伊野孝行のブログ

別れはいつもつらいもの

ブログを更新しようとしたら、目の前にちいちゃい生まれたばかりのカマキリが…!ふと目をあげると壁にも数匹、天井にも!どこかにカマキリの卵が産みつけられていて、それがふ化したにちがいない。調べてみると外に置きっぱなしだった(今は家の中に置いてある)蒲団たたきの柄に産みつけられていた。とりあえず目につくカマキリの赤ちゃんを全員救出して外に逃がし、まだ産まれつつある卵つき蒲団たたきも外に出した。ようやっとこれでブログが更新できる。

さて雑誌「ナンバー」で連載中の安部珠樹さんの「スポーツ惜別録」に小さいカットをそえていますがみなさまお気づきでしたでしょうか?今週はそれらをまとめてお茶を濁します。

「黄金の馬」といわれたハギノカムイオーが死にました。お父さんもお母さんも名馬で、人間で言うなら銀の匙をくわえてきた馬です、華麗なる一族ということでこういう絵にしました。MLBヤンキースの投手、マリアノ・リベラの引退。子どもの頃はサッカー少年で、途中で野球に転向したようです。なので草野球のおじさんに運命の球を渡されるという設定にしてみました。ランス・アームストロングの追放。ツール・ド・フランス7連覇の偉業を成し遂げたアメリカの英雄も実はドーピングをしていたことを告白。なのに反省も謝罪もないってさ。とてもベタですがUSAのもじりでUSOにしてみました。パナソニック バドミントン部が休部になるそうです。パナソニックという会社(電球)にちょっと恨み節ということでこういうのはどうでしょう。福山競馬場が閉鎖。イメージは、行き詰まった地方競馬場、ゆるキャラ、最終日の家族連れによる一時のにぎわい。そして現実…。ということで。大鵬が亡くなる。「大鵬なんて女子供に人気の力士だろ〜」なんてくだをまいている酔っぱらい戦中派親父がほんものの大鵬とぶつかりビッックリ…という図です。「絶妙の均衡とでもいうべきものに恵まれた」サンフレッチェで活躍した服部公太選手の引退。ということで即物的にやじろべえにしてみました。ロンドンオリンピック銀メダルの杉本美香選手の引退。引退後は「お嫁さんを目指します」というコメントを残して去りました。「おとうさん、明日お嫁に行きます」の図です。騎手の安藤勝己さんの引退。通称「アンカツ」と親しまれた。コラムを読んで、気負わないとか、自然体とかそういうイメージが浮かびましたが具体的に絵にするアイデアが思い浮かばず馬の上で昼寝しちゃってた…という絵にしてみました。55歳まで投げ続けたカープの打撃投手井上卓也さん。広島カープということで鯉にエサを投げ与えてるお父さん、というのはいかがでしょう?

政治家を風刺する

「芸術新潮」で連載中の藤田一人さん「わたし一人の美術時評」から。まずは今月号「貴婦人と一角獣」が表紙の5月号で描いたものです。タイトルは「アベノミクスと美術市場の行方」コラムの内容は雑誌をお買い求めのうえ読んでいただくとしてわたしはこんな絵を描きました。ずばり安倍晋三首相。安倍さんがオークションの競売人となって作品「日の丸」の値段を競り上げているところです。わっかりやすーい。

お次ぎは先月号「フランシス・べーコン」が表紙の4月号、コラムのタイトルは「オリンピック招致は文化的成熟に有意義か?」です。猪瀬さんはとにかくオリンピックをやれば日本もなんとなかなる、とでも言いたげなので「東京五輪音頭」の三波春夫先生にあやかりました。これもなかなかわかりやすいでしょ?イラストレーションにはカリカチュア、風刺画といったジャンルもあるわけで、そもそもイラストレーションの歴史を考えても重要なジャンルなのに、あまり注目されません。いまのところ描き手も手薄。なのでねらってるんですけどね、わたしは。

我は求め訴えたり

いま売っている「イラストレーション」誌にわたしの小特集がのっています。よかったら見てください。「イラストレーション」誌はイラストレーターがよく読むというよりはイラストレーターになりたいひとを中心に読まれることが多いと思う。小特集だけどわたしが声を大にして訴えたかったことは「イラストレーションとは単に絵の役割のことで、役割さえまっとうすれば何をやっても自由なんだ!」ということ。それを特集のテーマにして、おもに絵で力説したつもりなのだ。
この場合の自由とは役割があっての自由、つまりカギカッコのついた「自由」だけど、それはアートだっておなじだし、世の中にカギカッコのついてない自由なんてない。自由に描いて、しかも仕事の役割をキッチリおさえるというのは一見矛盾していることだけど、矛盾したことができるのが本当のプロだと思う。魅力のある作品は必ず矛盾を含んでいる。そこでは矛盾が不思議と統一されている。
最近のイラストレーション界に漂う閉塞感の原因はいろいろあるが、結果的に自由な空気が薄れているのは事実だと思う。

で、どうすればいいのか?とりあえず自分にできることといえば、そんな状況に反応して絵を描くことだ。現状にあわせて絵を描くことではない。昔は良かった、すべてやりつくされた、なんてことはない。もっとこうあってもいいんじゃないかな?と思うことはいくらでもある。まずそれは自分の絵にたいして一番思う。わたしが色々なタッチで絵を描くことはテクニックの問題ではなくて自由の問題なのだった。(←正直、これは後づけですが今はそう思って意識的にやっているのでよしとしておきましょう)

……憂国の志士を気取ると肩がこるワイ。ええ〜っとですね、ほんで、小特集には「HOW TO DRAW」のコーナーもあって描き下ろしが載っています。よく「シュールな絵ですね」と人に言われることが多いのだが、それは「変な絵ですね」という意味で言っていると思う。なのでほんとうのシュールな絵を描いてみた。題して「シュルレアリストの肖像」。クリックするとデッカくなるよ!原寸にちかい大きさで見開きで載せてもらった。筆のタッチとかよくわかるし。でも…あんまりうまくいかず(まわりで人が見てるのってやはり緊張する)かえって恥まで大きく載せることになってしまったけどね!絵の中に番号がふってあるのはマックス・エルンストの作品にそういうのがあったから。番号に対する解説もつけています。それは是非「イラストレーション」誌を買って読んでください。

道徳の教科書

日本文教出版の道徳の教科書で「地図のある手紙」というイイ話に絵をつけました。発売はまだ先かもしれません。何度も教科書に載っている有名なお話らしいですね。僕が内容をかいつまんで書いても、ちっとも感動を呼ばないような気がするのでそうしませんが、村の郵便配達夫、源さんは雪深い山道を苦労して手紙を届けます。その届け先というのは…。絵を見ておわかりの通り、お墓ではないですか!?卒塔婆にむかって手紙を読む源さん。涙なしには語れません。ちなみに、僕は中学生の頃までは感動的な本やテレビや映画をみても涙など流したことはありませんでした。泣きじゃくってる友達を見て、なんて自分は感受性が少ないのだろうと、コンプレックスに思っていました。それが今じゃ不思議なことに、映画でも、特に感動的な場面じゃない日常シーンで、なにかが満ち足りていると感じると泣けてきたりするからおかしなもんです。中学生くらいじゃ心にヒダがあまりできてないから感動しないのも無理はないかな。四十も超えると心の奥にヒダが増えるし。そういえば「地図のある手紙」のこの雪深い地方というのは…もしかしたら奥飛騨なのかも…。チャン!チャン!

大人と子どものいい関係

福音館「母の友」5月号の特集「大人と子どものいい関係」で絵を描きました。杉山亮さんによる「たぶん正しい子育てのスタンダード十カ条」です。家族でキャンプをしております。お父さんと子どもはバドミントンをして遊んでいたら、バドミントンの羽が木の高いところにひっかかってしまいました。そこへあらわれたクマの親子。子グマが得意の木登りでスルスルと木に登っていき、羽をとってくれました。それをほほえましく見つめる親たちであります。…というような絵じゃ。これは特集の見開きの扉絵。クリックするとでっかくなるよ。見てみてね。子どもといっしょに動物を飼おう。人形を与えよう。季節を愛でよう。ステージをいっしょに楽しもう。物語を伝えよう。食べ物を作ろう。服を吟味しよう。その他にもありますが、絵の出来がいまいちなのは省きました。私は子どもがいませんが、すごく納得できるいいことが書かれていますので、世の中のお母さんは読むべし!お父さんも「母の友」を買おう!

日本の画家第2巻

汐文社から発売中の「教科書に出てくる日本の画家 第2巻 日本画家篇」に描いた画家の似顔絵です。「日本画」というのは明治に西洋から入ってきた油絵「洋画」に対向して、なんとか日本独自の絵を成立させねばならん!と作られたものです。それまで東洋画の一部であった日本美術ですが、「日本画」は大陸由来の部分より日本独自で発達した特長を強調したものといえばいいのか…なんだか定義しにくいのが「日本画」であります。とりあえずこの分け方でいくと、横山大観、川合玉堂は「日本画家」であるが狩野永徳や伊藤若冲は「日本画家」ではないということになる。ナショナリズムさかんな時代から戦後日本が復興を成しとげた頃までは「日本画」にたいへん権威があった。現在は「洋画」「日本画」と区別するのも無意味な時代で、金ピカの額縁に入って、絵具がコテコテに塗ってある「日本画」を見ると「いったい、これの何が日本画なのだろうか…?東洋という栄養分がなくなった日本画って何なのだろうか…?」と思わずにいられないイノッチです。余談はさておきダダダッと並べて失礼します。横山大観狩野芳崖橋本雅邦菱田春草竹内栖鳳土田麦僊速水御舟川合玉堂小野竹喬上村松園鏑木清方徳岡神泉小倉遊亀片岡球子東山魁夷平山郁夫