DHCの商品を購入されるお客様に毎月届く「みんな、げんき?」という雑誌でお仕事しました。内容は「私の成功、失敗ダイエット」という読者様の経験談をいくつかイラストレーションにしました。上から順番に、家事をするとき必要以上に体を動かして成功。夜9時以降は食べないことで成功。甘いものの誘惑に負けて失敗。3人は成功して喜んでいる人。恋して成功。キャベツダイエットで虫になった気分で失敗。ポッコリお腹の失敗した3人。てな感じです。クリックするとピンぼけ画像も鮮明に、そして無駄に大きくなるでしょう!
最近、モノクロの絵ばっかり更新しているが、今回もモノクロ。たぶん来週もモノクロ。今週は「野生時代」で連載中の「通りゃんせ」から。この連載もあと一回で終わってしまう。飢饉にあえぐ村人がお救い小屋でおかゆをもらうために並んでいるところなど。山田風太郎は本の中でよく言ってたが、現代の我々は、贅沢しない普通の食事であっても、江戸時代の大名よりいいもの食べてるそうである。江戸時代もいいけど、飢饉だけはかんべんだ。余談だが、日本ほどいろんな国の食べ物を日常的に食べている国もないのではなかろうか。朝は日本食、昼は中華、夜はイタリアンなど、日常的である。石田純一は、一番イタリアンが美味しい国、それは日本だと言っているが…。

「小説すばる」で連載中の山本幸久さんの初の時代小説「大江戸あにまる」に挿絵を描いています。この小説は面白い!主人公はおよそ武士らしくない武士で、剣術もからきしダメ。かといって学問に優れているわけでもない。だけどこの小説の中に入ると、いい風が吹いていて、とても気持ちがいい。「新しい時代物」を読んでいる気がする。挿絵は雰囲気を描きたいから、僕にとっては願ったりかなったりの小説です。


今月の泉麻人さんの「ロケ地探偵」は62年東宝作品、豊田四郎監督「如何なる星の下に」だった。豊田四郎は「夫婦善哉」「駅前旅館」など文芸作品も多く、この映画も高見順の小説が原作だ。どの映画も、何かといえば「お銚子」がすぐにはこばれてくる。だから映画を見終わった後は日本酒が飲みたくなってくる。この映画は東宝オールスター映画で植木等も出てくる。とても悪い役だ。小林信彦が「日本の喜劇人」の中で植木等に会ったときの第一印象は「色悪」と書いていたような覚えがあるが、まさにそんな感じの役だった。
さて、この連載がある「イッツコムマガジン」は来月号からリニューアルされるようで、いままでお世話になっていたデザイナーの西植さんともお別れになった。ありがとうございました。「ロケ地探偵」は存続ということなのでひと安心していたのだが、なかなか次号の連絡がない。このブログを書いている途中に、やっと連絡が来た。「新しいデザイナーさんより、別のデザイン案を提案され」たようで私は今回で終わりということが今わかった。(イラストレーターを替えてこの連載は続く。)複雑な心境でこのブログをしたためているわけです。自分でもピッタリだと思ってたんだけど。担当の平井さんもピッタリだと言ってくれてました。今までありがとうございました。しかし、世の中どうなっとんね〜ん!
5月1日発売の新潮文庫、角岡伸彦著「ホルモン奉行」のカバーを描きました。ホルモンが食べられて来た背景を語り、BSE騒動に憤り、日本各地、果ては米国、韓国など海外にも調査を敢行したホルモン奉行、角岡伸彦さんのルポルタージュです。ホルモン食文化の奥深さと多様さ、まずおいしさに感動することが理解を深める第一歩、知られざるホルモンの世界へようこそ!クリックすれば画像もクッキリ!
さて今度は、絵の制作意図を解説しましょう。ホルモン奉行は単なるグルメではない。ホルモンの奥にある文化もふくめて食べる、つまり味わっている表情にしなければならない。どうですか?なかなかいい顔でしょ?この際、箸が曲がってるなど気にしない、気にしない。奉行の顔に差す夕日は、味わうことの余韻をさらにひろげています。奉行と反対に牛は、それどころじゃないって顔をしている。自らの運命を予感しているのでしょう。夕日とそれに染まった空の色は、命を食べて命をつなぐことへの祈りを表し、なおかつこの色彩から、ホルモンの匂いが漂ってくるように狙って描きました。
読売ADの「ojo」で連載していた「通じ合うチカラ」が終わったのでそのカットをまとめて載せてみます。「ojo」と書いて「オッホ」と読みます。「オジョ」じゃありませんよ。でも普通読めない気がしますが。クリックするときれいで大きな画像になります。
話は変わりますが、自分はイラストレーターとして、相撲の番付で言うなら、どの辺りにいるのか考えると、ずばり「幕下」でしょう。おや、今日はめずらしく弱気な、謙虚な、などと思っている友達の顔が思い浮かびますが、これは謙虚でも何でもなく、むしろ思い上がっているかもしれません。
前にNHKの「落語入門」みたいな感じの番組で、ヨネスケと小遊三がこんなことを言ってました。「落語の真打ち、ってのはお相撲さんでいう幕下なんだよね。」と。幕下は序の口、序二段、三段目、の次の階級で、その上には十両、幕内とあり、お給料がもらえるのは十両からです。しかし、強い強い学生横綱でも幕下から始めるのであり、また幕内、十両から下がって来た力士たちもいます。その点で幕下の層は厚く、力士として一人前でなければつとまらない番付なのです。真打ちになるということは落語家として一人前、でもほんとの勝負はこれから、という事だったんですね。テレビなんかで見てると、真打ちはとてもエラい感じがしてましたが。
白鵬は三段目のころから将来横綱になるかもしれない、と言われていました。朝青龍は「白鵬はヒザが大きい」という独特の表現でその素質を見抜いていました。私も白鵬のように番付を駆け上がりたいところですが、なかなかそうはいきません。あははははっー。