今月の「芸術新潮」略して「芸新」の藤田一人さんの「わたし一人の美術時評」、タイトルは「戦後は続くよどこまでも?」。昭和8年生まれの岡本信治郎さん、昭和10年生まれの菊畑茂久馬さんの展覧会を見て、そこには66年の歳月を経てなお「戦後」が横たわっていた。一面何もない焼け野原からの出発、「元軍国少年の一途なパワーと焼跡の解放感が、戦後日本美術における前衛の推進力になったに違いない」「その一方で多くの死者と廃墟の上に構築されていく繁栄に、心のどこかで疑問を抱き続けてもきた。そして時間を経るにつれて、虚栄の影が色濃くなる。」「私たち日本人はり越えるべき新たな指針を見出せぬまま、延々と“戦後”という時代が果てしなく続くのだ。」
それを受けての僕の絵はこれでした。1974年武道館を満員にしたという「中年御三家」の3人です。以前、永六輔さん(昭和8年生まれ)が小沢昭一さん(昭和4年生まれ)と野坂昭如さん(昭和5年生まれ)との間でも戦争体験が違うと書いておられた。(小沢さんは海軍兵学校で、永さんは学童疎開で終戦を迎える。)そんなことをついでに思い出して、三人いるから電車ごっこでちょうどいいかと。
戦争で亡くなった戦友の亡霊に「描かされる」老画家の案。
ナルコレプシーで居眠りをした色川武大さんの案。「麻雀放浪記」は戦後の焼跡でないとやはりあのドラマは生まれない。あの時代は、空襲の恐怖もなくなり言論の自由も与えられ、貧しかったけどとにかく明るかった。焼け野原になったけどその上の青空はなおさら明るかった、というようなことを読んだり聞いたりする。この前表紙を描いた木内昇さんの「笑い三年、泣き三月。」もまさにそうだったし、和田誠監督は「麻雀放浪記」を映画化するときにそこに気をつけたと書いておられたと記憶する。僕は(昭和46年生まれ)、戦争どころか戦後という実感もないのだけれど。近年、時代の雰囲気は明るくない、これから先どうなるんでしょうか?
新潮社のPR誌「波」で連載していた新野剛志さんの「中野トリップスター」が本になりました。連載時に挿絵を描いてたので、カバー装画も担当することになりました。ありがたや、ありがたや。
表紙の二人は主人公のヤクザ、山根(角刈り)とその弟分の誠(アフロ)、髪型が対照的です。カバーを全面ひらくと、中野の街(南口)に登場人物達があらわれます。(クリックするとおおきくなるので、お願いします!クリックしてくだせぇ!)道の向こう側のちいさく描いてあるのも皆登場人物です。この物語は、中野にある旅行代理店(その店の名前がトリップスターなのです)でシノギをするハメになったヤクザのお話なのです。
帯に描いた女の子は「まさこ」という登場人物の一人で、とても性格が悪くて、そこがかわいいです。ピースサインをしているのではなくて、目つぶしの手の格好です。
今回はめずらしくロケハンに行きました。中野駅周辺を歩いて写真をパチリ。それを元に描きましたが、あくまで絵は絵ですから…。
以前に連載していた「波」の挿絵はコチラです。中野トリップスター挿絵
この「波」での連載時と、今回の本の装丁は新潮社装丁室の二宮大輔さんです。おもしろデザインありがとうございました。
今月の「芸術新潮」の藤田一人さんのコラム「わたし一人の美術時評」は、少し耳が痛い。タイトルは「花盛りチャリティー展の憂鬱」。だいたいこれでピンと来る人も多いはず。僕も何回か震災関係のチャリティー展に出品したことがある。この震災に対して何が出来るかと問い、けれども無力を思い知り、それなら少しでもお金を被災地にまわそう、というささやかな小市民的良心。売れなきゃ意味がないし、売れなきゃ恥ずかしいから値段はお手頃。普段の個展の売値の10分の1くらいだったりして…。そんな目先の議損金集めより、藤田さんの書かれるように「この大災害を刻印する制作の模索こそが、有意義であるに違いない。」のである。
水木しげるさんがニューヨークタイムスに描いた絵(3月20日掲載)を見て、腰を抜かして以来、震災に関する絵は自分には描けないと思っていた。水木しげるNYタイムズ描き下ろし作品(都築響一さんのブログより)
今回のコラムの挿絵も震災がらみと言えなくもないけども…。
僕のような若僧はまだまだ修行がたりません…ということで。今回の他のアイデアはこんなのありました。