伊野孝行のブログ

世界満腹食べ歩き

今月の小説現代(4月号、下谷二助さんの表紙がスゴい!)から新しくはじまった岡崎大五さんの「世界満腹食べ歩き」に絵を描いています。第一回目は岡崎さんがキューバに行ったときのおはなし。「カストロ存命中にキューバに行くべし」は海外旅行マニアのあいだで数年前からささやかれていたフレーズであるという。いまや地球でのこり少ない社会主義国のキューバへの旅。扉の絵では、キューバの街の雰囲気を伝えたかった。そうするとどうしても〈いわゆるキューバのイメージ〉を合成することにもなる。でも新鮮な絵にしたい。このあたりのコントロールを考えねばならぬ。旅のときの写真をかりるために、担当さんを通じて岡崎大五さんと連絡をとったが、岡崎さんのお人柄にすっかり気を良くしてしまった。連載のはじまりはいつも、うまくいくかどうか不安だ。岡崎さんはぼくのブログの茂田井武の記事を読んでくれたようで、茂田井のことをメールに書いてくださった。茂田井のことを好きな人、というだけで太い精神的なつながりを勝手にいだいてしまう。

茂田井がシベリア急行でパリに向かったこと。日本人倶楽部で皿洗いをしていたときの金子光晴との交流。藤田嗣治とも交流があったと岡崎さんは見ている。連載中にはシベリヤ鉄道にのって、エッセーに書きたい、連載の人気が出たら、取材費をねん出してもらっていっしょに行きましょう、なんて書いてくださるから、気持ちが躍った。

新宿はじっこ巡り

さっきから「散歩の達人」3月号を探しているのだが、見当たらない…おかしい。「新宿は、はじっこがおもしろい」という特集でなかなか読みごたえがあったのだが、いざ、紹介しようと思ったら、どこへいってしまったか。片付ける才能より散らかす才能の方が上まわっているのでよくあることだが、そのうち出てくるだろう。わたしは特集のなかで、ライターの中野純さんと「新宿おんな地獄ツアー」というのをやった。江戸時代、新宿は江戸のはて、というか宿場町だったわけです。江戸時代の内藤新宿には飯盛り女がたくさんいて、飯盛り女が慕う奪衣婆(だつえば)がまつられ、水の匂いがする町だった。その痕跡をおいもとめて、新宿のはじっこを中野さんと編集長と私でうろついてきたわけなのであった。天龍寺のおっぱい観音

一日がかりでめぐった場所は約20カ所。天竜寺に待ち合わせて取材スタート。ここの観音様はおっぱいがあるのだ。そのあと旧旭町(天龍寺裏の黒線の名残)→緑苑街(白線の名残)→太宗寺(閻魔、奪衣婆、江戸六地蔵、三日月不動等)→百合の小道(番衆町川跡)→成覚寺(飯盛女の投込寺)→正受院(綿のおばば)→仲通り(赤線の名残)→新宿御苑(玉川上水跡)→多武峯内藤神社(神馬殿の白馬)→鎌倉街道(蟹川跡)→西向天神社(富士塚)→大聖院(紅皿の墓)→抜弁天(江戸六弁天、犬小屋跡)→箱根山(戸山2丁目)→稲荷鬼王神社(崩れ富士塚、鬼の水鉢)→円照寺(寄せ乳奪衣婆)→成子天神社(富士塚)→熊野神社(十二社大滝跡)→十二社(池跡の窪み、花街跡)とまわる。いやー、長年、新宿はよく使う街ではあるけど、今回まわるところはほとんど行ったことがない。たとえ通ったとしても、時空をこえて過去と対話することなど思いもよらない。でも、案内人の中野純さんについてまわると、新宿がまるで違う街のように思えてきてすんごく楽しかった。わたしのブログでは同行したときに撮った写真(特集内容とはほとんど関係ないものばかり)とカットしか載せないので是非「散歩の達人」で読んでもらいたい。いきなり特集とはなんの関係もないが、あるお宅の玄関ドアがヘンだったのでおもわずシャッターをきった。またまた特集とは無関係だがイチゴちゃんたち。これは特集と関係ある写真だ。こののっぺらぼうのお地蔵さんはどこにあるでしょう?知りたい人は本屋さんに走ろう。左が中野さん、右が編集長。いよいよ我々はレズビアン地帯に入る。レズビアンの街角になぜか「男」の看板が。一文字の看板は他にもまだあった。そうそう、新宿御苑では狸にも遭遇したっけ。太田道灌の山吹の花のエピソードも、場所は新宿である。またまた関係ないけど、らくがきがちょっと判子っぽかったので。さぼてんです。抜弁天の近くには、かつて綱吉将軍のときのお犬小屋があったのだ。このお犬様はそれをあらわしておる。新宿の西、熊野神社の下にはかつて大きな池があったんだって。知ってた?そのまわりは花街として栄えたが、いまは埋め立てられている。でも窪んだ地形はそのままだし、かつて池の縁だったとおもわれる奇妙な小道も発見。なぜかそこはゴミ捨て場みたいになっててちょっと不気味だった。詳しくは中野純さんの渾身のルポを読んでもらいたい。

しかし、ふだん家でばかり仕事しているので、たまにこういう取材についていくと、たのしいもんだなぁ。

赤瀬川原平合戦絵巻

芸術新潮の2月号「超芸術家  赤瀬川原平の全宇宙」で「赤瀬川原平と仲間たち 超芸術宇宙星座早見表」と題された相関図の似顔絵を担当したことは、以前にもチラッとお知らせしたが、もう次の号も発売されたことだし、今日はその絵を載せよう。

100人以上いて、名前を全部書き出すのがタイヘンなので、誰の似顔絵か想像で当ててほしい。それにまだ買っていない人は、この機会にバックナンバーを購入し、似顔絵が誰であるのかの答え合わせをすれば、それはきっとステキなことだ。相関図の監修は松田哲夫さん。赤瀬川さん少年期【新世紀群】このへんの似顔絵は、資料写真が乏しく似てるかどうかわかりません。【ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ】略して「ネオ・ダダ」。赤瀬川さんの著書「反芸術アンパン(ちくま文庫)」に当時のことが書かれていて、おもしろいので、すご〜くおススメ。我々イラストレーターにとっても赤瀬川さんの著書、作品は必読必見ですし、目標におかなくてはなりません。目標、遠い!【ハイレッド・センター】似顔絵資料見てて、高松次郎さんてほんと男前だよなぁ、と思いました。松濤美術館でハイレッド・センターの展示を観にいったとき、ちょうど会場に山口はるみさんがいらして「高松さん、かっこよかったわよ♡」とおっしゃってました。赤瀬川さんもエラさえはってなければ、かなりの甘いマスクですよ、若いときの写真を見て確信しました。「シェルタープラン」は帝国ホテルでおこなわれました。そこに呼ばれて計測された三人。宇野亜喜良さんも計測されました。和田誠さんはどうでしょうね?「赤瀬川さんを偲ぶ会」がその帝国ホテルでおこなわれました。似顔絵を描かせていただいたことも、偲ぶ会に呼んでもらったことも、私にとってはありがたすぎます。ハイレッド・センター周辺の人物とご存知【千円札事件懇談会】。針生一郎さんてこんな顔の人だったんだ、と資料写真をみて知りましたが、どの方が針生さんかわかりますか?60年代後半から70年代は赤瀬川さんが雑誌で奮闘していた時代。このころのラジカルさ、カッコいい!【櫻画報社】で雑誌ジャックをしたり。【ガロ】に描いた超芸術マンガ「お座敷」も超ど級の大傑作。展覧会ではじめて見てぶったまげましたね。赤瀬川さんの本には未収録らしいし、図録にも数ページしか載っていないのですが、近々本になるといいですね。千葉でやってた展覧会でも触れられてなかったし、「芸術新潮」でもとくに触れられていないのだけど、赤瀬川さんが赤塚不二夫さんとアホなことをしていたなんて知らなかったなぁ。似顔絵を描くとき、漫画家はマンガのキャラでいい、という松田哲夫さんの指示のもと(たぶん、この相関図のお手本になっている『論壇地図』のときのもそうしてた)赤塚さんはバカボンのパパを描いても「これでいいのだ!」【ラブミー牧場】若い頃の写真を見ると、みなさん「若い!」わけなのですが、やっぱり一番パンチがあったのは南伸坊さんのガリガリで長髪だった時の写真でした。でもすでにここではおにぎり頭に。【美学校】ぼくがもう少し早く生まれていて東京にいたら「美学校」に行ってたかな?ものすごい引っ込み思案なところがあるから遠くながめていただけかもしれない。浅生ハルミンさんは赤瀬川さんの授業はもう終わってたんだけど、美学校に行ってらしたようです。芸術新潮で「私が好きな赤瀬川原平の仕事」というアンケートに寄稿されています。ちなみに浅生ハルミンさんはぼくとおなじ三重県津市の出身であることがわかり、うれしゅうございました。【尾辻克彦】79年からはかねてからあった文章の才能を大発揮して芥川賞もおとりになります。芸術のこと、絵のことを文章にして、しかもそれがおもしろいというは至難の技である。それが出来る人というのはほんとに限られている。赤瀬川さんを大尊敬するのもまさにそこでありまして、赤瀬川さんの仕事というのもそこを自由に行き来できるからではないだろうかと、さらに尊敬するわけです。誰もがみんな知っている【路上観察学会】。シュルレアリスムというのはダリやマグリット(もちろん代表的な人気者)みたいな表現だとつい最近まで思っていましたが、20世紀最大の芸術運動であり、考え方やものの見方まで、あらゆるものに影響をあたえているわけです。で、極東の日本で「路上観察学会」のような実を結んだのが最高!南伸坊さん曰く「赤瀬川さんが誰に似てるかと言うと、それはやっぱりデュシャンなんだよね」デュシャンは芸術を冗談のように考える人と、こむつかしく考える人と両方に影響をあたえてしまった、というのも伸坊さんのおっしゃるところだが、赤瀬川さんは今のところこむつかしく考える影響はあたえていないので、そこがまた最高!【縄文建築団】似顔絵の参考にしようと思ってyoutubeで藤森照信さんの「建築探偵・近代日本の洋館をさぐる」という擬洋風建築を訪ねる番組を見てたらおもしろくて全部見ちゃったよ。「看板建築」って言葉も藤森さんが発明したという事実も最近知った次第。相関図の最後をかざるのは【日本美術応援団】。いまやすっかり日本美術は人気で、いろんな本や雑誌の特集があります。くりかえしになりますが絵のことを直接語れる赤瀬川さんのような人に、もっと書いてほしいな。ライカ同盟のメンバー、秋山祐徳太子さんが、偲ぶ会でランニングにパンツ一丁であの「ダリコ」をやって、忍ぶ会の会場をさらに〈盛り上げて〉おられました。秋山祐徳太子さんの「泡沫桀人列伝 知られざる超前衛」という本もすごくいい本で、なぜか心が温かい気持ちになります。

てなわけで、あいだあいだに雑文を書いてたら、名前を書き入れるよりめんどくさくなってしまいましたが、まだ買ってない人はぜひ「芸術新潮」を買うように。

お土産は芸術だ!

江戸アートナビが更新されたので、こっちもそれを載せておこう。今回は「和洋折衷の土産物が西洋人の間で大流行!作者不詳《和装西洋男女図》の巻」でございます。くわしくはサイトで直接読んでいただくことにしてぼくのブログは余談でも。

江戸アートナビはこちら
五姓田芳柳という人が、日本に来てた外国人船員相手のお土産を描きはじめて、それが流行したという話から、美術のおもしろさとはなんぞや?というところにつっこんでいくのが今回のポイント。ちなみに江戸アートナビでとりあげているのは作者不詳の絵で、五姓田芳柳工房の作にくらべるとやはり質が落ちますね。だからいわゆるお土産的であります。(画像は「芸術新潮」のデロリ特集号より)左の男性の絵が五姓田芳柳作。右は矢内舍柳村という人の絵。あらかじめ描かれた着物の絵と外国人の顔を合成してお土産をこしらえるわけです。五姓田芳柳は歌川派や狩野派に学んで油絵にも興味津々だった人だったので、お土産とはいえ、ウマい!写真みたいに描く技術をすっかりマスターしてるじゃないですか。絹にサラッと描いてこのリアルさ。きっとカメラオブスクーラみたいな光学的な機械も使ってたんじゃないでしょうか。安村先生は、そういう技術ってのは明治に一気に入って来たわけじゃなくて、江戸の頃から徐々に入って来てる、って言ってましたね。

この時代の美術を書いた本に、木下直之さんの「美術という見世物」(講談社学芸文庫)があって、とてもおもしろいので、おすすめです。高橋由一の絵も「油絵茶屋」で飾られていたらしいっすよ。そんで時代が進むとちゃんとしたところで見せるようになるんだけど…その後の日本美術を見ると、こういう感想をもらしたくなります。

 

 

中国古典諸子百家

横浜銀行総合研究所が発行している「ベストパートナー」という雑誌(書店には売っていない)で守屋洋さんの「中国古典のリーダー学」というコーナーで絵を描いています。版画でお願いします、といわれたので久しぶりにゴム版でやってみました。孔子と弟子たち。金をがめって孔子に怒られる社長の図。孫子の中にでてくるエピソード。なんだっけかな?情報収集ということだったか?盗み聞きをしている図。孫子の教えにあるリーダーが備えていなければならない5つの大切なこと。荀子と孟子の性善説と性悪説。荀子も孟子も、もとは孔子の教えから派生してできたものである。

さて

人間の考えは、釈迦やソクラテスやキリストや諸子百家の時代に出尽くしている、という説に賛成だ。どうしても賛成したい理由がある。

すでに諸子百家の中の、荀子と孟子が、孔子の教えの片面をそれぞれ強調している、らしいしではないか。

エピクロス派とストア派も、同じことを片方から言うと快楽主義となり、もう一方から言うと禁欲主義になる、らしい。らしい、らしい、と言っているのは読んだことがないからだ。

プラトンの「ソクラテスの弁明」とかは読んだことがある。当然読みやすいしおもしろい。「老子」「荘子」を読んでずいぶん、気持ちが助けられたこともある。

20代の頃は難しい本も読んでみようと思って、買ってみたりしたこともあったけど、一行を読むのに3回くらい読みなおして、しかもおぼろげにしか意味がつかめなかった。がんばって一章を読んでも、結局何を言っているのかよくわからない。自分は頭が悪いんだ、と思ってたけど、ある時、一行読むのに3回も読まなきゃ意味がつかめない日本語を書く方が悪い、と思ってから、難しい本を読むのをやめた。

人間の考えが二千年くらい昔にすべて出そろっていて、あとは組み合わせのバリエーションだったとしたら、最初のヤツを読んだほうがいいと思うんだけど。それらの本はむつかしい言葉は使ってなくてわかりやすいし。

すみません。わたしのブログ、絵以外はすべて余談です。

白黒単発仕事

「そういえば伊野さん、相撲好きでしょ?ダンボールの絵柄をちょっと変えたいんで、描きません?でもいつもの脱力系の絵ではあきませんよ」「あと、誰か特定の横綱に似ないようにしてくださいね」相撲の絵を描かせてあげるから言うこと聞いてね、というわけだが、もちろん喜んで描いた。両国国技館で買い物をして佐川急便で送ると、このダンボールで送られるらしい。定規を使えば、いつものヘナヘナした線にはならないのでごんす。

お次ぎはダンチューのお肉の特集だったかで描いたくじらの絵。

水墨画のように描いてほしい、ということだったのでなんとなくの雰囲気で描いたが、そもそも「水墨画」というのは身近なようで実はよく知らない。本を読めば、中国絵画としての水墨画、日本で発達した水墨画など、あるていどの知識は得られるが、中学、高校などで実際に描く機会がまったくない。石膏デッサンばかりやらせないで、水墨画も描かせてくれたらいいのに。今は日本美術に多くの人が興味を持っている時代なのに、それに自分たちの先祖が描いてきた技法なのに、なぜ伝えない?筆は幼いころから使わなくては技術に限界もある。大人になってからでは遅いのだ。大人になってからではこんな絵(↓)しか描けないのだ!あぁ、情けなや!最後は福音館書店の「母の友」の〈だっこ特集〉のときに描いた絵です。もっとだっこしてあげたほうがいいよ、って内容の特集だったと思います。今週は、連載ではない単発仕事でお茶を濁して更新いたしました。