「小説新潮」ではじまった木内 昇さんの「球道恋々」に挿絵を描いています。編集者の小林さんと下高井戸の「ぽえむ」で打ち合わせをしたあと、家に帰って読みはじめたのだが、あまりにおもしろかったので興奮して小林さんにこんなメールを送ってしまった。
「すごくおもしろいですね!新しいものの誕生にたちあっている喜びにひたりました。 野獣のような選手、高校野球の黎明期はこんなだったかもしれない。 木内さんの独創力にしびれました。明治時代の高校野球というアイデアがすばらしく、今みたいな世の中でもまだまだおもしろいことはつくれるんだなーという「勇気」をもらいました。 よくスポーツ選手が口にする「勇気を与える」なんて言葉はおしつけがましくてキラいなんですけど、読むスタミナドリンク、この小説は元気になります。」 明治時代の高校野球の話で、一高(旧制第一高等学校。東大教養学部などの前身)と三高(旧制第三高等学校。京都大学総合人間学部などの前身)の試合から始まる。 現在の六大学野球の東大は弱小チームなわけだが、明治時代においては強かったようだ。当時のユニフォームというのがスゴイ。ベルトのかわりに兵児帯をしめている。これは木内さんの作り話ではなく史実である。絵に描いた投手は三高の通称「鬼菊地」というヤツで、なんと足には荒縄を巻きつけている。スパイクのすべりどめのかわりだろう。ちなみに他の選手は地下足袋である。 明治時代の高校球児のキャラの濃さは、往年のスポ根まんがにも匹敵するが、ぼくは山田風太郎の「警視庁草紙」などの明治ものが大好きで、明治時代というめちゃくちゃな時代を背景にしたからこそできるめちゃくちゃな感じがたまらない。デタラメなわけではなく事実があって、そこから想像力で遊ぶおもしろさ。「球道恋々」も明治時代の高校野球を題材に、こちらの想像力をおおいにかきたててくれる。きのう、第二回の原稿が届いたので楽しんで読みたい。
東京都歴史文化財団がやっている「トーキョー・アート・ナビゲーション」というサイトで連載がはじまりました。安村敏信さんが1年かけて、東京に関係する江戸美術を紹介していきます。安村敏信さんは、ついこのあいだまで板橋区立美術館の館長をしておられました。板橋区立美術館は都内でもっとも不便な美術館として有名ですが、美術館の前に「不便でごめん」「素通りしないで」という垂れ幕がさがっていて、思わず笑みがこぼれます。とにかく不便な分、おもしろい展示にしようと工夫がなされている。それをやってたのが安村さんなわけです。
第1回目は歌川広重の《名所江戸百景 上野清水堂不忍ノ池》です。サイトはコチラです
ちゃんとしたお話は、上記のサイトで読んでいただくとして、毎回取材にはわたしも同行するので、ブログでは、個人的な感想を書いてお茶を濁していきたいと思います。
江戸時代の古地図片手に散歩する人もいますが、我々は浮世絵を片手に上野に来ました。《名所江戸百景 上野清水堂不忍ノ池》を持って清水堂から景色を見ると、だいたい同じような地形は眺めることができるが、ちがうところもある。くるりんと輪を描いた松がまだあった!のには驚いたが、なんだ、これは最近につくりなおされたものだった。
浮世絵は清水堂をすこし見下ろしているアングルで描かれている。たしかに清水堂を描きいれるためには、清水堂より高いところから描かなくてはいけない。でもそんな場所はまわりにない。もっと極端な例で言うと、鷹の視点から見下ろしている《名所江戸百景 深川州崎十万坪》などもある。そこまでいくとわかりやすいが《上野清水堂不忍ノ池》はてっきりスケッチを元に描いたもんだと思い込んでいた。現地に行かないとわからないことで、発見であった。しかも安村さんに聞くと「《名所江戸百景 上野清水堂不忍ノ池》の構図は、斎藤月岑(げっしん)がまとめた『江戸名所図会』《清水堂花見図》の構図をそのまま引用してるしね。」というではないか。ふだんわたしはよくパクリをするが、やはりパクリは全然わるいことではない!とあらためて思った。あと、「名所江戸百景」は縦構図。風景画で縦構図ってのはハナからまともな風景画は描かない決心がある、というかグラフィックな遊びですね、全部。
しかし…字が下手だ…。これでも3回くらい書き直しているのだが。
「小説現代」4月号の表紙を描いています、ついでに目次も、扉も描いてます。
今年の「小説現代」はあずみ虫さん(ものがたり、おはなし)佐々木悟郎さん(東京の風景)丹下京子さん(女性作家のポートレート)そしてわたくし(ナンセンス)でまわしていくことになってます。4番手だから自然にテーマもしぼられちゃって…。
この絵は目次にいれました。この絵は扉に入れました。
「本」をテーマに小咄をつくってみました。「んなわけないだろー」と思う場面ばかりですが、二宮金次郎だったらすぐにスマホはマスターできる。カラスはもう読書できるくらい頭がよくなってるかもしれない。でも
電車に乗ってる人がみんな本を読んでいる光景がいちばん奇跡かも。もうお目にかかれない幻影を描いている気持になっちゃいました。(表紙のことば)
わたしのブログをわりとこまめに見てくれている人には、この絵のアイデアが使いまわしであることはバレているだろうけど、編集長が気にいってくれたので、今回はラッキーということです。今度は新しく考えなくっちゃ。
そう、一夜明けたけど、安西水丸さんがいなくなってしまわれたことが信じられない。「小説現代」では安西水丸さんが「東京美女散歩」という絵入りのエッセイを連載している。見本誌が届いたとき、「あ、そういえばこの絵は水丸さんの眼に触れることになるんだな」と思ったら、ちょっとヒヤヒヤした。いまはただただ寂しい。