伊野孝行のブログ

ヘタよりうまいものはなし

福音館書店の「母の友」に描いた挿絵から。「お父さんという生きもの」という特集。「イクメンという言葉が飛び交う昨今ですが、父親の真の役割とはなんなのでしょう。京都大学総長で霊長類学者の山極寿一さんや、落語家の春風亭一之輔さんにお話をうかがいます」という内容でした。それぞれの家庭での父親のありかたを、仕事帰りのおとうさんがしゃべってます…という設定で記事はすすみます。もりあがってきちゃって、ちょっとこぜりあいに。ケンカするのも仲がいいからね。落語にみる父と子ども。この絵は「初天神」。この絵は「子別れ」。この絵は「雛鍔」。
さて、今回は「ヘタうま」で行こうと思って描いたのですが、なんと難しいことでしょう。「ヘタうま」の表記は「ヘタ」がカタカナで、「うま」がひらがなです。湯村輝彦さんがそう書いているので、それが正しいのです。
リアリズムの方向で感じを出すのと、形をくずす方向でニュアンスを出すのと、どっちがむつかしいかと言えば、そりゃ、ヘタに描く方でしょう。
リアリズムの方向でいくのなら、なにせ元になる形はそこにあるわけですからね。形をくずすのは「当たり前」を裏切らないといけない。当たり前から開放されるから、ヘタな絵は気持ちいいのかもしれない。
落書きで描いてる時なんか、気持ちがスーッと出ていい形やいい線になることもあるけど、仕事だと、どこかに力がはいって硬くなるんですよね。ほとんどダメだなぁ。この仕事もぜんぜんうまく(ヘタに)いってない。
上手に描くのも大変なことだけど、絵は努力で解決できるもんじゃない、って思います。脱力。無意識。わたしはわたしを忘れたい。

 

 

阿部珠樹さん

ナンバーで「スポーツ惜別録」を連載されている阿部珠樹さんがお亡くなりになった。病気のためここひと月ほど休載になっていたが、よもやこんな急にお別れしなくてはならないなんて。

直接お会いしたことはなかったが、文は人なりで、阿部さんのお人柄に親しく接していた気がする。このブログで何度も告白しているように、わたしはスポーツに疎く、「スポーツ惜別録」でとりあげる人(阿部さんは競馬好きなので馬も多かったし、他には球場や漫画の連載の最終回をとりあげたこともあった)の半分も知らないのだが、毎回きっちり読み応えがあった。第52回 落ちない」大宮が、無念のJ2に降格。最終節に未来を見る。第53回 めぐり合わせの不運。ミホシンザンはなぜ、「谷間の馬」だったのか。第54回 川風で鍛えた美声。立呼出・秀男は「時代の子」だった。第55回 グラウンドの中でも外でも頑固で一本気。大豊泰和の不器用な人生。第56回 厳しさと優しさと。”極限の3試合”を戦い、日本柔道を守った男。第57回 薬物、マネーボール、日本人。“時代”と寄り添ったジアンビ。第58回 ずっと覚えていよう。後藤浩輝の笑顔と、見事な騎乗ぶりを。

阿部さんの視点で、引退や晩年の幕引きから見返すドラマには、おおげさなところがひとつもなく、とても好きな文章だった。文体にあらわれる体温やリズムが、こちらの気持ちまで整えてくれる。コラムでとりあげられたスポーツ選手が解説者になって、テレビにでているのを見かけると、自然に応援したくなるのは、あきらかに阿部さんの文章を読んだせいだと思う。

惜別録なので、時にしんみりとした読後感になることもある。ちょっとしたユーモアをそえるために私の場所が与えられていた。こういう時の気持ちはなかなか言葉におきかえられないが、どうもありがとうございました、と申し上げたいです。

最近の「賢人の選択」

UCカード会員情報誌「てんとう虫」とセゾンカード会員情報誌「express」(この二つの雑誌は中身はおんなじ)で泉秀樹さんの「賢人の選択」というコラムに絵をつけています。というわけで、ここ最近の挿絵を。開国する決断に悩む井伊直弼。動揺する御家人たちに大演説する北条政子。江戸城が火事で焼け落ちた後、天守閣など作らなくてもいいと言う、保科正之。三増峠の戦いで天下とりのためにわざと退却する武田信玄。徳川家康に楯突くヘウゲモノの古田織部。

このコラム、タイトルが「賢人の選択」とあるとおり、偉人たちの選択にいたる過程と決断が書かれています。ぼくは高校生のとき、大学の受験科目に「世界史」を選んでしまったために「日本史」の知識に穴のある部分が多いのです。この連載に関する限りその選択はまちがっていたということですね。

閉店屋五郎

人情ものを書かせたら天下一品の原宏一さんの新刊「閉店屋五郎」のカバーを担当しました。打合わせのときのノートを見ると〈現代の寅さん〉〈骨太〉〈エネルギッシュ〉〈主人公+娘〉〈若いころの西田敏行〉とメモしてある。それらのリクエストを全部いれたつもりなのが、このカバーです。文藝春秋より発売。デザインは征矢武さん。筆のタッチを残して描こうとしたのだが、この塗り方はぐずぐず塗りなおしていると、すぐに平坦なマチエールになってしまう。色も画面の上で混ぜるくらいな感じでやったほうがよさそうだ。特に顔は「若い頃の西田敏行」風にしたかったので、それらしくなるまで何回も描きなおす。やっと似たと思ったら、今度は筆のタッチが死んでいる…なんてこともあった。まだまだ研究の余地がありそうだ。

こどものとも5月号

福音館書店の「こどものとも」5月号の絵本として「おべんとうを たべたかった おひさまの はなし」を描きました。本田いづみさんの作。この絵本のめずらしいところは縦にめくって読むところです。というのは、話がすごく上下するからです。てきとうにダイジェストに載っけますが、おじいさんのお弁当をおひさまが食べたいお話。たけのこ掘りにきたおじいさんがおべんとうのつつみを置いたのをみつけたおひさま。おいおい、おじいさんそんなところにおべんとうを置いていっちゃいけないぜ、と思うが、いちいちそんなことをつっこんでいては絵本なんて読めないぜ。お日さまは、春になるときに、みんなを照らしてあげたので、おなかがペコペコなのである。おひさまがおべんとうを食べるのか?おひさまはお腹がへるのか?なんて野暮なことはつっこまない。子供のこころをもって絵本を読もう。いいな〜、おべんとう食べたいな〜、と思うおひさまなのだが、そのまえに、つつみの中身がおべんとうであることがなぜわかったのか?……お天道様はなんでも知っている、と、昔の人はよく言ったもんである。じーっと、じーっとおひさまが見つめると、ポカポカしてきた地面から、それもちょうど、おべんとうのつつみにひっかかる位置からたけのこが生えてきた!すごい!おひさまは、こりゃいいぞ!と思ってさらに照らすと、どんどこたけのこは伸びる。そんなに伸びたら竹になるんじゃないかって思うのは、くだらない大人になった証拠。たけのこのままどんどん伸びる!…さて、おひさまに届くまでは、まだまだ伸びなくてはいけません。このあとどうなるのか!?そしておべんとうを食べ損ねそうな可能性大のおじいさんはどうなる?…それはここでは見せられない(絵本というのは子供が何度も読んでくれろ、と親にせがむものなので、話がすべてわかったところで問題はないようだが、やはり見せないことにしよう)。そしてもうひとつのアナザーストーリー、おじいさんとおばあさんのこともあるのだが、それもここでは触れない。ちなみにおばあさんは、文中には登場しないのだが、ぼくが勝手に登場させた。たけのこの季節ですなぁ。今晩はたけのこご飯にでもしようかな。

伊藤若冲特集

ただいま発売中の「芸術新潮」で伊藤若冲のイラストレーションを描いてます。伊藤若冲は奇想の絵師。それならちょいと奇想のイラストでもいいかな?と…すこしやりすぎた見開きになってしまいました…。みょうちくりんな絵ですが、史実に基づいた場面を描いております。くわしくは「芸術新潮」でご確認を。他にも「若冲絵暦」と題した年表にも7点描いてます。ところで「芸術新潮」以外にもすでに3冊伊藤若冲を特集している雑誌があります。「聚美」「別冊太陽」「Pen」につづいて「芸術新潮」は4番手。なぜこぞって特集をやってるかというと、ちょうどサントリー美術館で「生誕三百年 同い年の天才絵師 若冲と蕪村 」という展覧会をやっているからです。昨日、展覧会を見てきました。月曜の昼過ぎにもかかわらず大盛況。月曜日は他の美術館が休みだから、余計に混んでいたのかも。とにかくスゴイ人気なんですよ、伊藤若冲は。片方の与謝蕪村だって人気はあるはずなんだけど、異常に人気なの、若冲が!伊藤若冲と与謝蕪村が同い年で、しかもお互いものすご〜く近所に住んでいた、という事実を今回はじめて知りました(はっきりと交流をしめす記録はない)。エピソードとして聞くだけなら、「ほう〜、そうなんだ」くらいにとどまるけど、実際に2人の絵を並べて見るのはとてもおもしろかった。僕の中で二人は比べる対象ではなかったのに、この展覧会のおかげで否が応でも比較して見れた。二人はとても対称的。若冲は人物画がとても少ない(ぼくは若冲の人物画はあまり好きじゃない)。蕪村は人物大得意。中国山水や俳諧の世界を楽しそうに遊んでいて、どこまでも広い。

若冲は動植物をこよなく愛する少年だった(子ども時代に昆虫好きだった人に変わった人多し、という説もあり)。いまではテレビの自然ドキュメンタリーなどで、動植物の小世界に、想像以上の色や形のおもしろさ、美しさがあることはみんな目の当たりにしているが、三百年前の若冲の絵はまさにその世界。狭い世界のなかに広がりがある。若冲はちょんまげ姿の日本人など描きたくない、とも言っていたようです。

ぼくも小学5年になるまでは、人間の友だちより、虫や魚と親交をもっていた孤独な子どもだったのですが、「カマキリのカッコ良さにくらべて、人間はなんてカッコ悪いんだろう」とよく思っていました。その気持ちを死ぬまで持っていた若冲はやはりそうとうな変わり者です。

ぼくはその後すっかり宗旨替えして、人間描くの大好き、むしろリアルな昆虫とかメンドクサクて描きたくない大人になりました。若冲の色使いはみなさん知るところですが、それよりも蕪村の色使いが不思議でした。金箔をつかってるわけじゃないのに、画面が光っているように見えるのはこれまでも体験しましたが(照明の影響もあるかもしれない)、隣り合う色の組み合わせや、バックの色の効果、などを見て蕪村はカラリストだなぁと思いました。