発売中の美術手帖3月号は「超絶技巧!!宮川香山と明治工芸篇」。
〈2000年代以降、再評価とともに注目が高まる「明治工芸」。 それは、幕末から明治へという大きな時代の変化のなか、 職人たちが試行錯誤を重ねて生みだしたものだった。 金工、漆工、七宝、陶磁器などさまざまな分野で 空前絶後の写実性や細密さを誇る表現が花開き、海外で人気を獲得。 近代化を目指す日本の殖産興業を担った。 今年没後100年をむかえる陶芸家・宮川香山をはじめ、 明治の職人による超絶技巧は、今なお見る者を惹きつける。 時代背景や人物像を明らかにしながら、 明治工芸に宿る芸術の力に迫りたい。〉
……と美術手帖のサイトに書いてあります。興味のある方は是非、手にとって超絶技巧の作品に驚愕していただきたい。私は宮川香山の人生双六を描いています。宮川香山は今、サントリー美術館で没後100年を記念した展覧会をやっています。猫かわいいよ。
サントリー美術館/宮川香山
さらに、明治の超絶技巧の作家16人を必殺仕事人風に紹介するページも担当しています。このアイデア、なかなかオモシロイ。雑誌ならではの楽しい切り口で、超絶技巧工芸への入口にもなっている。こうやって、仕事人とその作品が一見開きに載っています。
ざっと、私の描いた仕事人だけ紹介しましょう。左、濤川惣助 右、並河靖之
左、海野勝珉 右、正阿弥勝義左、川之邊一朝 右、鈴木長吉左、赤塚自得 右、白山松哉
左、安藤緑山 右、柴田是真左、石川光明 右、旭玉山左、錦光山宗兵衛 右、高村光雲 左、安本亀八と松本喜三郎 右、飯田新七
彼らがどういう必殺技を持っているか、それを知るには美術手帖を買うしかない!
ところで……私の手持ちの1978年筑摩書房刊行「明治大正図誌 第4巻 横浜・神戸」には宮川香山、旭玉山の作品が見開きで紹介されています。そしてそのページのタイトルは「スーヴェニール・アート」となっている。つまり「おみやげ」ですね。解説文では「……(前略)香山たち細密な技巧にたよる輸出品工芸作家の作品は奇をてらったもので、技術偏重という明治工芸界の傾向を代表している」という具合いに片付けられています。
四半世紀ほど前までは、明治工芸はこのような扱いしかうけていなかったわけですが、今は違います。こうやって美術雑誌で特集され、美術館で展覧会が開かれるまでになりました。美術史家の仕事は、美術史を書き換えることであります。歴史は書き換えられることを前提としてあるのです。
美術史家、学芸員の先生には、ぜひ次に、明治大正昭和の挿絵やイラストレーションをとりあげて、日本美術史の中に場所を作ってほしい。今はやっと、小村雪岱が人気出てきたところ。私の大好きな石井鶴三や茂田井武もまだまだ評価が足らない。なんつったって、日本国民のたくさんの人が普通に楽しんでいた絵じゃないですか。そこらあたりが、きっちり評価されると、ワテら、しがないイラストレーターにもおまけでラッキーなことがおこりそうな気がします、他力本願、他力本願。
散歩の達人の3月号は「千住特集」。私は荒川の土手に行って人編観察をしてくるように頼まれました。
荒川土手といえば、そう、あの『3年B組金八先生』のオープニングでおなじみの土手です。たぶん日本で一番有名な土手といってもいいでしょう。2番目に有名な土手の名前がすぐに思い浮かんでこないので、だんとつ一番ですね。
そして金八先生のオープニングでは美しい人間のふれあいが次々にあらわれます。「まぁ、そこはドラマだから……」なんて言わないで、一度は自分の眼で見に行こうではありませんか。
ぼくは東京に暮らして四半世紀が過ぎていますが、荒川土手には、はじめて行きました。この画像でははっきり文字は読めないでしょう。これは本屋に行って買うかしかない!
ちなみに、取材のときに、土手のすぐ近くに「東京未来大学」という名前の大学があったのですが、そこは金八の舞台「桜中学」だったところなのでした。ま、私が知らなかっただけで、けっこう有名な話かも。つづきまして雑誌、Wedge2月号の特集「下流老人のウソ」に描いたポンチ絵です。タンス預金にしがみつく人、下流老人特集を読んで不安になる人。「下流老人に老後破綻。老後リスク本はシニアの心に刺さり、不安が経済を冷やしている。ブームは政策を動かし、3万円の給付金も決まったが、実はこの老後の貧困、統計分析としては不正解だ」とリードにあったので、まるうつし。シニアになっても働いたほうがいいらしいっすよ。自分のためにも、みんなのためにも。……どんなことが書いてあったか忘れましたが、この絵はそういう意図で描いた覚えがあります。今の日本はこういう状態ですからね。貧困化が進んでいるのは高齢者よりも、むしろ現役世代。台車から降りて、「よっしゃ、ワシも手伝うぞ」と鉢巻きしめて後ろから押しているおじさんいますよね。このおじさん、カッコいいです。
発売ホヤホヤ中の文庫のカバー仕事より。
ひとつ目は新潮文庫。久坂部羊さんが自分の青春時代を書いた『ブラック・ジャックは遠かった 阪大医学生ふらふら青春記』のカバー。大阪大学医学部は手塚治虫の母校であり、山﨑豊子の「白い巨塔」の舞台となったところである。帯には〈そこはアホな医学生の「青い巨塔」だった〉と書いてある。カバーデザインは新潮社装幀室の二宮由希子さん。
医学生の話なので、タイトルが包帯の上にのっている。この即物的アイデアもうまく効いている。こういう合成はパソコンを使えば簡単なことかもしれないが、二宮さんはわたしの絵をプリントアウトして、厚紙に貼り、実際に包帯を巻いて、スキャンしたそうである。だから、包帯から絵の色が透けている。アナログ手法で合成したから、なんとなく可愛さがでている、と思う。絵の内容に関しては、打合わせの段階でほぼ用意されていたので、それに従って描いた。つまり、たいして頭を使わなくて済んだ。
お次ぎにお見せするのは、光文社文庫、井上ひさしさんの『戯作者銘々伝』。以前はちくま文庫から出ていたのが、光文社から装いも新たに出ました。カバーデザインは高林昭太さん。
この本には12人の戯作者の話が入っている。鼻山人、式亭三馬、恋川春町、山東京伝……。山東京伝は知っている。他には名前を聞いたことがある人が数名で、あとはぜんぜん知らなかった。わたしは平成の戯作者になろうとする身なのに、この程度の教養しかないことを恥じます。
いくつかアイデアを考えて、最終的に4つにまで絞ってお見せしたところ、この形が選ばれた。元ネタは山東京伝が案のこの絵。円の中の人物を井上ひさしさんに変えただけなので、結果的にこっちもたいして頭を使っていない……。井上ひさしさんといえば、似顔絵描きからすると、顔の全部に特徴がある、非常に描きやすい顔だけど、もっとも特徴のある下半分は隠れてしまう。でも顔の上に著者名が入っているので大丈夫だぁ。