発売中の「美術手帖 ・1月号」に海洋堂から発売される岡本太郎フィギュアの紹介文を書きました。そう、今回は絵はなし。文章だけ。いや〜、文章ってむつかしい。(クリックすると大きくなって読めるけど恥ずかしいから、しなくていいです。)
たまたま、新潮社の「波」を読んでいたら、最近エッセイ本を出されたという漫画家の柳沢きみおさんがこんなことを書いておられて共感した。「文字だけで何かを読者に伝える文章の仕事はやっかいだ、とは感じます。漫画は絵で簡単に説明出来ます。しかし、文章に関しては、これで相手にちゃんと私の言いたい事や、その場の情景が伝わるのだろうか、というのが不安になってしまうので、悩み考え込んでしまうのです。」まさにそうそう!文章は「達意」のために書くのが一番大切だと思う。絵だと描いたものはそのままイメージとしてそこにあるので、自分が見てるものと人が見ているものには違いがない。文章はそこでつまづく。でもそればかり心配すると説明過剰になって面白さをそこねてしまうこもある。そのへんのさじ加減もむつかしい。
来年の5月に出る作品集のために最近文章を書いているのだが、非常にてこずっている…。でも、ふだん頭の中で思っている事も文章にしてみることで、より考えることが出来る。文章というのはそれ自体が論理的にできあがっているので、頭の中のあやふやな状態で思ったり閃いたりしたことを文章にあてはめると、考え方の道筋に思わぬ不具合が見つかったりする。その反面、どこかで辻褄をあわせようとしているのではないかとも思たりして……とにかく文章は難しいなっ!ってことです。(おわり。また来年!)
今売ってる、素敵な高峰秀子が表紙の芸術新潮、藤田さんの今月の美術時評は「次期国民的画家候補」ということで、千住博さんを挙げていた。国民的画家とは、絞り込んで考えた場合、横山大観や川合玉堂、東山魁夷、平山郁夫、などのことで、共通して作品が日本のロマンを象徴していること、その前に日本画家(日本画とは近代ナショナリズムを背負った絵)であること。他にも文化事業の担い手であったり、大衆的な知名度も必要。そんな条件に合う人が今はいない。カリスマはもう必要としない時代かも知れない。そこで藤田さんは千住さんを挙げているのだが、千住さんにも課題があるという。そこは芸術新潮を買っていただくか、立ち読みしていただくかでご確認くださいませ。
てなわけで、今回私が描いたのはこんな絵です。横山大観が富士の絵を量産しているところ。
もうひとつの案はこうでした。課題を残した国民的画家候補にひっかけて、課題を残した横綱候補。今は、本場所の通路で警備にはげむ魁皇です。ちょっとわかりにくかったかな?
先週一週間、お休みをとったのはニューヨークに美術館巡りの旅に出かけていたからであります。またいずれご報告するとしまして、今週はグラフィック社「デザインのひきだし」14号で仕事したものの紹介です。印刷見本の一例として好きなことをして良いとのことで、私が担当したのは「雲龍ラミネート」というもの。これは和菓子や日本酒のラベルに使ったらちょうどよい技術です。
この作品自体がシールになっています。なのでお酒の瓶にも貼れる。構造は下の解説のようにシール面に4色でスミ線以外の色を刷る。その上に和紙の繊維の風合いに似せた膜を貼る。またまたその上からスミ線を刷る。つまりスミ線の上には繊維がかからない。お酒の名前などはこのようにやればパキッと目立つのであります。
解説の左下にあるスミ線の絵に赤い輪郭線がありますが、この部分がシールとして剥がして使えます。雲か霞のような和紙の繊維をなんとか利用したかったので、蜘蛛女につかまる男たちの絵にしました。画像では風合いまではなかなかわからないので店頭で見かけたら是非、手に取って見ていただきたく思います。