伊野孝行のブログ

偉人の残念な息子たち

朝日文庫から売り出し中の森下賢一さん著「偉人の残念な息子たち」の表紙を描きました。デザインは原田恵都子さん。偉大な父親を持つということは、必ずしも幸せなことではないのかも…。幸せ、不幸せは当人の決めることだから、余計なお世話だけど。常に父親の影がついてまわるのはうっとおしいことかもしれない。父親と比べられるのは嫌だし、もっと自由に生きたい。そういう意味ではハタから見たら残念に見えるかも知れないが、みんなおもしろい人生を生きている。本文にも11点挿絵を描きました。こんなかんじで。ガンディーの息子が糸車を止めたという記録はないが勝手に描いてみました。ルードヴィヒ2世はお城を建てるのが趣味で莫大なお金を使ってしまいましたとさ。ヴィスコンティの映画では退廃的な雰囲気濃厚でした。カポネの写真をはじめてじっくり見たけど愛くるしい顔をしていた。息子の写真はみつからなかったけどどんな子供時代だったのかな。ゴーギャンがタヒチで作った子供は、ものすごく太っていて親父を商売の種にしていたらしい。絵も描いてたらしいけど。ヘミングウェイの息子は実は…だった!ネタバレになるからナイショ(すでに絵でネタバレしてるけど)にしときます。本屋で買って読んでみよう!

 

 

ライターデビュー?

発売中の「美術手帖 ・1月号」に海洋堂から発売される岡本太郎フィギュアの紹介文を書きました。そう、今回は絵はなし。文章だけ。いや〜、文章ってむつかしい。(クリックすると大きくなって読めるけど恥ずかしいから、しなくていいです。)

たまたま、新潮社の「波」を読んでいたら、最近エッセイ本を出されたという漫画家の柳沢きみおさんがこんなことを書いておられて共感した。「文字だけで何かを読者に伝える文章の仕事はやっかいだ、とは感じます。漫画は絵で簡単に説明出来ます。しかし、文章に関しては、これで相手にちゃんと私の言いたい事や、その場の情景が伝わるのだろうか、というのが不安になってしまうので、悩み考え込んでしまうのです。」まさにそうそう!文章は「達意」のために書くのが一番大切だと思う。絵だと描いたものはそのままイメージとしてそこにあるので、自分が見てるものと人が見ているものには違いがない。文章はそこでつまづく。でもそればかり心配すると説明過剰になって面白さをそこねてしまうこもある。そのへんのさじ加減もむつかしい。

来年の5月に出る作品集のために最近文章を書いているのだが、非常にてこずっている…。でも、ふだん頭の中で思っている事も文章にしてみることで、より考えることが出来る。文章というのはそれ自体が論理的にできあがっているので、頭の中のあやふやな状態で思ったり閃いたりしたことを文章にあてはめると、考え方の道筋に思わぬ不具合が見つかったりする。その反面、どこかで辻褄をあわせようとしているのではないかとも思たりして……とにかく文章は難しいなっ!ってことです。(おわり。また来年!)

 

 

国民的画家候補

今売ってる、素敵な高峰秀子が表紙の芸術新潮、藤田さんの今月の美術時評は「次期国民的画家候補」ということで、千住博さんを挙げていた。国民的画家とは、絞り込んで考えた場合、横山大観や川合玉堂、東山魁夷、平山郁夫、などのことで、共通して作品が日本のロマンを象徴していること、その前に日本画家(日本画とは近代ナショナリズムを背負った絵)であること。他にも文化事業の担い手であったり、大衆的な知名度も必要。そんな条件に合う人が今はいない。カリスマはもう必要としない時代かも知れない。そこで藤田さんは千住さんを挙げているのだが、千住さんにも課題があるという。そこは芸術新潮を買っていただくか、立ち読みしていただくかでご確認くださいませ。

てなわけで、今回私が描いたのはこんな絵です。横山大観が富士の絵を量産しているところ。もうひとつの案はこうでした。課題を残した国民的画家候補にひっかけて、課題を残した横綱候補。今は、本場所の通路で警備にはげむ魁皇です。ちょっとわかりにくかったかな?

 

 

大江戸あにまる終わる

「小説すばる」で3ヶ月に一度のペースで連載されていた山本幸久さんの初の時代小説「大江戸あにまる」に挿絵を描いていました。 毎回、動物が狂言回しの役割で登場します。この小説はとってもおもしろかった。爽やかな風が吹いていて、心地かった。終わったのが残念です。アップするのを忘れていた第6話の後半と最終話の絵です。連載中に上達するはずだったがあまりそうは簡単にいかなかった。やっぱり挿絵っていうのは難しい。最近余計にそう思うようになってきた。
第6話「猩々」の後半。みんなでオラウータンを探すところ。オラウータンにさらわれた?最終話「海獺」ウミウソってなんだろう?ちなみに手前のおじさんは遠山の金さんです。正解はアザラシでした。主人公と遠山の金さん、そして辺りは煙が…。というわけで、挿絵だけ見てても何のことやらわからないと思いますが、初回から最終話までの挿絵をTISの自分のページにまとめてみました。見てやって〜。「大江戸あにまる 全7話(22点)」

 

 

衰退していく町

11月号の「芸術新潮」(もう、書店にはならんでません、すみません)の藤田一人さん「わたし一人の美術時評」はとてもおもしろいテーマだった。タイトルは「建築家は衰退していく町をつくれるか」。ちょうど森美術館でやっていた「メタボリズムの未来都市展」がとりあげられていた。「”メタボリズム”とは”新陳代謝”の意味で、建築や都市が生命体のように成長し、変化を遂げていく有機的構造を有するべきだという思想」「その象徴的建築の一つが、いまも銀座に健在の黒川紀章設計による中銀タワーカプセルビル」…しかし皮肉なことに組み替え自在であったユニット(部屋)も一度も取り替えられることもなく、老朽化と建て替え問題に直面している。皮肉な話である。いま日本は衰退期にある。「穏やかに美しく衰退していける町を如何にイメージし、創ることが出来るかだ。」うーむ、すごい提案だ。黒川紀章とカプセルタワービルで描きました。他のラフはこんな感じ。A案はメタボな建築家が…。B案は衰退していっている人の住居。C案は次なる世界への入り口のついた家。E案は一足先に衰退したユーレイ族の今の住居。毎回、難しいですね、この連載は。

デザインのひきだし

先週一週間、お休みをとったのはニューヨークに美術館巡りの旅に出かけていたからであります。またいずれご報告するとしまして、今週はグラフィック社「デザインのひきだし」14号で仕事したものの紹介です。印刷見本の一例として好きなことをして良いとのことで、私が担当したのは「雲龍ラミネート」というもの。これは和菓子や日本酒のラベルに使ったらちょうどよい技術です。この作品自体がシールになっています。なのでお酒の瓶にも貼れる。構造は下の解説のようにシール面に4色でスミ線以外の色を刷る。その上に和紙の繊維の風合いに似せた膜を貼る。またまたその上からスミ線を刷る。つまりスミ線の上には繊維がかからない。お酒の名前などはこのようにやればパキッと目立つのであります。解説の左下にあるスミ線の絵に赤い輪郭線がありますが、この部分がシールとして剥がして使えます。雲か霞のような和紙の繊維をなんとか利用したかったので、蜘蛛女につかまる男たちの絵にしました。画像では風合いまではなかなかわからないので店頭で見かけたら是非、手に取って見ていただきたく思います。