伊野孝行のブログ

落ち葉の掃き寄せ2015

単発の仕事などを紹介するコーナー、題して「落ち葉の掃き寄せ」。

まずは伊勢丹三越のクリスマスキャンペーンの仕事。今年は50人くらいの内外のイラストレーターを起用して、クリスマスのジェンカをやる!っちゅーことで、幸運にもそのうちの一人に選んでもらいました。日本のイラストレーターは全国にある伊勢丹三越の店舗のキャラクターを描いてます。ぼくは府中の伊勢丹を担当することになりました。府中はけやき並木が有名らしいんで、木の精のキャラクターが本を読んでいて、タッチは版画のようなタッチで、という注文がありました。注文にはなかったのですが、なんとなくクリスマスっぽく、なんとなく冬っぽくしておこうかな、と思って描きました。
↓下記をクリックすると動くクリスマスのジェンカが見れます。楽しいね〜。音楽がいいね〜。
‘LETKIS JENKA’ 2015 ISETAN MITSUKOSHI JENKKA!
この動画を見て、「オレのちょっと地味かなぁ…」と思いました。他のみんなはクリスマスとか冬の感じとか、あまり気にしてないのも、強いところですね。先日、新宿の伊勢丹本店に行ったら、店舗の外壁を絵が取り囲んでいたので、記念に写真を撮ってきました。こうやって並んでみると「キャラの弱さが逆にのんびりしていていいかもしれない」と思い直すことにしました。一応、府中伊勢丹まで足をのばしてそこでも記念撮影してきました。床に貼られてました。はい、お次。
「いきいき脳進化ドリル」というパズルやクイズが載っているムック本の表紙をシリーズで何回かやっていたのですが、その表紙の絵より。この中に、ひとり仲間はずれがいます。さてそれは誰でしょう?あとはこんなのとか。
はい、次。
「日経マネー」でボーナス特集のときに描いた絵。これは夏のボーナスの時に描いたやつです。ボーナスか…一度も就職したことがないからもらったことないなぁ。はい、次。主婦の友社の、大判読み聞かせアンソロジー絵本の第5弾「おばけやようかい」をテーマにした巻に描いた「酒呑童子」と「羅生門の鬼」の絵など。最後は童心社から来年出る予定の紙芝居「ぼうさまがくれたにわとり」の予告の絵。まだ作画作業ははじまっていないけど、とりあえずの予告。おじいさんのキャラ設定やタッチなども変わるかもしれない。今年ももう終わるらしいが、とにかくのんびりいきたいものよ。ごろごろ寝たり、のんびり過ごすのが一番好きだ、わたしゃ。

曾我廼家五九郎物語

曾我廼家五九郎(そがのや ごくろう、明治9年4月12日 – 昭和40年7月7日)は、日本の喜劇俳優である。曾我廼家五九郎丈のお墓は徳島県の吉野川市にあり、地元では「ごくろうさん」と親しまれている。そのお寺から仕事をたのまれた。正確に言うと、お寺のパンフレットを印刷している印刷会社から。もっと正確に言うと、その印刷会社の社長さんの妹さんから。どこかでわたしを見つけてくださったようだ。曾我廼家五九郎丈はノンキナトウサンの映画で一世を風靡した人で、彼の五九郎一座には若き日の伴 淳三郎もいた。お寺発行のパンフレットの曾我廼家五九郎丈の一代記を描いたので今日はそれを載せます。その可笑しささは東西演劇界随一!日本の喜劇王、曾我廼家五九郎一代記のはじまりはじまり〜!明治九年、四月十三日。武智故平は父、亀之助三十七歳、母、ミヤ十六歳の長男として産まれた。家は養蚕農家で故平少年は薪をひろって家の手伝いをした。貸本屋で政治小説を借りてはよく読んだ。夢は政治家であった。青年になった故平は東京に出て壮士劇に加わった。壮士劇とは政治理念を芝居仕立てにして演じる劇である。しかし、140センチそこそこの小さい体では、いっこうにいい役がもらえない…。生活は妻のキヨにもっぱら支えられていた。明治十四年、大阪から来ていた曾我廼家五郎・十郎一座に入門。「曾我廼家五九郎」の誕生である。

当時、東京には喜劇の一座がなかった。三年後に独立して「五九郎一座」を旗揚げする。最初はうまくいかなかったが、ついに浅草で大成功!永井荷風は「あんな面白いものをよくひと月に六本も出せるなぁ」と感心していたほどである。五九郎の人気を決定づけたのは麻生豊の漫画「ノンキナトウサン」の舞台化である。その後、映画にもなり人気は絶好調!巨万の富を築いた爆笑王の快進撃はまさにここにきわまれり!元が弱きを助ける政治青年。関東大震災の時には、私財を投げうち支援した。お金、お菓子、日用品をいれた「笑い袋」を罹災者に配ってまわった。世界恐慌、満州事変…世の中が暗くなる一方でも。五九郎は喜劇に命を削った。しかし…二・二六事件の年に、高血圧で倒れる。五九郎は昭和15年、七夕の日、六十四歳の生涯を閉じた。浅草にはノンキナトウサンの碑が立っている。「あなたはちいさな体に、大きな希望をいだいた。ご苦労さまといわれ、その言葉を芸名にした…」と刻まれている。

五九郎一代記これにておしまい!

※当ブログの五九郎一代記のキャプションは、お寺発行のパンフレットの文章とちがっているかもしれない。たぶん違っている。なぜなら、パンフレットはずいぶん前に送ってもらったが、ごちゃごちゃの部屋の中にまぎれてしまって、探し出すのが困難で確認できず…。そういうわけで、あしからず。

読み切り挿絵

昨日、ベロベロになるまで飲んでしまい、今日は二日酔い。しかも朝から〈永青文庫〉に春画展の後期展示を観に行かなくてはならない。芸術新潮でやっている「ちくちく美術部」の取材だ。もう、めちゃ混みで、熱気もムンムン。いっしょに行った担当編集者の高山れおなさんは、暑くてジャケットを脱いでいたが、黒いTシャツの背中に大きく「禅」という文字が白抜きされていて、可笑しかった。〈永青文庫〉の春画展の前期展示は友だちと観にいったのだけど、「ちくちく美術部」でとりあげるとは思わずに、自腹で分厚い図録を購入してしまった。春画展、展示以外にも、来ているお客様を観察するのもおもしろいです。社会現象としての春画展。

帰りに新潮社に寄り、社食でグラタン定食をごちそうになり、今、帰宅。頭が強烈に痛い。…こんな日はブログの更新もサボりたい…どうでもいい日記風文章で行数稼いだから、あとはサラッと絵を載せてバイバイしよう。文藝春秋の「オール讀物」11月号に描いた挿絵。平岡陽明さんの読み切り短編小説です。ここのところ、平岡さんがお書きになるときは、挿絵を担当させてもらえる。これで3回目です。

う〜頭痛い。今日はこれにて。

正岡子規ネオ

俳句雑誌「クプラス」第2号で「正岡子規ネオ」という特集があり、扉の絵を担当しました。俳句のことはぜんぜん詳しくないのですが、編集人の高山れおな氏は俳人であることはもちろん、現在芸術新潮の副編集長であり、わたしの連載「ちくちく美術部」の担当でもあります。

かつて25年間「芸術新潮」のADをしていた日下潤一氏のお声がけのもと、デザイナー、カメラマン、イラストレーター達のボランティア精神にのっとった仕事のおかげで、めでたくクプラスは第2号が出せたわけでございます。(…へへへ、なかなか恩着せがましいねぇ。)どうです?かっこいいでしょう?…手前味噌ですが、わりと気に入っております。文字も書いてます。「クプラス」は出るたびに俳句界に物議をかもす雑誌だそうで、とんがり具合が気持ちいいです。昨日、新宿の紀伊国屋書店に行ったら、まだちゃんと平積みされていました。エラい!

筒口直弘さんの写真による子規庵のヘチマが表紙です。もうとっくに発売されているのですが、発売時期はこのヘチマの季節でした。私がブログにあげるのが遅すぎたのです。子規庵って鴬谷のラブホテル街のすぐそばにあるんですよ。このおねぇさんは何者かわかりませんが、表4もすばらしい。子規庵の取材にぼくも同行しましたが、筒口さんいつのまにこんないい写真をとっていらしたのでしょう。

俳句のことがわからないのに断言しておくと、「クプラス」は新しいこととおもしろいことに挑戦している感じのする雑誌で、これぞ「文化」でございます。こころざしをともにする仲間でお金をだしあって作っているわけですが(わたしはちょこっとだけ絵で協力したにすぎません)、今後も続いてほしいなぁ。今日11月3日は文化の日で、休日だからついブログの更新もサボろうかと思いましたが、本日アップするにふさわしい雑誌だと思います。

大井町の音楽BAR

今売りではなく、もうすでに書店にはない「散歩の達人9月号」で描いた絵をいまさら載せます。ちょうど特集は大井町・品川・大崎で、ぼくは「大井町の音楽バーはなんだかすごいぞ!」というコーナーを担当した。イラストレーターは家で仕事を済ませることが多いので、取材があるとけっこう出かけるのが楽しみだ。一軒目はAOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)専門のバー「THE NIGHTFLY」。ちなみに取材はアポなしであった。お酒を2杯くらい注文してから、店主と雑談をかわすなかで、「実は我々はこういう者でして…」とおもむろに「散歩の達人」のバックナンバーを渡す。そこからぼくは資料にする写真をとらせてもらう。iphoneのカメラなのでこころもとない。お次は「Trust Saloon」ロック&メタルのバーです。実はここは取材の三軒目。二軒目のとあるバーで取材を断られてしまったのだった。もちろんそこでも取材を申し込む前にお酒を2,3杯注文しているから、つまり「Trust Saloon」ではもう6〜8杯目くらいを飲んでいることになる。バーだからがっつり食事をしないで、乾きものをつまんでいる程度なので、けっこう酔っぱらう。しかも二軒目で取材が失敗したから、なんとなく意気消沈してしまって、酔いもまわるって。結局、日を改めてもういちど大井町を訪れることになった。さて、完全にしらふの状態で取材再開。まずフランク・シナトラの専門「ALBERT BLUE」に入る。ここはけっこう食事も充実しているので、晩ご飯がわりに飲み食いしてしまう。この日の二軒目はモダンジャズバーの「IMPRO.」とにかく店の中が暗闇にちかく、撮った写真もほとんど使い物にならなかったが、異空間が心地よい。この店で取材も最後ということで、酒が進んでしまい、結局またけっこう酔っぱらった。実は二、三、四軒目の店は同じ建物にある。せまくて急な階段のついた、ふる〜い建造物。当然3つの店もものすごく狭いんだけど、となりあったお客さんとも自然にうち解けられる距離、っていいましょうか、いいんですよね。こういうバーの魅力だと思います。

「散歩の達人」は雑誌らしい雑誌で、取材も仕事も楽しい。お店の情報が載っている媒体は他にも腐るほどあるが(実際その多くは腐っているかも?)、「散歩の達人」は雑誌らしい切り口がちゃんとあるので、誌面をめくる指先を小躍りさせるのである。お世辞ではありません。

 

 

球道恋々おわる

小説新潮で連載していた木内昇さんの「球道恋々」がおわった。明治時代の高校野球創世記のおはなしでした。今までに当ブログにアップしたのもありますが、終わった記念にまとめて載せます。
以上!全18回分の挿絵でした。

整列!礼!ありがとうございましたっ!!