伊野孝行のブログ

地獄耳 その2回目

「週刊金曜日」で月イチで連載される元木昌彦さん(元「週刊現代」編集長)のコラム「ギャンブル親父の業界地獄耳」。今回は、出版社の春闘がテーマになってます。某大手出版社(もちろん、歯に衣きせぬこのコラム、どこの会社かは読めば書いてあります)は社員の賃金カットはしたが、社長、役員の経営責任はどうなっているの?という内容でしたので、わたしはこのような絵をつけました。「出版不況」はひとごとではない話で、わがイラストレーション業界も危機的状況だといえましょう。余裕や弾力をうしなった状況では「仕事」のなかでおもしろい「遊び」ができにくい。とうぜん、活気もうまれない。保守的になってしがみついていてもズブズブ沈んでいくだけです。こんな時にこそ、革新的であたらしい事をはじめましょう。仕事で遊べないのなら、自分で遊ぶしかありません。

どうやるかって? 5/8〜13のわたしの個展に見にきてね♡ 同時発売の作品集「画家の肖像」買ってね♡ そういう「遊び」をしたつもりです。ははは、宣伝に結びつけちゃった。

松井冬子現象に見る

「芸術新潮」4月号の「藤田一人、わたし一人の美術時評」は題して「松井冬子現象に見る日本画のマニエリスム」でした。マニエリスムとはルネサンスの衰退とされつつも、美意識を広域にいきわたらせた様式のことです。去年の紅白歌合戦の審査員もつとめ、雑誌のグラビアもかざる超美人日本画家、松井冬子さんのとりあげられ方や、最近の若い世代が描く「日本画」に共通してみられる技巧的特徴、軸装などの飾りかたに、「日本画とは何か?」という永遠の問いにたいする葛藤が薄まっているではないだろうか?ということです。くわしくは大友克洋さんが表紙の「芸術新潮」を買おう!私はコラムにこういう絵を描きました。

そもそも〜っ、「日本画」ちゅうものは明治政府が西洋画の移入にたいしてこしらえた枠組みで、日本の近代化の産物であり、そこから独自の発展をとげてしまったジャンルです。もともと「日本画」にはっきりした定義はないのです。そしてせまい見方をすると、ヘンなことに横山大観は日本画家だけど雪舟や狩野永徳は日本画家ではないということになってしまう。田原さんにいわせたセリフはかねがね私が疑問におもっていたことでありますが、その理由というか、原因はそんなところにあるわけですね。他のアイデアはこんなの描きました。最後のエラそうな人は岡倉天心です。はい、おしまい。さて来月の5/8〜13はタンバリンギャラリーで「画家の肖像2」を開催!同時に作品集「画家の肖像」もハモニカブックスより発売!というわけでただいま精力的に仕込み中というわけで、またその話はおいおい。

ここでニュースです!エログロナンセンスなふたり展「鍵」(原作 谷崎潤一郎)をやったときの相棒、丹下京子さんが講談社出版文化さしえ賞を受賞されました!バンザイ、バンザイ!丹下京子氏さしえ賞受賞

 

 

日本人の美術観と美術館

大友克洋特集が売れに売れている「芸術新潮」、その前のポロック特集の号に掲載されていた連載の仕事を今頃アップ。毎度おなじみ藤田一人さんの「わたし一人の美術時評」です。今回は「日本人の美術観と美術館」でした。中国は上からの統治アイテムとして、アメリカは個人が国に直結する草の根民主主義的な象徴として美術館があるが、日本はどうなのか?国家を意識し、文化にお金を寄付した石橋正二郎も美術コレクションは国に寄付しませんでした。それが悪いことではないが、日本人はどういう美術観をもっているのか?藤田さんは、日本人にとって美術は一種茶人趣味に根ざした、私的な趣味の世界であり個々の価値観によって育まれるものではないか、と書かれています。

ちゅーわけで、私の描いたのは千利休と秀吉です。勅使河原宏監督「利休」を見ていたら、秀吉が利休をしょっちゅう利用しようとしていたのが、迷惑そうだったなぁ。そういうことを思い出して描きました。その他のアイデア。この3つは美術観というより寄付するかどうかのほうに焦点をあわせてしまったのであえなく没になったのであ〜る。ちなみに鳩山兄弟はブリジストンの石橋会長の孫。弟、邦夫は蝶の異常なコレクターであります。

 

 

金曜日の地獄耳

「週刊金曜日」で月イチで連載される元木昌彦さん(元「週刊現代」編集長)のコラム「ギャンブル親父の業界地獄耳」に絵をつけることになりました。第一回は『出版ジャーナリズムを蝕むAKBタブー』という内容でした。もちつもたれつでやっていくと、こういうタブーが出て来るんですね。色んな裏話が読めて個人的にも楽しみです。

下の絵はタイトル用のカット。似顔絵で最も難しいといわれてるのが若くてかわいい娘です。美人は顔のバランスがとれていて特徴つかみにくい。年寄りでヒゲとか眼鏡かけてる人の似顔絵はわりと簡単。大島優子を描くのに4時間もかかってしまいました。4時間でこの程度?と思われるかもしれませんが…。いや〜、ほんとむっつかしい〜っす!「AKB総選挙」とAKBがCMやってる「家庭教師のトライ」がかかっている選挙ポスターのパロディです。

 

 

火除け地蔵

講談社文庫、楠木誠一郎さん「火除け地蔵」のカバーを描きました。立ち退きを迫られる長屋の住人たち。その長屋の一角には「火除け地蔵」なるお地蔵さんがありました。そのお地蔵さんがこの物語を語っていくというちょっと変わったお話です。見ていたのは家政婦ではなくお地蔵さんだった〜。デザインは川上成夫さんです。
いつも見てるで〜!

 

 

一夜漬け日本美術史・後編

おっと、本題に入る前にひとつお知らせ。5年前にこのホームページを作ったまま、ブログ以外のカテゴリーは全く更新していなかったので、この度全面的に作品を入れ替えました。上のメニューバーにある「ポートレイト」「ちょんまげ」「人生」「仕事」「プロフィール」をクリックしてみてね!

はい。では今週は先週からの続き、「一夜漬け日本美術史・後編」です。美術出版社から発売された山下裕二先生監修「一夜漬け日本美術史」の中身を私の描いた絵を中心に紹介しようという宣伝です。主な内容は先週書きましたので、今日は「なくても全く問題ないが、あったらおもしろいかもしれない」という意図の元につくられたコーナー「伊野コラム」についてです。この本でとりあげられている日本美術の画家、それ以外にも私の気になっている画家について、肖像画と短いコメントを載せております。こんな低い解像度で見るよりも実際本を手に取ってみたほうが何倍も楽しいので買って下さいな〜。はい、最後はなんと自画像でした。「なんかオチが欲しいですね(編集者Kさん)」「う〜ん、だったら伊野さんの自画像でいいんじゃない?(山下先生)」ということで決まったのであって、なにも自己顕示欲がつよいせいではありません。出版業界から余裕や柔軟性が失われた時代に、こういう遊びができておもしろかったです。

さて、話は「あとがき」にとびますがまたここで山下先生の名言を抜き取って紹介したいと思います。

「(前略)保証されてない価値を提示することが、僕は美術史家としての基本姿勢だと思っています。また、保証されすぎてる価値は引きずり下ろしてやらないと。引きずり下ろすっていうのは悪い意味ではなくて、神棚に祭り上げられてるものをちゃんと実感できるレベルにまで引き寄せるっていうこと。例えば、雪舟に関する僕のこれまでの仕事は、そこを念頭においてやってきたんですね。」

「美術史は、つねに更新されるべきもの。更新されない固定化された歴史って死んだ歴史なんだよね。それだと、北朝鮮の教科書といっしょになっちゃうんだよ。そうやって歴史も、美術史も死んでいくんだよ。
本来、歴史は動くものだから、つねに否定されることを前提として責任をもってやるっていうのが筋なんだよ。明日になったら書き換えられるっていう意識をもち、そして自分が書き換えてやるという意識をもってないと、歴史家は駄目なんだよね。」

みなさん、生きている日本美術史を目撃するために「一夜漬け日本美術史」を手にとりましょう!縄文時代は文字がない時代。縄文土器や土偶には文字を持った我々が忘れてしまったものがきっとある。これは裏表紙に使った絵です。