伊野孝行のブログ

慎太郎YESorNO?

「JT」の出しているフリーペーパー「FILT」でお仕事しました。「あなたはどんな底力を秘めている?ミラクル資質チェック」というYESかNOで進んで行って自分のタイプが判明するという、こういうの何て言うんだっけ?そういうヤツのたくさんある項目のうち5つに絵をつけました。ご飯は味より量。YESorNO?

ギャンブルはお穴狙いに走る。YESorNO?

人前での涙は禁物。YESorNO?

自分はまだまだ子供だ。YESorNO?

テレビによくツッコミを入れる。YESorNO?

という感じで書きましたが、一番最後のテレビの中の人は「石原慎太郎」です。これを描いた時はちょうど都知事選挙のすぐ後だったので、つい描いてしまいました。若い頃の小説はレイプ&殺人の凄まじい内容でなかなかの読後感を覚えたし(1冊しか読んでないが)、都政だって悪いところもあれば、いいところもあるみたいだし(人に聞いた話によると)。記者にむかって「君たち、バカな質問するなよ」と制するのは確かに、バカな質問をする記者がいるからだろうが、全てを差し引いても、なんで、石原慎太郎はあんなにエラそうなのか?このあいだも田原聡一郎とニコニコ生中継に出てて、相手が田原聡一郎だから気を許して、全開モードで威張り散らしてました。うしろでつっかえ棒を入れてあげないとふんぞり返ってっ転んじゃう。「なんでこの人こんなに威張ってるの…?」しかし、なんというか、その特異なキャラクターゆえに100%嫌いではないです。

 

評論家はいなくなった?

「芸術新潮」5月号の「わたし一人の美術時評」はこんな書き出しからはじまる。

『先日、ある美術評論家と美術雑誌の編集長がこんな会話を交わしていた。「もはや美術評論家なんてものは絶滅危惧種、いや絶滅種だなぁ。」「確かに、いま求められているのは展覧会を企画するキュレーターと、多彩な美術情報を整理・解説するライターだから」そんなことはいまさら話題にするまでもないことだが……。』

コラムのタイトルは「そして評論家はいなくなった?」内容は、いやこんな時代こそ評論家は必要なのだ、ということでした。くわしくは「芸術新潮」で!

このコラムにつける絵は、書かれているテーマをいったん分解し、自分なりに再構築して、絵は絵として独立して楽しめ、しかもコラムの内容とつながっていなくてはならぬ…という毎回非常に頭を悩ます難問であります。さて今日は趣向をかえて、幾種類かのラフを載せてみますので、編集者、AD、協議の結果、選ばれたのはどれか?クイズです。見る目のない画商がゴミ箱を作品と勘違いしている様子。お金(作品?)を目の前にした人々が勝手きままに意見を出し、収拾がつかない程に騒がしい様子。三味線弾きの家に生まれ、歌舞伎の舞台の御簾の中から、六代目菊五郎などの名優を見て育ったご存知、勝新太郎。縄文時代にも評論家はいた?

さあ、この4つのラフのうち、目出たく掲載されたのは…そう、もうおわかりですね。正解はコレです。

 

 

映画監督の肖像

今号のリトルモアの季刊誌「真夜中」は、特集が「映画が生まれるとき」。私は映画監督の似顔絵を描いた。ここでとりあげられた監督は、映画は見たことがあるが、顔までは知らなかったりした人もあった。カサベテスとか勝手に不細工な顔を想像してたけど、とても男前。アルモドバルはこんなオモロい顔してたのね。ヒッチコックのように顔のイメージが染み込んでいる人の方が描きにくかった。あと、やっぱり写真より映像の方が資料として断然いい。似顔絵の下に書いたのは監督の言葉です。

「幼年時代の感覚が消えてしまうのを私は恐れているのです」タルコフスキー

「自分が育った家の女たちから、おりにふれてそうした能力を見せつけられた。女たちは男たちよりも、もっと頻繁に、そして上手に芝居をした。そして嘘によって、生活の中で起きる悲劇的な結末を何度も回避したのだ。」アルモドバル

「顔が左右対称になっている役者は好きじゃない。」カウリスマキ

「自分の中の求めていたイメージと寸分たがわぬイメージを生みだすことこそ、映画作家の夢だ。そこに、どんな妥協があってもならない。イメージの創造に厳密さを欠いているために、いいかげんな映画ができてしまう。映像(イメージ)は映るものではなく、つくるものだ。」ヒッチコック

「まだこんな野蛮な音楽を?」…これはゴダールの映画の中のセリフかな?

「私は映画そのものより、それを一緒に撮っている人間のほうに興味がある。」カサベテス

 

 

タダで大学

三五館より発売中の「タダで大学を卒業させる法」のカバー描きました。貧しくとも、この本を読めば子供をタダで卒業させられる、という本です。著者の吉本さんが、3人の子供を自宅外通学で「タダ卒」実験したテクニックが凝縮されている。この体験談は今の時代にこそ役立つでしょう。我が身を振り返れば、親のスネをかじって大学を卒業して、しかも大学とはほぼ無関係な道に進んでしまい、アレは一体何だったんだ?という4年間だった。せめてもの救いは私の行っていた大学は私立で一番授業料が安い!ということぐらいだろうか。東京に受験に来て、いくつかの大学の文学部を受けた。一日だけ予定が空いていて、ホテル代ももったいないと思い、その日だけ東洋大学法学部というのを穴埋めに受けておいたら、そこしか受からなかった。まったく興味のない学部に行く気はゼロだったが、浪人するのが嫌で結局行くことにした。大学に入ったら学部変更ということも出来ると知った。東洋大学の文学部は、哲学科が有名で大学の看板学部でもある。坂口安吾、笠智衆、植木等、根本敬、豊崎由美…と尊敬する方々も出身者(中退ふくむ)であり、我が業界では小池アミイゴさんも中国哲学科(中退)であった。とにかく中退でもいから、哲学科に学部変更だ!思い切って印度哲学にしよう!などと、考えていた。しかし、入学後、5月に入り気温も上がって来ると、向学心はいともたやすく溶けていった。卒論のない法学部を簡単に卒業するのでいいや、と学部変更をあきらめ、ゼミにも入らず、ただただ、麻雀などをしているだけで4年間終わった。今もって麻雀はヘタである。…こんなことを書いたら本の宣伝に差し支えると思うが、個人的な思い出として書きました。しかし、無駄な4年間ではなかった。たぶん。まわり道の重要性も今となってはわかる。

おまけ情報

タラジロウさん企画「日の出商店街」に参加してます。本日より15日まで。

 

 

日本の花見

4月22日発売の「小説現代」の目次ページを担当しました。依頼を受けた時、「春らしい感じでお願いします」と言われたので、春といえば花見だな、と単純に考えました。そのときはまだ桜が咲いてなかったし。めでたくラフも本番もスムーズにOKが出たあとで、ハッと気付いたのはこれが発売される頃にはお花見終わってるぞー、いうことでした。これは5月号だし、どちらかというと雑誌は季節を先取りするもんだし。でも、今年はお花見自粛が言われてたし、それに東北より北では今が盛り、これからのところもあるはず。なにも東京中心でなくてもよいか、と思うことにしました。来年は日本中でお花見を楽しめるといいです。

 

 

学芸員と美術館

毎月おなじみ『芸術新潮』で連載中の、藤田一人さん「わたし一人の美術時評」の挿絵です。今回は日本の美術館のあり方に対してのまじめな問題提議、タイトルは「無邪気すぎてよくみえない」となっっております。コラムの中でとりあげられていたのはある公立美術館の現代美術の作家の展覧会。くわしくは「芸術新潮」でお読みいただきたいと思います、つってももうそろそろ次の号が出るというのに。遅くてすいません。のんきな館長と学芸員を描いてみました。館長と学芸員は架空の人物です。建物は実物の写真を見て描きました。