バイトをしていた時は、新聞はお店(喫茶店)で何紙も読めたので、家では取っていなかった。バイトを辞めてしばらくして、また読んでみる気になり、 M新聞の販売店に電話をした。集金に来た男性にいまいち好感が持てなかった。この人に毎月会うのは嫌だなと思い、講読料は引き落としにしてもらった。契約の更新も自動的になされる。契約更新時に人が来ないので、更新の手土産もない。私は販売所にとっていいカモであった。
二年くらい経って、小さい庭の掃除をしていたら、A新聞社の営業マン(勧誘員風ではなかった)が通りかかり、「ウチに変えてくれたら、1万円分くらいのサービスをしますよ」と声をかけてきた。お米もあります。ミネラルウォーターもつけます。チケットもいかがですか?契約解除の連絡は私が責任をもってします。ということなので、そっちに乗り換えてしまった。
集金の人が好感の持てない人だったら嫌だなと思い、また引き落としにしようと思ったが、挨拶に来た配達の人がとても好感度の高い人で「私は集金もしています」というので、引き落としをやめて、集金にしてもらった。おかげで更新時にはわずかな手土産をもらうことができた。
そんなことがあって、また二年が経ち、先週の話であるが、以前に袖にしたM新聞社の販売店から「今週から一週間、お試しでポストに入れますので、読んでいただけませんか」と電話がかかってきた。今、我が家のポストには二紙届けられる。M新聞の販売所が1万円分くらいのサービスをつけてくれたら、すぐさま乗り換える腹づもりだ。
……そんな話はどうでもいいのだが、新聞小説の載っているページを開くたびに「いったい私に新聞小説の挿絵の依頼がくるのはいつのことだろうか?」と思うのである。
……いや、挿絵の仕事自体、最近は少ないのだが、わずか一本の小説挿絵の連載と、単発の仕事を今週はアップして、終わりにします。さようなら。
小学館の「STORYBOX」で連載中の谷津矢車さんの『しょったれ半蔵』。それにしても、イラストレーターのクレジットがチョイト小さすぎやしないだろうか。いや、それが今のイラストレーターの立場を示しているとも言える。頑張らなければ。
「オール讀物」で読み切りの平岡陽明さんの『マリーさんの101日』
今売りの「日経おとなのOFF」で高須クリニックの高須克弥院長が教える「若返りとはコンプレックスをなくすこと」というページに絵を描いています。「日経おとなのOFF」はちょくちょく仕事をくれるいい雑誌です。わりと最近細かいカットの注文が多かったのですが(贅沢言ってすみません!わたくしは仕事をいただけるだけでありがたいことだと肝に銘じております!)久々に大きいサイズのものを頼まれたので、はりきって描きました。YES!高須院長って今、71歳なんですね。いろいろとスゴイです。
ところで、グッドデザイン賞ってありますよね?
Eテレで放送された「昔話法廷」という番組が、グッドデザイン賞を受賞したそうです。番組も対象になるんだ?私はイラストレーションでお手伝いしていたのですが、受賞チームに名前を入れてもらっていたので、私もグッドデザイン賞を受賞したってことになります。
グッドデザイン賞「昔話法廷〜『三匹のこぶた』裁判〜」
以上、自慢コーナーおわり。
すでに終わった連載の絵を載せまする。UCカードの会員誌「てんとう虫」で連載されていた泉秀樹さんの「女もすなり益荒男日本史」に付けていた絵です。
歴史の中の女性に焦点を絞った内容でしたが、女性の肖像画というのがほとんど残ってないので、多くは私の想像です。
築山御前
徳川家康の正室、瀬名(築山御前)は今川義元の姪であった。夫、家康につれなくされても「独り寝のさみしさに床は涙の海になって大船も浮かびます」という恋文を出していたそうな。しかし、二度にわたる家康の冷たい態度に心変わりし、策謀をめぐらし、家康をおびやかす存在になった。でもバレちゃって斬首されちゃうんだって。かわいそうに。
ぼくは時代物の絵を描いてるくせに、歴史の知識が乏しかったりするんで、「真田丸で斉藤由貴の演じているのはなんて人なんだろう?」と思って調べたら、阿茶局という人だった。
ねね
「女もすなり益荒男日本史」という連載だけど、その昔「女太閤記」というNHK大河ドラマがあった。1981年の放送というから、ぼくが10歳の時だけど、よく見てた。西田敏行が演じる秀吉が好きだった。主人公のねねは佐久間良子。あとの配役は全く覚えていないが、調べれば信長は藤岡弘だったみたい。当時は学校の図書館で信長、秀吉、家康の伝記を借りて熱心に読んでたし、自分が馬に乗っているイメージで手は手綱を持つ仕草、足は馬がパカパカ走る様子を真似て、校庭を走っていたら「なんちゅう走り方しとんの?」と級友に笑われたものである。ところがぼくの戦国ブームはその時で終わったしまったので、知識はあの時代のままで止まっている(この話前にも書いたかも……何しろそれくらいしかネタがないんで)。大河ドラマを熱心に見てたのは1980年の「獅子の時代」から1982年の「峠の群像」までで、それ以降はま〜ったく見ておらず、「真田丸」で実に久しぶりの大河鑑賞をしている。知識が子供の時のままなので、知らないことがいっぱいあります。
生駒吉乃
織田信長の妻。吉乃は豪商の娘で、土田弥兵衛という人に嫁いでいたが、夫は戦死し、その後信長に気に入られて側室となる。信長よりも10歳ほども年上の未亡人。信長を一流の武将に育て上げ、その英傑の子を三人産み、時代を支えた女性である。ちなみに生駒家ではいつも食客を抱えていて、その中に居たのが秀吉。吉乃の口添えで清洲城で取り立てられることになる……ということが本文には書かれておりました。
千代
身の丈以上に順当な出世をした山内一豊。といっても大河ドラマ「功名が辻」も見てないし、奥さんが良く出来た人だというくらいしか知らない。「山内一豊の妻」の名は千代ともまつとも伝えられているそうだ。一豊は信長主催の御馬揃え(軍事パレード)に出たいがいい馬がない。ちょうど馬喰が駿馬を売りに来た。あいにくお金がない。その時、妻の千代は持参金を気前良く差し出した。一豊は御馬揃えで堂々たる姿を披露し、信長の目に止まり出世の糸口になったとか……ということが本文には書かれておりました。絵を描くときに画像検索していたら、小林清親が描いた絵が出てきた。……パクってます!
1年分、一気に載せようかと思ったけど、疲れたからこの辺でやめます。
ちなみに今日はぼくの誕生日ですが、他人の誕生日を全く覚えられず、お祝いしてもらっても全然お返しできません。だから無視してください。しかしこんな蒸し暑い誕生日は今まで経験したことがありません。
私はラジオを聞きながら絵は描けますが、ラジオを聞きながら文章は書けません。絵と文章では頭の使う部分が違うというのがよくわかります。
でも総合芸術である映画を観るときに、頭を使い分けている意識はまったくありません。映像を見て、音や音楽を聞いて、字幕を読んでいる。その映画がものすごく面白くて感動をした場合でも、実はそれほど頭は使ってないのではないかと思います。
私は一流の芸術に触れるよりも、自分でヘタな絵や楽器や作文をやっているときのほうが有意義に感じるのですが、やっぱり自分の体験として頭も感覚も使うからでしょうか。
極端なことを言ってしまえば、絵は見るよりも描く方が絶対に面白いと、思うのです。世界にはもう見切れないほどの名画が存在していて、わざわざ駄作を作る必要はないのに、描いてしまうのはそういうことでしょう。
歌舞伎座で歌舞伎を見るより、田舎の村歌舞伎に自分で出演する方が楽しいところがあるはずです。でも、見る方はしょーもないものを見せられるのはたまらんものがあります。でも、自分でやってみたら、ただ鑑賞している時よりも理解が違ってくると思います。
絵も同じく。鑑賞者の立場にとどまって、一流のものを追いかけているだけでは、楽しみ方としてはまだまだ甘い!……そう私は思うわけであります。
さて、絵が好きだ、絵を描くことが好きだ、という素朴な気持ちから出発した私の絵描き人生も、プロのイラストレーターを目指してしまったせいで、鑑賞者と実作者に生活者が加わり、絵が人生を左右する局面に至ります。あぁ、絵を描き続ける限り貧乏なのは致し方ないことだ、とあきらめと踏ん切りがついた30代前半……ちょうどその頃のことが書かれているのが今月の「ぼくの神保町物語 イラストレーターの自画像」(小説すばるで連載中)なのです。
もうここまでくると、絵の楽しみ方としては最上級の段階に達しています。なんつったって、絵に必死にしがみついて生きるより他ないんですから。
今回は2003年〜2005年あたり。私は2003年にHBギャラリーで「人の間」(ひとのあいだ、って読むんですよ、にんのげん、じゃないっすよ)という初個展をやります。その頃バイト先の神保町の街は再開発で、大きく変わろうとしていました。ちょうど通称「神田村」と呼ばれる本の取次店が密集していたあたりに二つの高層ビルが建ったのが2003年でした。
南伸坊さんはこの物語にもいずれ登場願いますが、このカットは唐仁原さんの思い出の中の伸坊さん。この時は私もまだお会いしていません。
そうそうこの回は「さらば神保町」というタイトルですが、私は神保町から離れるのでしょうか?8回目が最終回?いや、(つづく)と文末にあるので続きますよ。
「サザエさん」って本当いつ見ても最高!あ、もちろん漫画の方ね。今月号の芸術新潮は『こんなに凄かった!長谷川町子と「サザエさん」』特集で、長谷川町子てどんな人だったかがなんとなくわかるけど、町子さん、なかなか怖そうです。へぇ〜、と思うこと多々あり。これは買って読むしかないでしょう。
さて、それはさておき、芸術新潮を買うとオマケで付いてくる(?)連載「ちくちく美術部」はお読みいただいているでしょうか。
この連載も16回目。今月号では群馬県立館林美術館の『再発見!ニッポンの立体』をマンガで展評しております。
展覧会の感想を言う場合、あえて大きく二つに分けるなら、作家や作品の感想を言うのと、展覧会の企画、見せ方の感想を言うのがあると思います。以前、東京国立博物館で開かれた『黒田清輝 日本近代絵画の巨匠』を取り上げて(第13回)、黒田清輝をめちゃくちゃクサしたんですけど、展覧会自体は良い……ていうか、ちゃんとしてました。黒田清輝の人と作品や時代がよく分かるナイスな展覧会でした。
ところが今回の『再発見!ニッポンの立体』は展覧会としてどうなのかなぁ……っていう。我々は外国人の設定でニッポンの立体を発見しに来たという体です。ま、詳しくは芸術新潮で。
というわけで、今週は展覧会の企画や見せ方に注目して「ちくちく美術部」の過去の部活動を少し振り返り、あ、こんな連載やってんだな、と知らしめるためのブログでございます。
東京都現代美術館の『オノ・ヨーコ 私の窓から』(第10回)も、惜しかったネ。すべての人に革命を呼びかけるオノ・ヨーコのユニークさを伝えるためにも、美術館にはシェフとしてあとひと仕事かふた仕事して欲しかった……という意味で美術館をレストランに見立ててそこに行くという趣向。
世田谷文学館の『浦沢直樹展 描いて描いて描きまくる』(第11回)は浦沢マンガのパロディで。
え?お前ら何様だって?……はい、芸人くずれ(とに〜氏)とポンチ絵描き(わたし)でございます。でもさ、「美術館の広報かよ!」って突っ込みたくなる展覧会の記事なんて、読んでてまーったく面白くないじゃん。自分がどう思ったか、正直に書くのが面白いんじゃん。正直こそ我々に出来る唯一の美徳でございます。
だから、ちくちくの名折れではあるけど、褒める時は褒めますよ。だっていい展覧会を観た時ってこっちも嬉しいもん。
東京藝術大学美術館の『ダブル・インパクト 明治ニッポンの美』(第3回)は規模は小さかったけど良かった。会場がもっと広くて、作品ももっと集められたら……っていう希望もあるけど、展覧会を実際に作る人たちは限られた予算や、制約の中でやっておられるわけだから、あまり求めるのは悪いのでありますが、それでもちゃんとした展覧会でした。荒波に揉まれる明治美術を双六風に描きました。
平塚市美術館の『画家の詩、詩人の絵 絵は詩のごとく、詩は絵のごとく』(第7回)これもすごく良かった。美術館の解説プレート読んでると、言葉で絵を説明する虚しさをしばしば感じることがありますが、それがない。なぜなら……
担当編集者のR氏と相方のアートテラーのとに〜氏と3人で展覧会を見た後に、あーだこーだ、感想を言い合うわけですが、この時間が楽しいです。(ここで、あんまり盛り上がらないと、では、次の候補の展覧会を見に行くことになる)で、意見が出揃った後、その場で私はだいたいのラフスケッチを考えます。で、家に帰って、ちゃんとしたラフに起こして、自分のセリフを考える。ラフの絵を見てとに〜さんも自分のセリフを考える。編集者の赤字が入る、もう一度練り直す。タイトルや展覧会の概要は編集者のお仕事。それでネームがまとまったら、デザイナーに文字を流し込んでもらう。ふきだしの大きさや絵の位置など調整して本番の作画に進む。ちなみに明らかに私の方が作業量が多いのだが、とに氏〜と私は同じギャラです(泣)。
フキダシの中のセリフだけが感想ではなくて、マンガ展評なので、絵もまた一つの感想だと思って描いている、つもりです。