伊野孝行のブログ

ジャマイカへ行こう

ちょっと前に発売された「TRANSIT」のカリブ海特集の「ジャマイカの危ない歩き方」というページに、「ジャマイカを歩いているときに遭遇しがちな危険な事件などをおもしろおかしく描いていてください」と頼まれ、はい、描きますといって仕事しました。

iphoneを盗まれるゲットーで迷子になる。銃声がきこえてきた。その先に何か目的のあるナンパの嵐。悪質警官の職務質問に会う。マリファナをすすめられる。黒魔術をかけられる。宿の水が出ない。大量の蚊にさされる。…とまあ、こういったことに巻き込まれる危険性もあるので用心しなければいけない。お次ぎは犯罪の起きる件数だったかにつけたイラストレーションです。銃による殺人事件。銃によらない殺人事件。性犯罪。強盗。泥棒。…あくまでこの特集は、こういうことに注意してね〜、ということです。決しておもしろおかしく茶化しているわけではありません。美しいカリブの旅をお楽しみください!

 

 

明治時代の高校野球

「小説新潮」ではじまった木内 昇さんの「球道恋々」に挿絵を描いています。編集者の小林さんと下高井戸の「ぽえむ」で打ち合わせをしたあと、家に帰って読みはじめたのだが、あまりにおもしろかったので興奮して小林さんにこんなメールを送ってしまった。

「すごくおもしろいですね!新しいものの誕生にたちあっている喜びにひたりました。 野獣のような選手、高校野球の黎明期はこんなだったかもしれない。 木内さんの独創力にしびれました。明治時代の高校野球というアイデアがすばらしく、今みたいな世の中でもまだまだおもしろいことはつくれるんだなーという「勇気」をもらいました。 よくスポーツ選手が口にする「勇気を与える」なんて言葉はおしつけがましくてキラいなんですけど、読むスタミナドリンク、この小説は元気になります。」 明治時代の高校野球の話で、一高(旧制第一高等学校。東大教養学部などの前身)と三高(旧制第三高等学校。京都大学総合人間学部などの前身)の試合から始まる。 現在の六大学野球の東大は弱小チームなわけだが、明治時代においては強かったようだ。当時のユニフォームというのがスゴイ。ベルトのかわりに兵児帯をしめている。これは木内さんの作り話ではなく史実である。絵に描いた投手は三高の通称「鬼菊地」というヤツで、なんと足には荒縄を巻きつけている。スパイクのすべりどめのかわりだろう。ちなみに他の選手は地下足袋である。 明治時代の高校球児のキャラの濃さは、往年のスポ根まんがにも匹敵するが、ぼくは山田風太郎の「警視庁草紙」などの明治ものが大好きで、明治時代というめちゃくちゃな時代を背景にしたからこそできるめちゃくちゃな感じがたまらない。デタラメなわけではなく事実があって、そこから想像力で遊ぶおもしろさ。「球道恋々」も明治時代の高校野球を題材に、こちらの想像力をおおいにかきたててくれる。きのう、第二回の原稿が届いたので楽しんで読みたい。

 

 

江戸アートナビ

東京都歴史文化財団がやっている「トーキョー・アート・ナビゲーション」というサイトで連載がはじまりました。安村敏信さんが1年かけて、東京に関係する江戸美術を紹介していきます。安村敏信さんは、ついこのあいだまで板橋区立美術館の館長をしておられました。板橋区立美術館は都内でもっとも不便な美術館として有名ですが、美術館の前に「不便でごめん」「素通りしないで」という垂れ幕がさがっていて、思わず笑みがこぼれます。とにかく不便な分、おもしろい展示にしようと工夫がなされている。それをやってたのが安村さんなわけです。

第1回目は歌川広重の《名所江戸百景 上野清水堂不忍ノ池》です。サイトはコチラです

ちゃんとしたお話は、上記のサイトで読んでいただくとして、毎回取材にはわたしも同行するので、ブログでは、個人的な感想を書いてお茶を濁していきたいと思います。

江戸時代の古地図片手に散歩する人もいますが、我々は浮世絵を片手に上野に来ました。《名所江戸百景 上野清水堂不忍ノ池》を持って清水堂から景色を見ると、だいたい同じような地形は眺めることができるが、ちがうところもある。くるりんと輪を描いた松がまだあった!のには驚いたが、なんだ、これは最近につくりなおされたものだった。

浮世絵は清水堂をすこし見下ろしているアングルで描かれている。たしかに清水堂を描きいれるためには、清水堂より高いところから描かなくてはいけない。でもそんな場所はまわりにない。もっと極端な例で言うと、鷹の視点から見下ろしている《名所江戸百景 深川州崎十万坪》などもある。そこまでいくとわかりやすいが《上野清水堂不忍ノ池》はてっきりスケッチを元に描いたもんだと思い込んでいた。現地に行かないとわからないことで、発見であった。しかも安村さんに聞くと「《名所江戸百景 上野清水堂不忍ノ池》の構図は、斎藤月岑(げっしん)がまとめた『江戸名所図会』《清水堂花見図》の構図をそのまま引用してるしね。」というではないか。ふだんわたしはよくパクリをするが、やはりパクリは全然わるいことではない!とあらためて思った。あと、「名所江戸百景」は縦構図。風景画で縦構図ってのはハナからまともな風景画は描かない決心がある、というかグラフィックな遊びですね、全部。

しかし…字が下手だ…。これでも3回くらい書き直しているのだが。

 

 

とくにテーマのない回

満開だった桜も、桜吹雪となって、そこらあたりに桜色の絨毯を作り、だんだん汚く変色してくる。わたしはそんな茶色くなった花びらが好きだ。もっとひねくれたことを言うなら満開よりも葉桜のほうが好きだ。でも、絵に描くのは満開の桜がいい。桜色に塗っておけばいいだけだから。いかにも春爛漫というかんじがして、お手軽に雰囲気を作れる。ウケがいい。…などと書きつつむりやり絵につなげようとしているんですが、今回のブログはとくにテーマありませんのであしからず。描きちらした絵を集めただけです。これはある通販会社の冊子の表紙用に描いたのだがプレゼンで落ちた。12ヶ月を落語の噺をテーマに描く予定で、これは「長屋の花見」だって。桜マジック効かず。せめてブログで小さく花を咲かせましょう。これもおなじ会社のカレンダーのプレゼン用に描いて落っこちた。江戸時代のおじいさんおばあさんが現代にタイムスリップして世界旅行するという案だったが…。いつもプレゼンに落ちているがたまには通ることもある。これもまた同じ会社の「会社案内」これはめでたく使われた。プレゼンはなかったかな?けっこう昔に描いたので忘れました。これはポプラ社の「ポプラビーチ」というWEBの連載エッセイのための絵。絵は連載ではありません。このマドちゃんというワンちゃんとは実際、井の頭公園で会って、雰囲気をたしかめてきました。「旅はワン連れ/片野ゆか」

これは俳人の高山れおなさん(芸術新潮の編集者でもある)が仲間と創刊した、新しい俳句雑誌「ku+(クプラス)」の特集扉のために描いたもの。夏石番矢さんと長谷川櫂さんという、いまの日本の俳句界をしょって立つ二人の俳人の批評。無知無学門外漢のわたしはおふたりを存じ上げなかったのですが、高山れおなさんの指導にもとづいて、描いてます。長谷川櫂さんをよく知る方から「すごく似てます」と言われました。うれしいです。高山さんから「この扉の絵は、俳句界に衝撃をあたえますよ」といわれましたが、わたしゃ、責任ないですから、高山さんに言われたとおり描いてるだけですから〜。とにかく楽しい絵にしようと思って描いたのですが、なんか「食いしん坊バンザイ」みたいな絵になっちゃったな。「ku+(クプラス)」のデザインもやっている日下潤一さんがブログをはじめました。コチラです!これらは「マネー手帖」の雑誌広告。「週刊朝日」に載るんだったけかな。もう載ったんだと思うけど、買いそびれて見そびれました。オレみたいな絵でこんな仕事していいのかなーなんて思いながら、描いてました。これも桜の花で春爛漫。

美術時評おわる。

「芸術新潮」で連載していた藤田一人さんの「わたし一人の美術時評」が2014年4月号をもって最終回となりました。全部で44回。毎回、アイデアをひねりだすのに苦労しました。連載が終わってホッとする気持もありますが、頭を悩ます仕事をひとつはかかえてないと、ボケ人間になってしまう気もします。では、さかのぼって、2013年9月号から。コラムはモダンデザインの可能性と限界というタイトルでした。戦後日本のインダストリアルデザインをリードしてきた榮久庵憲司と彼のグループGKの、世田谷美術館における展覧会の批評。単にこの展覧会のことについてだけではなく、モダニズムという思想の限界について触れています。わたしは無知で榮久庵憲司さんも知らなかったんだけど、代表作にはロングセラーのキッコーマンの卓上醤油ボトルがある。なのでこんな絵「モダンデザインてなんだっけ?なんだっけ?」2013年10月号は「横の会」にみる全共闘世代の功罪。「従来の日本画壇を支配してきた師弟関係を軸とする縦構造を廃し、自立した画家同士が横に繋がろう」としてできた「横の会」は全共闘世代。彼らは人気画家となり、芸大、美大の教授にもなって、既存の画壇の縦構造に反発を感じていたとしても、そこで育まれ優遇されてエリートになっている。てなわけで、昔話に花をさかせつつ、楽天的に謳歌する様子を描いてみました。2013年11月号は画家兼美術記者の死、という内容。日野耕之祐さんという画家が88歳で亡くなったが、実は彼は産経新聞の美術記者でもあった。二足のわらじをはいていたわけだが、ふたつの立場に立つことができた稀な存在だったという。そう、はい、いいですかぁ〜、他人を自分のことのように考えてこそ、みえてくるものがぁ〜、ありますっ!2013年12月号は、いま、福島第一原発をこそ世界遺産に、という素晴らしい提案。これまでも負の世界遺産として、アウシュビッツ収容所や原爆ドームが登録されているが、「今そこにある文化、文明の危機」と世界中が対峙することが、世界遺産の理念だろーっつうことです。絵は「猿の世界遺産」です。2104年1月号は成熟社会のデザインにお上のお墨付きは不要だ、です。2013年度のグッドデザイン大賞(内閣総理大臣賞)は該当者なしだった。会の主催者の日本デザイン振興会は「グーグルマップ」を大賞受賞として政府に申請したが、2位の国産ロケット「イプシロン」を大きく引き離した票差ではないとかいう、よくわからぬ理由で、該当者なしだった、そもそも内閣総理大臣賞なんてものは、申請者の評価を追認するのが普通で、この結果には様々な憶測がとびかった。「いいとも」にまで顔を出す総理大臣がいるくらいだから、今の権力者は何を考えているかはわかったものではない。折しもこの絵を描いている時は「特定秘密保護法案」が可決されんとしていたときなので、この絵でどうじゃ?2014年2月号は、何を今更、されど今更の「日展問題」です。ちょうどこの頃は日展の篆刻部門で審査の不正があったとマスコミが騒いでいた時だ。美術団体の公募展とは、入選、授賞を通して会の構成員を選ぶ目的もある。なので公共性や公正の観点から追求しても核心には迫れない。ま、昔からそういう批判はあり続けていたし、これを機会に日展もかわるんでしょうかね?ピラミッド構造のまんま、その場しのぎの、ごめんなさい、という絵でした。2014年3月号は溜まる大作に増す苦悩、です。今回は笑えない笑い話。画家が描いた100号〜500号の大きな作品は、今や美術館の収蔵庫もいっぱいで引き受けてがない。小品は友達や親戚にでもあげればいいけど、大作はつてを頼りに病院や会社にもらってもらうのだとか。美術館が巨大化し、それにあわせて作品もでかくなったのが一因のようだが、画面のスケールにあわせて内容も大きくなったかと言うと「それはかなり疑問」らしい。2014年4月号、つまりこの連載の最終回は、パッケージ化された芸術神話を打ち砕け!です。最終回を締めくくる絵がまさか、佐村河内守の絵になろうとは…。人間は物語を必要とする生き物なので、そこにあてこんで、最初から作品にエピソードや話題性をパッケージして世に出す。よく見りゃ世の中そんな芸術ばかり。しかし、賛否こもごもの批評を浴びてこそ、作家も作品も鍛えられる。こんにちのわかりやすい芸術信奉はそれを阻害している。藤田さんはそれを打破するために書き続けているのであった。ちゅーことで全44回、わたしもいろいろ勉強になりました。多謝!

小説現代の表紙

「小説現代」4月号の表紙を描いています、ついでに目次も、扉も描いてます。

今年の「小説現代」はあずみ虫さん(ものがたり、おはなし)佐々木悟郎さん(東京の風景)丹下京子さん(女性作家のポートレート)そしてわたくし(ナンセンス)でまわしていくことになってます。4番手だから自然にテーマもしぼられちゃって…。

この絵は目次にいれました。この絵は扉に入れました。
「本」をテーマに小咄をつくってみました。「んなわけないだろー」と思う場面ばかりですが、二宮金次郎だったらすぐにスマホはマスターできる。カラスはもう読書できるくらい頭がよくなってるかもしれない。でも
電車に乗ってる人がみんな本を読んでいる光景がいちばん奇跡かも。もうお目にかかれない幻影を描いている気持になっちゃいました。
(表紙のことば)

わたしのブログをわりとこまめに見てくれている人には、この絵のアイデアが使いまわしであることはバレているだろうけど、編集長が気にいってくれたので、今回はラッキーということです。今度は新しく考えなくっちゃ。

そう、一夜明けたけど、安西水丸さんがいなくなってしまわれたことが信じられない。「小説現代」では安西水丸さんが「東京美女散歩」という絵入りのエッセイを連載している。見本誌が届いたとき、「あ、そういえばこの絵は水丸さんの眼に触れることになるんだな」と思ったら、ちょっとヒヤヒヤした。いまはただただ寂しい。