本格漢方
週刊朝日mook「本格漢方」でした仕事です。まずは表紙に使われたイラストレーション。続いて扉の絵です。薬の箪笥から漢方名医が。
パンダなのにかわいくないパンダが薬を調合してます。これも扉絵。
陰陽のマークとともになんとなく昔の中国のおじさんが舞っている…これも扉絵。
これは薬の事典の扉。人間のような人参。
続いてこちらは中の特集に使ったカットです。
以上。私は飲んで帰った日は「太田胃散」と「ウコン粒」を飲みこんでから寝ます。
週刊朝日mook「本格漢方」でした仕事です。まずは表紙に使われたイラストレーション。続いて扉の絵です。薬の箪笥から漢方名医が。
パンダなのにかわいくないパンダが薬を調合してます。これも扉絵。
陰陽のマークとともになんとなく昔の中国のおじさんが舞っている…これも扉絵。
これは薬の事典の扉。人間のような人参。
続いてこちらは中の特集に使ったカットです。
以上。私は飲んで帰った日は「太田胃散」と「ウコン粒」を飲みこんでから寝ます。
玄光社から発売中のMOOK『illustrationFILE2011』上巻の表紙を描かせていただきました。(普段は、描かせていただきました、という言葉遣いはへりくだりすぎていると思うので使いませんが、今回に限って使わせていただきます。なにせ上巻だけで448人、下巻と合わせると935人ものイラストレーターの方々がひかえておられるので、私ごときが表紙を描いちゃってすいません!という気持ちがありますので…)今年の表紙のテーマは「好きな小説」で、あとがきの「表紙の言葉」ではこう書きました。
『最初、高校2年の時に読んで感動したドストエフスキーの「罪と罰」でラフを描いてみた。何枚描いても当然暗い。さすがに表紙が殺人シーンではまずいかな?しかしそれ以外の場面は会話ばかりで何の小説かわかりにくい。夏目漱石も候補に上げていた。「坊っちゃん」は二回読んだことがある。登場人物それぞれの個性をうまく際立たせられるか不安だ。絵になりそうな場面が多すぎてかえって絞りきれない。なら「我輩は猫である」は?苦沙弥先生=漱石なので、漱石が描ける。漱石は何度描いても楽しい。作家本人を描けば物語の中にも自然に入って行けそうだ。好きな小説を描くというのも、なかなかむつかしい。』
アートディレクションは日頃何くれとなくお世話になっている日下潤一さん(B-GRAPFIX)ですが、決して「八百長」で私が表紙を描くことになったわけではありません。片桐淳一編集長が昨年、うだるような猛暑の中、HBギャラリーでやった丹下京子さんとの二人展『鍵』(谷崎潤一郎原作)を見て、たいそうおもしろがってくれたのがきっかけで、今年のファイルの表紙を頼まれたのでした。そう、だから下巻は丹下さんが描いてます。ちょうど「あ行」と「た行」で二人はうまい具合に上下巻に別れます。
丹下京子さんの選んだ小説はポーの『モルグ街の殺人』。小説といっても色々ありますので、若い時に読んでおもしろかった「近代文学」に絞ろう、ということになりました。二人の作品がそろったところでとても面白い偶然が起こりました。どちらの絵も動物が登場する。その動物が中心にいてコチラを振り返っている。しかも遠景には人が数人いる。…不思議な偶然です。(これも八百長は一切やってません)ただ絵の作り方は、対照的。デザインは上下巻共通なので先に決まっていました。私は四角が集まったようなちんまりした構図で、丹下さんは赤い色面が斜めに切り裂いています。あいかわらず「男らしい」です、丹下さん。
前は、色を塗る時わざとはみ出して塗らないと気が済まなかったし、ピンクや黄色を多様しないと自分らしさが出ないと思っていましたが、最近はそんなことしなくても自分らしさはなくならないと、やっと気付いたので結構フツウに描いちゃてます。
「芸術新潮」で連載中の藤田一人さんの「わたし一人の美術時評」3月号は『平成「美術記者」事情』。美術記者の今昔もえがかれています。作家の井上靖は戦前から戦後しばらくの間、毎日新聞大阪本社の美術記者でした。そんなわけで井上靖と横山大観を描きました。昔の美術記者は今とくらべて人間臭く、美術家の懐にとびこんで、美術状況を皮膚感覚で捉えていたようです。人間関係が濃い=裸の付き合い、ということにしてお二人にはお風呂に入ってもらいました。急に大観先生が背中を流してくれたのでびっくりしている様子。ん?井上靖が似ていない?僕らの印象の中にある井上靖は作家になってからの顔で、若い頃の井上靖ではない(第一の言い訳)。びっくりしている写真がなかったので想像して表情をつけた(第二の言い訳)。しかし、お互いに名前を呼び合ってるので大丈夫だ。しかし、この手法は似顔絵描きとしては決して褒められたものではない。
「小説すばる」で連載中の山本幸久さんの時代小説「大江戸あにまる」もあと2回で最終回をむかえる予定。またどこかで時代ものの仕事がしたいなー、と心の内をさらけだしながら今週もブログを更新。男装のお姫様と桜の木の上から何かを見てます。
この男はご存知遠山の金さんであります。少年時代の勝海舟も登場します。猩々とはここではオラウータンのこと。今回は絵に登場しませんでしたが次回は描きます。
「芸術新潮」で連載中の藤田一人さんの「わたし一人の美術時評」2月号は『戦後日本の鏡としての平山郁夫』でした。「司馬遼太郎の歴史小説は戦後の復興・高度経済成長と共鳴する歴史感を持つと評されるが、もし彼がリアルタイムの戦後を書いたなら、平山郁夫が主要人物として登場しても不思議ではなかっただろう。平山郁夫のキャリアと価値観は、司馬文学の前向きな発展志向とよくマッチする。」とコラムにありましたので、そのものズバリ司馬さんと平山さんに登場願いました。
「前を見つめながらあるく。のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶の白い雲がかがやいているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう」というドラマ「坂の上の雲」のナレーションに今は亡き平山郁夫の姿がだぶって見えたと、藤田さんは書いておられます。なので、モロ即物的に雲の上に上がってもらいました。先に司馬遼太郎がいます。経済的な豊かさばかりを求めて突き進んだ果ての今の日本をどう見てるのでしょうか?
今.本屋さんにならんでいる「美術手帖」は今年生誕100周年をむかえる「岡本太郎特集」です。そのなかで全国に点在する岡本太郎のパブリックアートを案内する「岡本太郎ガイドブック」の扉、中にイラストレーションを描きました。「自分は誰だ?忘れた!」という名言を残した岡本太郎。きっと今「太陽の塔」を見たらこう言うに違いないと思います。(クリックすると画像は鮮明になるでしょう)
東京青山生まれの知人の話によると、小学校の帰り道に岡本太郎をみつけると「おーい、爆発タロ〜!」と叫んでからかってたという。そんな時の岡本太郎の表情を想像するのが楽しい。
実際、雑誌の連載でインタビューしに行ったことがある南伸坊さんによると岡本太郎は「守りの人」だったとおっしゃってました。確かに太郎の子供時代のエピソードは今で言う「自閉症」に近いものがある。しかしそこは岡本太郎。「攻撃こそ最大の防御なり」でもって人生と芸術を切り開いてきた。伸坊さんがインタビューに行ったら、岡本太郎はまずスクッと立ち上がり、あのポーズを決めたり、庭に出て行って、ツノがいっぱいついたお寺の鐘(作品)をガンガン叩いたりして、散々おどかしたりびっくりさせてくれた後、「僕がパリにいた頃、そうバタイユが…」「ブルトンが…」と語ってくれたそうであります。後日談として、伸坊さんが、他の人がインタビューした記事を眼にしたら(その人は事細かにレポートしていたようで)岡本太郎は全く同じ行動をとっていたそうであります。
岡本太郎がよくTVに出ていた頃「まったく約束事にとらわれない自由な人間」の印象を持っていました。でも、それはガードの強さが、逆にそうさせてたのかもしれない、ということだったんですね。岡本太郎の芯はどんな感じなのか、岡本敏子さんなら知ってるかもしれませんが、外側の岡本太郎だけで充分に面白い!から知らなくてもいいです。岡本太郎の作品って誰にも似ていないところがまず素晴らしくて、そのことは時代が経てば経つほど重要です。それにみんな可愛い。「今日の芸術は上手くあってはならない」とは言ったけど「可愛くあってはならない」とは言ってません。岡本太郎は生誕100年と言っても、昔の人じゃないし、映像にたくさん記録されている。テレビは特集する場合、人を呼んだり、再現ドラマを作ったりするが、実際岡本太郎がうつってる映像を、そのまんま流して欲しい。それだけでいい。そこでの岡本太郎がしゃべること、仕草、間合い、視線…などを見ているほうが、わかることがたくさんある。再現ドラマでわかりやすくストーリー仕立てで見せるほうが、余計にわからなくなるのではないか。松尾スズキ主演(ファンです)。まだ放送されてないので何とも言えませんが、けっこう似てました。
というわけで、おわりです。