伊野孝行のブログ

自律神経啓蒙マンガ

光文社の雑誌「美ST」に自律神経を説明するマンガを描きました。「この仕事をなぜボクに……?」ということは、たまにあることだが、編集者の人もそんなに深く考えてないと思うし、案外「たのみやすいから…」とかいう簡単な理由かもしれない。でも、この人ならこの絵でこんな感じに、というお決まりのパターンより、けっこう楽しめたりするからおもしろい。それに、なんでもやらなきゃ食っていけない零細家業だし…。

自律神経には「交感神経」と「副交感神経」がある。この二つの神経を交ちゃん、副ちゃんという女性漫才師に見立てて、「自律神経の乱れは美の乱れ」であることを40代女性に啓蒙するマンガである。

以上。ちなみに彼女たちがしゃべってる大阪弁はテキトーです。本場の人が読んだら、エセ関西弁といわれるかも。ぼくは三重県なので三重弁(関西弁の一種)しかしゃべれませんが、こっちで話す機会はほとんどない。たまに三重県の人と出会っても、なかなか三重弁でしゃべらない。三重弁はあまり敬語が発達していないので、使いにくいからかな。そのぶん素朴でかわいらしい、と今では思います。

台北國立故宮博物院

「美術手帖増刊・台北國立故宮博物院」で山下裕二先生と板倉聖哲先生の対談に絵を描きました。板倉さんはこの特集の監修をされている。山下さんは板倉さんの先輩だ。このお二人の学友コンビ対談は何年か前の美術手帖の特集「一夜漬け日本美術史」のときにもおこなわれた。そのときも僕は同席してお話をきかせてもらった。この絵は対談ページの扉。左が山下先生、右が板倉先生。前回もそうだったのだが、「こういう対談は酒でも飲みながらやったほうがいいよ」ということで美術出版社の一室には酒とつまみが用意されていた。ぼくは対談するわけではないのに、缶ビールを飲みながら聞いていた。ちなみに山下先生は毎日愛飲されているというKIRINの「氷結(グレープフルーツ味)」のロング缶を2本以上空けていたが、それでも難しい名前の固有名詞がスラスラでてくる。どうでもいい話だが「氷結ストロング」はロング缶一本でかなりベロベロになる危ない飲み物だ。山下先生はストロングではなくスタンダードです。学者の人の修業時代の勉強方法というのは、一週間、開館時間から閉館時間まで美術館にちっちゃい椅子を持ち込んで、ずーっと絵とにらめっこする。図版のコピーと照らし合わせながら観察結果を、ここはどうだ、あそこはどうだと書込んでいく。そういう目の記憶が後に生きてくるのだと言う。おもしろいことに牧谿の絵は日本にしか残っていなくて、母国中国には一点もない。長谷川等伯は牧谿の絵に感激した。雪舟が中国に留学して、日本で見ていた素晴らしい中国絵画を見ようと思ったが、そんな絵は誰も描いていなかった。つまり流行がかわっていたわけ…というように、中国美術と日本美術の間にはタイムラグがある。さきほどの牧谿のエピソードとあわせて考えると、日本美術の特殊性がそこからのぞける。さてこの盆踊りの絵はなんでしょう?本を買っていただければわかりますよ。先生たちの対談中、編集者、ライターさんはメモをとっていたが、ぼくはメモをとるフリをして似顔絵を落書きしていた。そのことをあとで山下先生に言ったら「伊野さん、わかってたよ(笑)」とひとこと。「いやー、しかし、授業中に落書きしてた小僧が、今、そのまま商売になってるなんて幸せですよ」と申し上げると「そうか、じゃあ、授業中に落書きしてるやつをみつけても見逃しておこう!」とおっしゃられた。真の先生である。今回、ポスターやこの本の表紙にも使われている「翠玉白菜」。故宮展の客寄せパンダである。板倉先生はこういうのにドーッとお客さんが集まってくれれば、傑作中国絵画のほうがすいて、ゆっくり見られるかも、なんて本音?をおっしゃっていたけれども、ぼくもマジでそう願う。今日から東京国立博物館ではじまるが、混雑しそうだなぁ…。美術館はすいてるのが一番あるよ!酒を飲みながらの対談は、くだけた調子のまじめ語り。中国美術と日本美術の関係性、資質の違いがよくわかる。これは買うしかないであろう。

 

 

レポ表4/英一蝶

北尾トロさんが編集人・発行人をつとめる季刊「レポ」の第16号が出た。表4の「山田うどん」の広告の絵を描きました。広告といっても、ロゴさえ入っていれば「好きに描いていいです」と言われていて、いわゆる普通の広告ではない。もちろん広告代理店も介在していない。「レポ」と「山田うどん」の関係は、どっちもお互いに応援しあうという関係でユニークだ。北尾トロさんとえのきどいちろうさんの共著で「山田うどん」の本が2冊でています。このあいだトロさんの仕事場で「レポ」の発送作業があった。ライター仲間が集まる場でもある。ライターってどんな人たちなんだろうと興味もあったので手伝ってきた。ぼくは単純作業をしながらおしゃべりするのが好きなんだけど、トロさんのまわりに集まる人たちには自分とおなじ波長があるのか、とても気持がなごんだ。レポの特集は「オンナの土俵際」おもしろいよ〜。レポのサイトはこちらです!

ぼくが描いたのは北尾トロさんとえのきどいちろうさんによる「山田うどん取調室コント」だ。残念なことに「山田うどん」のチェーン店はぼくの生活圏内にはないので一度も行ったことがないし、店舗自体も見たことがない。是非いちど「埼玉の味」をあじわってみたいものだ。

さて、もうひとつおしらせ。「江戸アートナビ」が更新されている。今回は「英一蝶(はなぶさいっちょう)」です。洒脱なセンスで江戸の風俗を描いた絵師英一蝶《雨宿り図屏風》監修/安村敏信

この連載は毎回、安村先生のお宅におじゃまして話を聞く。この時間がたのしい。こちとら美術史なんてものはよく勉強していない。自分の目で見て「あ、こ の絵おもしろい!」と思った絵をどんどんインプットしてきただけなので、どの画家が同時代だとか、どっちが先だとか、てんでばらばらに入れてある状態。英 一蝶についても、いつの時代に生まれたとか、12年間も島流しにあったことがあるとか、今回はじめて知った。

どんな人でも生まれた時代に規定される。自分をとりまく状況のなかで何をしたいと思ったのかを知るのがおもしろい。そういう知識は邪魔にはならず、絵の中の問題意識をくっきりさせてくれる。生まれた時代の中で何をするのかというのは自分にもあてはまることなので、興味がある。きっとこの興味は、絵を描いているから出てくるものだ。調べものはそこからはじめればいい。これが一番正しい勉強の仕方のような気がする。

CREAのART

文藝春秋社の雑誌「CREA」のアート特集に絵を描きました。最近、雑誌で美術特集、多いっすね。Pablo PicassoAndy WarholRembrandt  van Rijn葛飾北斎岡本太郎

お次ぎは、同特集のなかで、橋本麻里さん監修の「古今東西、4つの作品でアート史がわかる!」というコーナーに描いたもの。西洋美術史1、古典美の理想は人体にあり(ギリシャ彫刻)西洋美術史2、神の美から人間の美へ(ルネサンス)西洋美術史3、画面を支配する同時代の政治家(ダヴイッドによるナポレオン)西洋美術史4、芸術の芸術性を証明せよ(デュシャン)日本美術史1、世界標準の美との邂逅(百済観音立像)日本美術史2、融合する和と漢(狩野元信)日本美術史3、革命家、千利休日本美術史4、絵画の全技法を統合(円山応挙)

「4件でわかるわけないだろ!」と突っ込まれそうなのは承知の上らしいのでくわしくは是非「CREA」をお読みください。「CREA」7月号は只今発売中

村上隆さんが日本のおたく文化を世界のアートにしようとした企てが見事に当たり、世界のアート市場(ものすごい額のマネーが動く金持ちの買い物)の実態を知るにつれ、単におもしろいとかおもしろくないの次元の話ではないらしい…ということはわかった。一方、金回りのわるい下界では、アニメ風イラストが隆盛を極め、いろんな垣根をなぎ倒していく。おかげで世の中がずいぶん平たくなってしまったかんじがする。よくもわるくも。いまさらアートとイラストレーションの違いを問うのは、実感として不毛。イラストがアートでないことを証明せよ、といわれてもできっこない。垣根がなくなることを望んでいた面もあるけど、いや、こういうことじゃないんだけどなぁ、ともらしたい不満もある。 そういうときには小村雪岱を思い浮かべる。ああいう態度で仕事に臨めばいいんだなと思う。たぶん小村雪岱は自分の中に垣根を作らなかったからあの絵が描けた。挿絵であり、イラストレーションであり、モダンデザインであり、アートであり、つまりジャンル分けするのが無意味に感じる仕事をした大芸術家なんだけど、なんで日本美術史での扱いは無いに等しいのだろうか。

悩み100年 ガンバレ青春

先週にひきつづき、読売新聞の人生相談コーナー「人生案内」100周年記念広告のために描いた絵です。
今週アップしたのは「悩み100年〜ガンバレ、青春〜」編です。不格好なお尻が情けない 大正6年(1917年)母代わりの私 義務教育も覚束ない 昭和26年(1951年)退学がこわい パチンコ覚えた高校生 昭和29年(1954年)いっそ芸者に 家計の苦しい女高生 昭和30年(1955年)練習もイヤになる 退部したいバスケットボール 昭和33年(1958年)背が高すぎる悩み 1メートル70の女子高生 昭和39年(1964年)なぜ男の子が敬遠 教室一の美人と思っているのに 昭和50年(1975年)不良生徒を直すには まじめな女子中学生の悩み 昭和51年(1976年)同性の友達を好きになり… 平成14年(2002年)日本の将来 不安な14歳 平成25年(2014年)

 

 

人生案内 悩み100年

読売新聞の人生相談コーナー「人生案内」は今年で100周年をむかえる。それを記念した広告に絵を描きました。
駅の構内や電車の車内に出されているらしいので、見かけたらぜひ読んでみてください。100年の悩みが年表のようになってます。今日のブログでは総集編的な「悩み100年 嗚呼、人生」編を紹介します。来週は10代の悩みを集めた「ガンバレ、青春」編をのせようかな。
他に女性の悩みを集めた「女のためいき」編、男性の悩みを集めた「男の生きざま」編の計4種類。「女性編」と「男性編」は秋口に出されるそうです。

掲載された絵は小さめなので、ここでは見やすくぬきだしてみます。100年の悩みのなかからあまり時代がかたよらないように好きなのを10コ選んで描きました。広告なんだけどほとんど好きにやらせてもらった感じでありがたかったです。接吻され汚れた私、結婚の資格あるか 大正3年(1914年)飯まずいとミカンばかり20個食べる夫 大正4年(1915年)生活のため苦界へという夫に愛人 昭和6年(1931年)凶と出た占い信じ、結婚反対の母に悩む 昭和9年(1934年)復員してみれば妻子すでに親友と 昭和24年(1949年)テレビが買えず子どもに肩身狭い思い 昭和34年(1959年)縁談に迷う農家の嫁、上京でチャンス見つけるべきか 昭和46年(1971年)学生運動中の兄、私の結婚に障害も? 昭和52年(1977年)会社の上司がセクハラ・暴言、同僚は黙認 平成5年(1993年)ややこしい家電にキレる夫、家中の物を壊しそう 平成22年(2010年)
地下鉄などで「人生案内」をPR