。IMG_2478帯では普通のガニ股だが、帯を外すと、上記にアップしたもののように、ダイオウイカの足が後ろから出ている。
中学生の時に「がまかつ!」と叫んで、他人の股間に腕を回し(ダイオウイカの足のように、股間に腕を食い込ませる)そのまま上に持ち上げるイタズラが友達の間で一時流行った。がまかつというのは釣り針のメーカーか商品の名前だった。やられた方は面白いように体が持ち上がる。
まぁ、そんな話はどうでもいいのですが、果たして忙しいたけしさんはこの本を手にとってくれるのだろうか。
IMG_2479徳川慶喜修正
さて、もう一つは殿は殿でも、最後の将軍のその後を書いた、家近良樹さん著「その後の慶喜」のカバー。デザインはアルビレオさん。こちらはラフは一つしか描いていない。描くアイデアが既に決まっていたので。
円(自転車のタイヤ)を綺麗に描くのが苦手である。このオーディナリー型自転車というのは、すごくスピードが出るらしい。IMG_2480
最後は白水社の「ふらんす」という雑誌の表紙。こちらは毎月違うイラストレーターが担当する。1月号を描いた。パリの街にある、なんていうんだっけ?映画や芝居のポスターをはめる広告塔、あれにその号で取り上げる映画を絵にしてはめ込む。それが決まりごと。描くのは「女はみんな生きている」という映画。私は公開当時(2003年)に見ている。ポスターかパッケージのイメージを描いて欲しいということなので、描くことはだいたい決まっている。
ラフを描くつもりが、ええい、本番まで進めちゃえ、ダメならまた描き直しますから、と提出したら編集さんのOKをもらえた。私の場合、ラフを出さないと仕事はすぐに終わる。デザインは仁木順平さん。
このところ仕事の自慢話ばかりなので、反省し、最近買った林美一著「時代風俗考証事典」の話を書きたかったのだが、結局、今週も自慢話だけで終わってしまった。ネタを仕込むのは大変だし……。いずれそのうち。ではバイバイ。

SAGA佐賀

今、外出先から帰ってきて、すぐにでもやらなきゃいけないことがあるというのに、ブログの更新の日だ。

もう、今日はサボりたい。どーせアクセス数もず〜っと横ばいだし、更新したところで「あ?また仕事の自慢か?」みたいに思われるだけだし、そもそも誰かに待たれているわけでもないし。

ま〜、田舎の年老いた両親くらいは毎週楽しみにチェックしていることだろう。このブログを始めた目的は一に営業だったわけだが、いつしか「あなたの息子はこんなことをして東京で暮らしています」という親への報告、つまり親孝行にもなっていたわけだ。私の名前が「孝行」なだけにね……。ありがとう、インターネット社会。

 

さぁ、さっさと仕事の紹介でもして、書き終えよう。IMG_2385IMG_2386IMG_2387IMG_2388IMG_2389IMG_2390IMG_2391IMG_2392これは佐賀県のPRカード?みたいなもので、手のひらサイズのカードかと思いきや、パッと広げると、記事あり、地図ありの楽しげな佐賀県紹介が展開する。企画とデザインは東京ピストルというイケイケの会社で、ここの社長さん(お会いしたことはないのですが)は、私の友達のクサナギシンペイ画伯の弟君であるという(いや、兄上だったかな?)。

でも、そういうツテでもらった仕事ではありませんよ。実力、実力……数をこなしてみみっちく稼ぐ実力だけどね……。

お正月の和の行事

2017%e5%b9%b4%e8%b3%80%e7%8a%b6今さら(今日は一月十日)ですが、あけましておめでとうございます。

ところでお正月の門松はそもそも何のために飾るのでしょう?%e6%ad%a3%e6%9c%88%e9%a3%be%e3%82%8a%e4%bf%ae%e6%ad%a3
それは「年神様(としがみさま)」を家にお迎えするための目印なんですね。
……知ってましたか?私はいい年こいて知りませんでした。しめ縄やしめ飾りも、けがれや悪いものが入ってこないように区切るもので、年神様のための清らかな場所を作るためのものであります。
私の子ども時代は、玄関はもちろんのこと、便所や風呂場やすべての部屋にもしめ縄(そこに飾るしめ縄はとんぼと呼んでいた)を飾りましたし、さらには車にも自転車にも飾ったものです。
今年実家に帰った時はしめ縄は何一つ飾ってなかった気がします。
そんなわけで、日本人は行事をおろそかにしだしたところなのですが、春夏秋冬の和の行事のことが楽しくわかる『知っておきたい和の行事』監修/新谷尚紀(成美堂出版)が発売されております。お子様向けの本です。正月早々、商いの話ですんまへん。
一年を通した和の行事の絵を70点くらい(カット、一枚絵、マンガも含む)描いてタイヘンだったわけですが、一つ気づいたこがありました。和の行事は春夏秋冬均一には散らばっておりません。やはり年末年始の新しい年を迎える時期に行事が多いです。現在はバレンタインデー、母の日父の日、防災の日、ハロウィン……などなど色々あってそれなりに行事が散らばっている気がしますけどね。その分、相対的にお正月の地位が下がっております。%e3%81%8a%e6%ad%a3%e6%9c%88%e3%81%ae%e9%81%8a%e3%81%b3%e5%a4%96%e4%b8%83%e7%a6%8f%e7%a5%9e%e4%bf%ae%e6%ad%a3%e3%81%8a%e5%b9%b4%e7%8e%89%e3%83%9e%e3%83%b3%e3%82%ac%e4%bf%ae%e6%ad%a3
%e5%b7%a6%e7%be%a9%e9%95%b7今の我々はクリスマスが過ぎるまでは誰も来たるべきお正月に目を向けていません。さらに、クリスマスが終わってお正月が目の前に迫ってきても「ぜんぜん年の瀬って気がしないよねー」と、忘年会の酒席で言いかわすのが習わしとなってきており、事実、そんな気分ではないのです。
それもそのはず、日本の年の瀬を感じたいなら以下のことをしなくてはなりません……
十二月十三日には「すすはらい」をして一年の汚れを落とします。それでもって門松に使う松を山へ取りに行く「松むかえ」をするのです。そうそう「歳の市」で正月用品を揃えなければいけません。二十二日頃には「ゆず湯」に入り、こんにゃく、れんこん、なんきん、にんじん、みかん、などの「ん」のつくもの食べて栄養をつけておきましょう。そして二十五日〜二十八日の間には「もちつき」をします。正月飾りは二十九日に飾ってはいけません。なぜなら「苦(九)がつく日」だからです。かといって三十一日は「一夜飾り」と言って縁起が悪いので、三十日までに済ませましょう……。%e6%9f%9a%e5%ad%90%e6%b9%af
%e5%b9%b4%e8%b6%8a%e3%81%97%e8%95%8e%e9%ba%a6%e5%a4%a7%e6%99%a6%e6%97%a5私は時代物の絵などを描いて、和の心がわかっている日本人を気取っていますが、どれ一つやっていません。
雑然と散らかった部屋の障子は破れたまんま。しかも障子紙は七年くらい張り替えていません。畳の擦り切れた部分を歩くと、靴下の裏にい草の切れ端がくっつきます。仕方がないので、擦り切れた畳の部分には幅の広いセロハンテープを何列にも貼って事なきを得ています。賃貸でも、もう長い間住んでいるから、大家さんも畳くらい替えてくれるかもしれませんが、そのために部屋の家具や荷物を全部移動させる事は正直難しいです。
「どうせ仮の住まい、とりあえずこのままでいいや……」そう思って何年も過ぎています。たぶん家を購入するお金も予定もないので、一生仮の住まいだと思います。それでも私は今、まだ人生の途中で、将来はもう少しましな正月が迎えられるような気がしているのですが、ひょっとしてこんな感じで一生を終えるのではないだろうかという予感もしています。
それではみなさま、本年もよろしくお願い申し上げます。

CD「オトナの一休さん」

「オトナの一休さん」オリジナル・サウンドトラックがポニーキャニオンより発売されました。

〈大友良英×マレウレウ(アイヌ民謡を歌い継ぐ女性ユニット)のコラボレーションが生み出すふしぎ気持ちいい世界!板尾創路が歌う話題の破戒僧ソングも収録〉img_2310img_2311
大友良英さんは以前よりマレウレウと一緒に何かやりたいと思っておられたそうだが、なかなか実現にはいたらなかった。ところが、「オトナの一休さん」という珍妙なるアニメでコラボが実現してしまった。大友さん+マレウレウ+一休さん…この取り合わせを思いついた角野プロデューサーは相当ぶっとんでいる。私は最初「どう合うんだろう?」と思っていたのだけれど、実際アニメに音楽がついてみると、「もうこれ以外には考えられない」っていうくらいふしぎにハマっている。img_2313
いや、ハマっているという言葉はふさわしくないかもしれない。「あまりハマりすぎてしまわないように…」というのが、「オトナの一休さん」を作るスタッフで共有していたポリシーだった気がする。ありもしない縄で己を縛るという意味の、無縄自縛(むじょうじばく)という禅語がある。「無縄自縛にとらわれるな」というのが一休さんの教えであり、我々スタッフの合言葉だ。
何か新しいものを作ろうという時に、ハマりすぎる選択は、無難になってしまいがち。知らない間に無縄自縛をしてしまうのが人間である。そんな時は喝!CDを取り出すたびに喝!が現れる。img_2312
おまけにボツになった「オトナの一休さん」CDジャケット案のアナザーバージョンをお見せしよう。cd%e3%82%b8%e3%83%a3%e3%82%b1%e3%83%83%e3%83%88%ef%bc%92 cd%ef%bc%93cd4cd%ef%bc%91%ef%bc%90
そういえば「オトナの一休さん」明日28日放送の分(第十三則)でひとくぎり。
年末年始には再放送もあるみたいだから、是非、実家の家族や親戚にも教えてあげて、無縄自縛にとらわれないお正月をお過ごしください。それではみなさま、良いお年を!

「ぼく神」第10回第11回

「小説すばる」で連載中『ぼくの神保町物語 イラストレーターの自画像』先月分をアップするのを忘れてたので、今月分と合わせて第10回と第11回を。img_2285

第10回は2010年の1月にロンドン旅行に行った話「神保町物語なのにロンドン編」です。
この旅行はデザイナーの日下さんと、当時日下さんの事務所に勤めていた、現売れっ子イラストレーターの浅妻くんと、同じく現売れっ子デザイナー長田くんと、ぼくとの四人で行ったのですが、着いた翌日「ロンドンお好み焼き真っ黒焦げ事件」が勃発するのでした……これがまた語るも涙の物語でございまして。img_2288連載を読んだ日下さんが、「いやー、ロンドンでは本当にいやな思いをさせてすみませんでした。私はあの時、伊野くんの才能をひらかせたくて必死でした。真面目すぎるのですね」と6年越しに詫びを入れてくれたもんですよ。img_2286img_2287img_2289
あの時は「なんなんだ、このハゲ!」と憎々しく思っていたのですが、今では感謝しかありません(ホンマか!?)。それに今となっては、ハゲ!なんて言える立場じゃないしね。ぼくの頭が。逆にぼくのことを裏で「あのハゲ!」と言ってる人がいそうな気がします。
……って言うのは、前に友達の展示を見に行って、自分の思うところを伝えたら(もちろん年下とか後輩とか、言いやすい人に限る)「伊野さんウザい」みたいに思われちゃったから、反省しまして……。最近、余計なことは言わないほうがいい、嫌われたくないし、と思っているのです。
この回にも書いていますが、そりゃ自分を否定されるようなことを言われたら、悔しいし、うっるせーよ!って誰でも思います。
褒められてるだけでどんどん進歩していける、つまり客観的に自分が何をやっているかわかってる人間だったらいいけど、少なくとも、ぼくはそうではないのでしょう。だから自分には、怒る人も必要だったと思います。いや、別に怒らなくったていいんですけどね、冷静に意見を言ってくれれば。
でも冷静な人って、そんなに他人にお節介じゃないから、そもそもグイグイ関わってはくれない……やはり人それぞれ、言いたいことがあれば言えばいい、そう思う昨今です。ぼくは人気取りのために余計なことは言わないけどね。img_2290
第11回は、そういうことも含めて、「絵は一人では描けない」なんてタイトルにしましたが、あんまり自分の話に集中すると、神保町と関係ない話になっちゃいがちなんで、書くのが難しい。img_2280
この回は2010年の夏に開催した丹下京子さんとの二人展「鍵」の顛末が中心になっています。今までは1回で約2年分くらい話が進んだのですが、第10回第11回と次の第12回はすべて2010年の話です。ほぼ現代史。友達にとっては知り合いばかり出てくるから、ある種の面白みはあるかもしれないけど、まったくぼくを知らない読者様が読んでも、面白くなっていないといけない。img_2281img_2283
久しぶりに第1回を読み返してみたら、展開が少なく、エピソードが乏しく、長く感じた。会話も少ないし。自分の心の中を書くんじゃなくて、動きや会話で心の中を読ませないといけないなぁ、とまた一人反省会です。
しかし、やっと客観的に読めるようになったということでもある。書いて一週間後に読み返すくらいではなかなか客観的になれない。いや、客観的に読めるようになった理由は、置いた時間ではなくて、自分の今書いている文章が、第1回の頃と変わっているということなのかもしれない。
ともあれ、あと2回で終わります。それが終われば、また第1回からいじりなおさなければ……早く自分の物語から解放されたいです。