「小説すばる」で連載中の山本幸久さんのとーってもかわいらしくて、すがすがしい時代小説「大江戸あにまる」のお仕事です。って、これも去年の仕事ですが。今回は「山鮫」と書いて「ワニ」です。登場人物達はワニがどんな生き物なのかもちろん知りません。

話はかわりますが、最近は「時代物小説」が人気で、時代物を描けると仕事につながるらしい、というので若い人もこぞって描いているようです。ここでいう若い人というのは、僕より10歳以上若い人のことです。僕が「時代物」の絵を描きはじめたのは14年ほど前。当時はなかなか仕事になりませんでした。そしてまわりで誰も描いていなかった。小説雑誌では「挿絵画家」といわれる方々の仕事がまだ見られたと思う。僕はその後いろんなジャンルに手を出しまくって、結局「時代物」はメニューのひとつにしかなってません。(先見の明があるのにブームに乗ってない。まったく俺ってやつは…)時代物専門でやっていくにはそうとうな勉強が必要です。江戸、明治から時代が経てば経つほど、勉強することも多くなります。着物を着て生活してないだけでもかなりのマイナスポイントです。

やはり「時代物」専門でいこうとしたら着物で生活しなければいけません。(おおげさ?)僕は無理なので、だから専門にはできませんでした。単に着物だけの話ではなく、身の回りにそういう文化がふんだんに残っていた時代と違うから、現代人にとっては異国のことを描くに近い状況です。でも日本人なんだからそんなに見当違いにはならないです。ニッポン大好きな外国人イラストレーターが日本の時代物を描いたら、きっとヘンテコリンなものになる。それはやっぱり、江戸時代に日本人の生活の基本が出来て、知らずしらずそれは受け継いでいるし、江戸時代の前の中世のことだって、何となくは知っているから。変な間違いは起こしません。

「時代物」がはやっているとはいえ、本屋さんで目にする表紙や、挿絵もそんなにバラエティには富んでません。間違った解釈の絵は嫌だけど、もう少し色んな絵が見たい。蓬田やすひろさん風の絵が多いのは、そこが売れ筋ということなんでしょうけど、もっと色々あって良いなあ。誰も江戸時代は見たことはない。蓬田さんの絵は、蓬田さんが想像する江戸時代であって、それを目にした今の人々は「あぁ、そう江戸時代ってこんな美しい時代だったんだ」と強く共感できる。そういう世界観が作られている。だからといって他の人もその世界観の中で絵を描いても新しいことはできない。構図の切り取り方ひとつとっても。誰も知らない時代なんだから、違う角度から見たものも出来るはずで、このジャンルはまだまだ未開拓の部分が残っていると断言しましょう。といって、それで仕事になるかどうかわからないですが。そのへんがこの仕事のややこしいところですね。エラそうなこと言ってますが、私もまだまだ。絵だけ載せておしまい、というのも素っ気ないかと思い、つい今日は無駄話をしてしまいました。おわり。
またまた去年の仕事ですが、カタログハウスの「通販生活」でふざけたイラストレーションを描きました。私が吹っかけられた「無理難題」というコーナーでそれぞれのエピソードに絵をつけました。
まずは森永卓郎さん。日本専売公社に勤めていたころ、無担保で20億円借りてこいと言われた話。
ジャーナリストの上杉隆さん。鳩山邦夫の秘書をしていた頃、毎日が無理難題の連続だったという体験談。邦夫おそるべし。
辛酸なめこさん。究極の針治療を体験しに行って死にそうになったお話。
5万回斬られた男、こと俳優の福本清三さん。若き日に工藤栄一監督に「なぜ馬より早く走れないんだ!」とぶち切れられたかわいそうなお話し。
先週のブログでもおなじみ松村邦洋さん。高田文夫先生に「ドカベン物語」と「水島新司物語」の主役が決まったから、半月ごとに体型を変えて役作りするようにと、だまされた話。

堀ちえみさん。娘と東京ドームシティに行って6時間連続で走り回された悲惨な報告。
不肖、宮島茂樹さん。若いころ、週刊文春のデスクに毎回、無茶な注文ばかり押し付けられていたころの思い出話。しかし「昔はどれだけ無茶をしたかが、報道カメラマンの勲章みたいなものでした」とおっしゃってます。確かに、人間が大きくなるには、理不尽なものに耐えることが必要なのかも。
松村邦洋さんのこのネタが好きだったのだが↓
織田信長のオールナイトニッポン
そしたら、それを本にした仕事が来たのだった。去年の晩秋の話である。すっかり報告が遅くなってしまいました。松村邦洋著「武将のボヤキ」武田ランダムハウスジャパンから1300円で発売中!私が担当したのは歴史上の人物を描く描く描く計、39人と松村さんの似顔絵でちょうど40人。表紙はみんな集合の絵です。
で、松村さんの似顔絵。使ってないのも含まれてます。

続いて歴史上の人物です。肖像画や写真が限られてるので、今、生きてる人を描くより断然描きやすい。クリックすると拡大されるはずなので良かったら見て下さいね。


「芸術新潮」で連載中の藤田一人さんの「わたし一人の美術時評」の挿絵を3回まとめて載せます。この連載は毎回何を描くか非常に難しいのですが、この難しさが楽しいのです。
第3回、『国立という看板』ではこんな絵を描きました。
この回では「国立美術館」のあり方が問題になっていました。コラムには「コレクションとは単なる作品の集積ではなく、一つの価値の体系。国立美術館の場合、その背景には国家的、公共的な価値観、美意識というものが共有されなければならない。」とありました。ちょうどその時は国立新美術館で「陰影礼讃―国立美術館コレクションによる」が開催されていました。私は見てませんが、その展覧会では公的な美術観が問われていたのでしょうか?これをどうして絵にするか悩んだあげく、坂本龍馬、岩崎弥太郎、西郷どんの3人が展示を観て一言感想を漏らした、という表現にしてみました。
第4回、『老いと芸術』ではこんな絵を描きました。この回では「老い」がテーマでした。コラムの中には登場しませんが、「老い」と聞いて思い出すのは、熊谷守一。売れたのは60歳をすぎてからです。とにかくよく我慢しました!カラスが頭にとまっている写真を見たことがありますが、自然の一部になりきった守一の心境を表しているかのようでした。(単に飼っていてとてもよくなついていたのかもしれないが…。)コラムの内容を絵にしたというのではありませんが、なんとなくニュアンスで描きました。

第5回、『出世の道も国次第』ではこんな絵を描きました。かつては日本の芸術家達は、有力美術団体展の大臣賞、その後、日本芸術院賞をとって、文化功労賞さらに文化勲章へと上りつめる出世コースがありました。思えば異端児、岡本太郎でさえ「二科」に所属していたわけだし、世間でも有名な画家はどこかの団体に所属していました。今の人気アーチスト達でそういう団体に所属している人は少ないと思いますので、このコースが変わってくるのも自然なことでしょう。山下清は勲章をもらってませんが、もし勲章をあげると言われても、きっとこう言うんじゃないかな、と思って登場願いました。我ながら表情が抜群の出来です。
(3点の画像はクリックするとクッキリ鮮明に見えるでしょう。パソコンによってはどうかわかりませんが。)