伊野孝行のブログ

大人のしぐさ 江戸/上方

今、発売中の雑誌「日経おとなのOFF」に絵を描きました。まずは「江戸の心を知れば”粋”が身に付く、江戸しぐさ」6種です。「傘かしげ」譲り合いと気遣いの心を体現した代表的往来しぐさ。他に「肩引き」「カニ歩き」などもあり。「うかつあやまり」踏んだ方ももちろん、踏まれた方も謝れば、絶対にトラブルは起こらない。「自堕落しぐさ」身なりを整えるしぐさは、人目のつかないところですべし。人前での化粧直しは御法度である。「刺し言葉」感情を逆なでする言葉は禁句「でっ?」「だから?」「はーっ?」「つかのま付き合い」二度と会わない他人でも和やかに会話をかわす。これ江戸の大人。しかし、名前や年齢、行く先などは尋ねないのが暗黙のルールであった。「時泥棒」相手の都合を考えず、時間を奪うは「時泥棒」なり。お金は借りても返せるが、過ぎた時間は取り返しがつかない弁済不能の罪である。

お次ぎは上方、「大阪人は人情暑いエンターテイナー」アドバイザーは林家染丸師匠です。まずは染丸さんの似顔絵です。「お辞儀より大事は声に出すこと」挨拶+αが上方流。「おはようさん、まぁ、いい色やね、似合ってはるわー」「袖振り合うもあめちゃんの縁」大阪では多くの大人の女性が、バッグに飴を常備しているという。コンサート会場で見知らぬ隣の人が咳き込んだら、眉をひそめるのではなくあめちゃんを渡す。それに限らず、理髪店で、タクシーで…あらゆるところで飴を媒介にコミュニケーションをはかる。うんちくよりも「味見して」…たとえ行列して買ったものでも「評判らしいから買うたんやけど、ちょと味見してみて」と持っていく。相手の恐縮を取り除く負担をかけない言い方だ。

他のページで旬の食材を描きました。こんなのです。「海の幸」「山の幸」

 

 

戦後は続くよどこまでも?

今月の「芸術新潮」略して「芸新」の藤田一人さんの「わたし一人の美術時評」、タイトルは「戦後は続くよどこまでも?」。昭和8年生まれの岡本信治郎さん、昭和10年生まれの菊畑茂久馬さんの展覧会を見て、そこには66年の歳月を経てなお「戦後」が横たわっていた。一面何もない焼け野原からの出発、「元軍国少年の一途なパワーと焼跡の解放感が、戦後日本美術における前衛の推進力になったに違いない」「その一方で多くの死者と廃墟の上に構築されていく繁栄に、心のどこかで疑問を抱き続けてもきた。そして時間を経るにつれて、虚栄の影が色濃くなる。」「私たち日本人はり越えるべき新たな指針を見出せぬまま、延々と“戦後”という時代が果てしなく続くのだ。」それを受けての僕の絵はこれでした。1974年武道館を満員にしたという「中年御三家」の3人です。以前、永六輔さん(昭和8年生まれ)が小沢昭一さん(昭和4年生まれ)と野坂昭如さん(昭和5年生まれ)との間でも戦争体験が違うと書いておられた。(小沢さんは海軍兵学校で、永さんは学童疎開で終戦を迎える。)そんなことをついでに思い出して、三人いるから電車ごっこでちょうどいいかと。戦争で亡くなった戦友の亡霊に「描かされる」老画家の案。ナルコレプシーで居眠りをした色川武大さんの案。「麻雀放浪記」は戦後の焼跡でないとやはりあのドラマは生まれない。あの時代は、空襲の恐怖もなくなり言論の自由も与えられ、貧しかったけどとにかく明るかった。焼け野原になったけどその上の青空はなおさら明るかった、というようなことを読んだり聞いたりする。この前表紙を描いた木内昇さんの「笑い三年、泣き三月。」もまさにそうだったし、和田誠監督は「麻雀放浪記」を映画化するときにそこに気をつけたと書いておられたと記憶する。僕は(昭和46年生まれ)、戦争どころか戦後という実感もないのだけれど。近年、時代の雰囲気は明るくない、これから先どうなるんでしょうか?

 

 

中野トリップスター刊行

新潮社のPR誌「波」で連載していた新野剛志さんの「中野トリップスター」が本になりました。連載時に挿絵を描いてたので、カバー装画も担当することになりました。ありがたや、ありがたや。表紙の二人は主人公のヤクザ、山根(角刈り)とその弟分の誠(アフロ)、髪型が対照的です。カバーを全面ひらくと、中野の街(南口)に登場人物達があらわれます。(クリックするとおおきくなるので、お願いします!クリックしてくだせぇ!)道の向こう側のちいさく描いてあるのも皆登場人物です。この物語は、中野にある旅行代理店(その店の名前がトリップスターなのです)でシノギをするハメになったヤクザのお話なのです。帯に描いた女の子は「まさこ」という登場人物の一人で、とても性格が悪くて、そこがかわいいです。ピースサインをしているのではなくて、目つぶしの手の格好です。
今回はめずらしくロケハンに行きました。中野駅周辺を歩いて写真をパチリ。それを元に描きましたが、あくまで絵は絵ですから…。
以前に連載していた「波」の挿絵はコチラです。中野トリップスター挿絵

この「波」での連載時と、今回の本の装丁は新潮社装丁室の二宮大輔さんです。おもしろデザインありがとうございました。

 

 

笑い三年、泣き三月。

木内昇さんの直木賞受賞後第一作「笑い三年、泣き三月。」のカバー、扉の絵を描きました。旅芸人、復員兵、戦災孤児の3人が中心となる登場人物で、安劇場にひろわれて、踊り子のぼろアパートで共同生活をはじめます。戦後復興期、無秩序で混沌とした時代にこそ、ギラリッと光る人間の逞しさ、やさしさが「エロに燃えて笑いに悩む」登場人物たちを通しておかしみと哀しみになって読む者を楽しませてくれます。

カバーを全部広げるとこんな感じです。画像をクリックすると大きくなるので、お試し下さい。装丁は大久保明子さん。色はお任せしました。見返しや別丁扉の色の関係もとても美しいです。手にもっても心地よい紙触りです。

こちらは2種あったラフ案のもうひとつの方。「本の話」という文芸春秋のPR誌で使われました。コレもクリックすると大きくなります。
中の各章扉も描きました。第1章「浅草の灯」第2章「芸道一代男」第3章「真実一路」第4章「人生とんぼ返り」第5章「命ある限り」第6章「その前夜」第7章「決戦の大空へ」最終章「また逢う日まで」

木内昇さん「笑い三年、泣き三月。」を語る。文芸春秋のサイトより。戦後を生き抜いた愛すべきはずれ者たちの悲喜劇

 

 

チャリティー展の憂鬱

今月の「芸術新潮」の藤田一人さんのコラム「わたし一人の美術時評」は、少し耳が痛い。タイトルは「花盛りチャリティー展の憂鬱」。だいたいこれでピンと来る人も多いはず。僕も何回か震災関係のチャリティー展に出品したことがある。この震災に対して何が出来るかと問い、けれども無力を思い知り、それなら少しでもお金を被災地にまわそう、というささやかな小市民的良心。売れなきゃ意味がないし、売れなきゃ恥ずかしいから値段はお手頃。普段の個展の売値の10分の1くらいだったりして…。そんな目先の議損金集めより、藤田さんの書かれるように「この大災害を刻印する制作の模索こそが、有意義であるに違いない。」のである。

水木しげるさんがニューヨークタイムスに描いた絵(3月20日掲載)を見て、腰を抜かして以来、震災に関する絵は自分には描けないと思っていた。水木しげるNYタイムズ描き下ろし作品(都築響一さんのブログより)

今回のコラムの挿絵も震災がらみと言えなくもないけども…。僕のような若僧はまだまだ修行がたりません…ということで。今回の他のアイデアはこんなのありました。

 

 

他人の空似

律儀に毎週火曜日に更新しているこのブログ、律儀に盆と正月は休んでいます。また今週から無理にでも更新していくぞ!アルクの「月刊日本語」という雑誌の表紙と中に絵を描きました。『ラフ&ピース』という特集で笑顔をたくさん描くという仕事でした。たくさん描きすぎて使い切れなかったのもあるみたい。フランケンはちょっとやりすぎたかな?一番右の列の上から5番目は、こっそり僕の笑顔として描いた。そしたらM編集長から「私の顔を描いていただきましてありがとうございます」とお礼をいただいてしまい「いや、あれは、その自分を描いたつもりなんですが…そういえばMさんに似てますね」とそこで初めて二人の顔が似ていることに気がついた。打ち合わせのときはお互い何も思わなかったが…。こうしていっぱい顔を描く時はバラエティにするため実際の友だちの顔を思い出しながら描いたりしますが、自分に似ている笑顔はありましたか?香山リカさんのインタビューもありました。なので香山さんも描きました。