「芸術新潮」で連載中「マンガ展評 ちくちく美術部」今回は 面白うてやがて悲しき明治美術なのだ、の巻 と題して「ボストン美術館×東京藝術大学 ダブルインパクト」という展覧会をとりあげております。このブログで見せるのはフキダシの入っていない絵だけ。是非買ってお読みいただけますように。さて今月の「芸術新潮」は河鍋暁斎特集です。上記の展覧会にも暁斎の絵が出品されております。一番下のコマには暁斎も登場させました。で、今月は「美術手帖」も河鍋暁斎特集であります。二誌が同じ特集なのはフランシス・ベーコン以来だとか。実はわたくし「美術手帖」でもお仕事させていただきまして、暁斎の人生を8ページのマンガにしております。「河鍋暁斎物語(抄)」こちらも是非買ってお読みくだされい。
暁斎はエピソードがけっこう残っているし、それぞれがおもしろいのでマンガにしたらいいかもな〜と以前から思っていたところ、今回、暁斎の人生を紹介するページをたのまれたので、「是非マンガで描かせてください」と申し出ました。だいたいこういうページは、エピソードを一コマ的に抜き描きするか、双六風に仕立てるか、の方法がとられることが多いのですが、無理矢理にでもマンガにしてみたかったのです。もちろん8ページというのは人生を語るには短すぎるのでタイトルに(抄)とつけたわけです。
ちなみにページを押さえているのは私の足です。人差し指がいちばん長いギリシャ型でございます。
そんなわけで、二つの雑誌に同じキャラクターが登場しております。どうぞよろしく。
わたしは河鍋暁斎の絵の中では幽霊画などのコワ〜イ絵が大好きですね。なんでかって言うと、暁斎のうまさがピシィーッ!と効いてると思うからです。怖い絵というのは、うまいから恐ろしさがひきたつわけで、写実的描写のうまい噺家の怪談話を聞いてるようなかんじです。(ちなみに三遊亭円朝も暁斎とおなじく歌川国芳の弟子だったことがあるんですよ。)
しかし、河鍋暁斎の絵は基本的にうまさが供給過多で、どの絵も盃からあふれる酒のように、うまさがドボドボあふれているんだけど、わたしにとっては必ずしもそれが面白いことではないのです。かえってある種の退屈さを感じてしまうこともある。
…なんともおそれおおいことを、言ってしまいましたが、いや、でも三菱一号館美術館でやってる展覧会を見に行けば、またちがった感想をもつと思います。けっこうさー、画集や展覧会によって印象かわったりすること多いもん。楽しみだなぁ〜。この絵はわたしが2010年に描いた「河鍋暁斎の肖像」です。うまさがぜんぜん供給過多じゃないですね。これ版画なんですよ。左右が反転するのを忘れてたんで左利きになってますが。そういえばこの暁斎の肖像画の他、約50人の画家を描いた「画家の肖像」って本、ひっそり売ってるんですよ。ぜったいおもしろいよ。ぜったい損しないって。このあいだ久しぶりに読みなおして、「いや〜おもしろいな〜っ!」って自分で感動したもん。
買った方がいいと思います。
「画家の肖像」ハモニカブックス刊
「芸術新潮」で連載中の「ちくちく美術部」、今月は東京国立近代美術館でやっていた「生誕110年 片岡球子展」(ただいま愛知県美術館に巡回中)を観にいった感想です。片岡球子は今までちゃんと見たことがなかった。ここではセリフのないバージョンを載せておきますので、興味のある方は書店でどうぞ。ところでこの連載、2色ページの掲載で、毎回特色がかわる。今回はデータ作りに失敗したようで、誌面に印刷された絵は暗〜い感じになってしまった。
最近はデータまでこちらで作ることが当たり前のようになってしまったが、自分で2色分版しないで、印刷所でやってもらったほうがキレイにいくのではないかと思い、大日本印刷の工場の人と相談したが、2色分版はプロでもなかなか難しいとのこと。今回のようにあまり混色しないほうがうまくいきそうだ。
さて、これは半年くらい前に終わった「野性時代」で連載していた赤川次郎さんの「鼠」シリーズの扉絵。挿絵を描こうと思って原稿を読む場合、頭の中に映像をうつし出して読んでいる。「あ、ここは絵になる」という場面をいくつか候補にして、そこから絞っていく…わけなんだけど、いつもうまくはいかない。たいていうまくいかない。
誰でも、夢の中で現実のような世界を見ることができるわけだから、頭の中に映像を描くことはみんな出来る。映像をそのまま引っぱり出してきて、定着させるって作業が得意な人を一般的には絵が上手という。
河鍋暁斎は描くものをよく観察して自分の中に入れてしまってから、後でそれを自在に描き表したそうだ。暁斎が絵を描いているところをまわりで見ていたら、この人何も見ないでよく描けるな〜と感心するにちがいない。でも暁斎の頭の中にはクッキリと見えているんだろうと思う。
ぼくも頭の中ではイメージがあるのに、いざ、絵にしようとすると急におぼろげになってしまう。しかし、絵は暁斎のような特殊な才能がある人=うまい人というような単純なものでもないので、そういった才能を別段うらやましいとは思わないが、あれば便利だなとおもう。
小説現代5月号(つまり、もう店頭にない号)で岡崎大五さんの「世界満腹食べ歩き」に描いた絵から。第2回目は「日式ハマグリと北朝鮮の喜び組」というタイトル。岡崎さんが中国東北部に旅行したときのおはなしです。中国の大連から、北朝鮮国境の丹東という街へ旅をする。扉絵に描いたのは丹東の「北朝鮮レストラン」である。岡崎さんがたのんだガイドの閻(えん)さんによれば、ウェイトレス全員があの「喜び組」だという。ほんまかいな?と岡崎さんが半信半疑で入ったレストランの様子を、わたしの念力で想像して描いた。
念力だけでは描けないので、画像検索もするのだが、丹東の北朝鮮レストランには、中国と北朝鮮の国旗が並んで飾られているようだ。
なにせ、ここは鴨緑江(おうりょくこう)という川をはさんで、北朝鮮のすぐとなり。鴨緑江は大きな川だが、20キロほど上流には川幅数メートルの「一歩またぎ」といわれる国境さえある。さて、その鴨緑江の下流ではハマグリの養殖が盛んである。
ガイドの閻さんは…
「ハマグリ、美味しいよ。すぐそこの鴨緑江で採れたものさ。戦前に日本の霞ヶ浦から持ち込まれた。ワカサギも入ってきたけど全滅し、残ったのがハマグリだった。だからこの料理も日式(日本風)かな」といいつつ岡崎さんの払いなのに「どんどん食べてよ」と勧めるのであった。
ちなみに中国産のハマグリは日本で流通の98%を占めており、鴨緑江産ハマグリを採っているのは北朝鮮の人だという。人件費が安いから。
海水と淡水の汽水域で、なおかつ中国と北朝鮮の混じりあう土地でもあり、そこで日本からもちこまれたハマグリを育てて食べている…おもしろい。
ところで、アサリなんかをスーパーで買って来て、砂抜きをさせるために、塩水の中に入れる。そうすると舌をだして動きだしますよね。あれ見てるの好きなんだけど、ついホトケごころが出て、食べるのかわいそうになっちゃうなぁ。結局食べますけどね。
新潮文庫アンソロジー「迷君に候」のカバーを描いた。新潮文庫の時代小説アンソロジーは前にも「まんぷく長屋」というのを描いたことがあるが、とにかくアンソロジーは原稿を読むのが楽しい!傑作ぞろいなんだから。縄田一男さんの選び方もとてもおもしろい。個人的には、前から読んでみたかった菊池寛の「忠直卿行状記」をこのバカ殿アンソロジーで読めてうれしかった。
カバーの絵は思いっきりバカ殿だが、内容はシリアスなものが多い。「忠直卿行状記」も家臣をだんだん信じられなくなって、狂乱の度合いを増す孤独でやるせない殿様の悲劇だ。まっこと名作である。
アンソロジーは買って損なし。みなさまも是非一読を。
さてもうひとつお知らせ。このすばらしい表紙の絵は残念ながら私の絵ではない。中村隆さんの絵だ。講談社のノンフィクションの雑誌「G2」が19号をもって最終号になる。最終号の編集人をまかされた青木肇さんが巻頭言で次のように語る。
〈最終号となる「G2」第19号の編集を任された時、窮鼠は窮鼠なりに幾ばくかの「風」を引き起こそうと、自分がやりたいことは誌面を使って徹底的にやってやろうと考えた。雑「誌」とは志を言(ことば)で語るものだと思うから。〉
またこんなことも
〈装幀や誌面を、憧れの雑誌、米国の『ザ・ニューヨーカー』に少しでも近づけようと努めた(もちろん予算やプライドなどの諸事情により「全然似ていない」とも言える。〉
編集者の方がビジュアルに凝ってくれるのはイラストレーターとしては大変にうれしい。「G2」最終号だけをデザインした日下潤一さんは「ノリノリで作ってる」と言っていたが、この表紙を見て納得。表紙がタイトルと絵だけなんて、青木さんの思い切りもうれしい。
わたしは佐々木実さんの「強欲資本主義の誕生」という文章の扉を描いてます。佐々木実さんは『市場と権力「改革」に憑かれた経済学者の肖像』という本で新潮ドキュメント賞と大宅壮一ノンフィクション賞をW授賞されてる方で、ちなみにその本のカバーはわたしが描いてまんねん。さて「G2」は今号で終わりですが、〈ノンフィクションの可能性について検討を続けた上で、2016年1月に新たな形で再出発する予定です。〉とのこと。いつか表紙を描きたいものである。