伊野孝行のブログ

テリヤキコミック

発売したてホヤホヤの「クーリエ・ジャポン」のハワイ特集に絵を描いております。移住1年生たちの”言いたい放題”、ハワイで知った「楽園の裏側」というページを担当しました。そんな彼らが体験したエピソードを元に漫画にしてみました(クリックすると大きくなります)。フキダシの言葉は編集部作。いろんなシチュエーションを一枚の景色の中に入れて欲しいというオーダーだったんですが、一枚の景色にすると、どうしても手前と奥ができる。奥の方は描写が細かくなってわかりにくいし、各シチュエーションの背景をうまくつなげるのはむつかしい。と、いうわけでオーダーを無視して、コミック形式にしてみました。それに、アメコミっていうのは誰しも一度は描いてみたいもんじゃない?アメコミって様式美だから、真似することが楽しい。でもなぜかバタ臭さが出ないテリヤキ風味にしかならない。ところで、ハワイって全米一家賃の高い州らしいっすよ。「お金はかかる、人材は使い捨て、周りを見れば日本人ばかり。それでもやっぱりハワイは楽園?現地で働く若者たちがホンネを激白!」という覆面座談会が誌面に載っています。覆面なのでお面をかぶせてみました。ハワイ永住への近道は現地人との国際結婚。ゲイの人と偽装結婚する強者もいるらしいです。

ハワイ…ぼくは行ったことがないなぁ。だいたい放っておけば、いつまでも家にいるタイプなので、旅行自体あまりしない。学生時代は沢木耕太郎の本が好きでよく読んでいた。もちろん「深夜特急」もだ。世界中を旅する沢木耕太郎がいちばん好きな場所はハワイと言っていたのが意外だった。南の島はサマセット・モームの世界、ポール・ゴーギャンの世界、そろそろ行ってみたい。

 

 

最近の挿絵、デッサン

毎度言ってるが、あらゆる仕事の中で、小説の挿絵が僕にはもっともむつかしい。他の仕事とくらべると打率が落ちる。そして挿絵は他の仕事とちがって、伝統なのか編集者からの注文もほとんどない。したがってラフを見せることもない。どの部分を絵にしようがこちらの勝手。これほど自由度の高い仕事もめずらしい。言い訳ができないということもむつかしいと思う原因かな…。

今のぼくの挿絵の描き方は、小説を読んで頭に浮かんだ絵をデッサンする、という単純なもの。デッサンという言葉の使い方は諸説あるだろうけど、「ものの見方を実現する」のがデッサンだと思う。なので「正確なデッサン」というのは、自分のものの見方に正確であるべきで、形が狂っていてもそのこと自体には問題はない。問題はものの見方があるかどうかのほうだ。……なんだか書いてるうちに、大風呂敷をひろげてしまって画像をアップしにくくなってしまった。今回載せた絵も、そんなにうまくいってないし、気に入っているわけでもないのだが、毎週火曜にブログを更新しているので仕方なく載せるのである。木内昇「球道恋々」第2回扉絵(小説新潮)木内昇「球道恋々」第3回扉絵(小説新潮)木内昇「球道恋々」第4回扉絵(小説新潮)平岡陽明「寺子屋ブラザー篠田」扉絵(オール読物)平岡陽明「寺子屋ブラザー篠田」(オール読物)赤川次郎「鼠」シリーズ扉絵(野性時代)赤川次郎「鼠」シリーズ扉絵(野性時代)赤川次郎「鼠」シリーズ扉絵(野性時代)

 

 

片桐且元/幽霊画

竹書房文庫より発売中の鈴木輝一郎さん「対決!!片桐且元 家康」のカバーを担当しました。
髷ものの絵ばかり描いていると、さぞかし歴史に詳しいのだろうと思われるかもしれないが、ぜんぜん詳しくない。とくにみんなに人気の戦国時代はほんとにくわしくない。小学生のときは大河ドラマが大好きで「獅子の時代」「おんな太閤記」「峠の群像」などを夢中で見ていたが、内容はまったく覚えていない。「おんな太閤記」では西田敏行が秀吉を演じていて、それでかどうかわからないが秀吉のファンになった。小学校の図書館から「織田信長」「豊臣秀吉」「徳川家康」の伝記を借りてきて熱心に読んだが、やっぱり秀吉が一番おもしろかった。なので当時は歴史にくわしいガキだったのだが、残念なことにそこから知識はふえてない。この本の主人公、片桐且元という人も知らなかった。ただ方広寺の鐘銘の中の「国家安康」「君臣豊楽」という文字に家康がイチャモンをつけてきた事件は知っている。あぁ!あの鐘をつくった当事者が片桐且元だったのね。読み方は「かたぎりかつもと」と読む。槍の名人であった。家康が鐘で片桐且元をとらえようとしている図にした。カバーデザインは日下潤一さん+赤波江春菜さん。日下さんとは10年以上のつきあいだが、去年はじめて単行本のカバーの仕事をした。そして文庫本のカバーはこれがはじめて。世の中のというのは意外にそういうものなんだなぁ。

さて、「江戸アートナビ」が更新されている。
美少女幽霊からたどる日本の幽霊画表現
上記リンクをクリックして、ぜひお読みください。日本の幽霊はなぜ足がないのかご存知ですかな?
今年の夏は「小説現代」の表紙やねんど細工や、幽霊を描く機会が多かったが、たぶんこれで描き納めかな?

 

 

幽霊のモビール

株式会社パジコ×TISによるWeb展覧会「ねんど夏フェス2014」。今年は8/5(火)8/6(水)の2日間開催! TISサイトのトップページが粘土で埋め尽くされます!「ねんど夏フェス2014」今年は60名ほどの参加者が粘土をこねこね、立体作品を作ります。 テーマはお盆前にぴったりの「おばけ」。…というわけなんで、今週のブログはその作品を。うらめしや〜。うらめしや〜うらめしや〜うらめしや〜うらめしや〜うらめしや〜うらめしや〜うらめしや〜うらめしや〜うらめしや〜うらめしや〜うらめしや〜うらめしや〜うらめしや〜うらめしや〜

はい、ぼくは最初から色のついているカラー粘土(混色できる)を使って幽霊のモビールを作ったんでした。カラー粘土は軽いのでゆらゆら揺れる。モビールにするとまるで幽霊が生きているみたい〜。でも写真じゃわからないと思うので、短い動画をこさえてみました。下記のリンクから見て頂戴↓

恐怖!幽霊のモビール

 

 

寺山修司狂い

発売中の「イラストレーション」の「宇野亜喜良プロダクト」というコーナーで絵を描かせてもらった。この連載は、宇野さんが「竹尾」(紙の会社)とコラボして、誰かに何かをやらせるコーナーである。今回は寺山修司の4つのアフォリズムに4人の作家(城芽ハヤトさん、花代さん、安藤晶子さんと私)が絵や写真をつけた。わたしは〈 実際、「出会い」はいつも残酷である。しあわせに見える出会いの瞬間も、まさに「別離のはじまり」であると思えば、むなしいものだ。〉というアフォリズムの絵を描いた。この絵のコメントとして次のような短い文章を載せた。

〈高校から大学にかけて、ぼくは寺山修司(すでに故人だった)に狂っていた。寺山修司のマネをして全然似合わないトレンチコートを着たりしていた。思い出すとすごく恥ずかしい。宇野さんが選んでくれたこのアフォリズムも覚えている。絵はアルルのゴッホとゴーギャンの出会い。そして寺山修司といえば「のぞき」である。
今回の楽しみはもうひとつある。ふだん水彩で描く時は「マーメイド」を使用しているのだ。マーメイドに描いてマーメイドに刷るとどうなるのか……とてもしっとりしていいかんじだ。〉

…そう、高校生のときにテラシュウにやられてしまった。ちょうどそのときは寺山修司もいったん忘れかけられていた頃で、著書も文庫本を3冊くらいのぞいてほとんど絶版だった。新聞のテレビ欄で「田園に死す」を見つけたときには、やった!と思った。深夜の放送だったのでビデオ予約して(予約時間を何度も確認した)寝たのだが、野球が延長になっていて、録画は途中で終わっていた。ますますテラシュウへの飢えは高まるのであった。その後、大学で上京すると、さすがは東京、本もあるし、名画座やミニシアターで映画もほとんど見ることができた。大学四年のときだったか、ちょうど没後10年という節目が訪れて、再評価されはじめた。そしたら急に憑き物がおちたように、わたしの寺山修司狂いもおさまってしまった。自分の中でも、ちょっと恥ずかしい青春の1ページとして存在しているので、めくりたくない気もするのだが、今回の企画はまことに感慨深い。宇野亜喜良さんからの依頼ということが、ますます感慨深い。ネット上から拝借してきた画像だが、この寺山さんと宇野さんの写真は何度も眺めていた。カッコイイ!

このあいだ、「田園に死す」がyoutubeにあったので久しぶりに見てみたが、やっぱりオモシロイ。小川を雛壇が流れてくるシーンは、俺の血をたぎらせる。

ちなみに、今回、竹尾が提供してくれた紙は「マーメイド」でふだん私も水彩を描くときに愛用している。それはなぜかというと、セツの購買部で売っていたのが「マーメイド」と「タッチ」の2種類で、なんとなく使い慣れていたから。しかし最近は「シリウス」という水彩紙が使いやすい。和紙もそうなんだけど、水彩紙も種類が多くて、自分にマッチするのを探すのにひと苦労する。

さて、もうひとつ。今回の「イラストレーション」ではTISのページで「肖像権」をあつかっていた。「有名人を描くときにどんなことに注意すればいいのか」という内容。弁護士の先生の回答も載っているが、それはさておく。このページをとりしきっている影山徹さんに好きにコメントしていいよ、といわれたので

〈「風刺」はイラストレーションや漫画にとって、自分たちの出自をたずねれば、かならず出会うものです。とても大切なもののわりにないがしろにされている感じなので、いちど「イラストレーション」誌で大特集して欲しいです。「風刺」というと政治風刺漫画を思いうかべる人がいると思いますが、歌川国芳がやった遊びのように幅広く楽しく考えていいし、和田誠さんのパロディ、山藤章二さんのカリカチュア、南伸坊さんの顔マネもそう。言葉におきかえるのがもったいない絵としてのニュアンスのなかに批評性がある。
そういうのはまさしく「文化」で、作るほうと見るほうに「常識」があるから楽しめることなんです。似顔絵や肖像画は、広告や商売目的に使うような場合をのぞいては、イラストレーションの仕事のなかで自由に描いていいと思います。なにが問題なのかな?「肖像権」があるから描いてはいけない、なんてことがあったらヘンな世の中ですね。非常識だと僕は思います。「法律」も「常識」も文化を背景としてできあがっているものなのに、法律のものさしで文化を測るというのがおかしいと思うからです。〉

とエラそうなことを書いておきました。だって…

オバケの夏休み

小説現代8月号の表紙と目次、扉の絵を担当しました。4月号に続き二度目の登板。ぼくは毎回「ナンセンス」をテーマに描いています。夏といえばオバケかな?ということでバカバカしいお笑いを一席。ことわっておきますが、今月の小説現代は怪談特集ではないですよ。だってよく見たら、幽霊たちは笑ってるもん。井戸端会議をしている幽霊は誰だかおわかりですか。井戸とお皿、つぶれた片目…。そう、画面左から、番町皿屋敷のお菊さん、四谷怪談のお岩さん。奥はお菊の仕える家の殿様 青山播磨守、お岩の旦那の伊右衛門です。さてお次ぎは目次にうつりまして、若いカップルがビーチに来てクリビツテンギョウ!ゾンビたちがビーチバレーをしてましたとさ。絵はクリックすると大きくなるので、どうぞ。最後は扉。暑いからって冷たいものばかり食べているとお腹をこわすので、注意しないといけないね。……しかし、学校にも会社にも行かなくていい。暑くても汗ひとつかかない。押さえきれない笑い声がほんとうに楽しそう。なにより死の恐怖から解放されているもんなぁ。……どうかんがえたって人間よりお化けのほうがいいよ。わたしも早くお化けになりたい!!
次ぎは12月号の表紙でお会いしましょう!

【追記】安村先生の江戸美術ばなし「江戸アートナビ」が更新されていました。今回は「影からくり浮絵」です。影からくり浮絵(隅田川高尾つるしぎり)の巻はコチラから