「小説現代」の今月号読み切り小説、佐藤多佳子さんの『三振の記憶』の扉絵と中面の挿絵です。
現代ものの小説の挿絵はいつも出来上がるまでの時間が読めないんだよなー。連載だと毎回そう悩まないと思うんだけど、読み切りの現代ものは特に悩む。今回も扉絵は5パターンくらい構図を作ってみて、タッチも2、3パターン試した。時代ものの場合は、読み切りでもあまり悩まずに描ける。描き上がるまでの時間も読める。
この違いはなんでしょう?
恥ずかしながら時代考証は別段一生懸命やっていない。だいたいの時代の雰囲気、例えば、江戸時代だったら前期か中期か幕末かくらいは気にするけど、封建の世の中というのは、身分によって髪型や着物が決まっている。おなじ町人の若者でも、遊び人と実直な人を描き分ける時にはパターンのようなものがある。仕草などもそう。つまり時代劇の演じ分けみたいなもの。
ところが現代ものの小説だと、同じ若者でも個人個人でバラバラだから、そこから考えないと絵が描けない(小説の中に詳しく書いてあれば考えなくてもいいけど)。あと、同じ現代でも10年前と今とでは流行も違うから、そこでも立ち止まる。
あと筆のタッチが強いとなんか渋くなっちゃいすぎとか?いろいろ悩むポイントが多くて時間が読めない。
思いついたところをあげてみたけど、他にも何か理由があるかな?他のみんなはどうなんでしょう。時代ものと現代ものどっちが時間がかかりますか?
今週は自分で考えを深めないで投げ出す形で終わります。
以下は「オール讀物」で連載中の大島真寿美さん『妹背山婦女庭訓 魂結び』の扉絵です。
今売りの『小説現代』は「落語小説特集」。土橋章宏さんの『下町の神様』の挿絵を描いた。
落語のネタのノベライズである。この2枚の絵だけを見て「ああ、あの話か」と思った人は落語通?いや、あまりに有名な話なので通とは言えないのか。リード文には〈年の瀬に、カネを失った男ふたりが「神様」に会う。〉とある。確かに『下町の神様』というネーミングは元ネタの小説版タイトルとしてぴったり。元ネタはもうお分かりですか?……そう三遊亭圓朝作『文七元結』です。
僕はずっと勘違いをしていたのだが、『文七元結』とか『芝浜』のような話を「人情話(噺)」というのかと思っていた。だって人情にグッとくるじゃん。ところがもともとは武家の話の「時代物」に対して、町人の話の「世話物」の、その中でも長〜い演目、例えば『塩原多助一代記』『牡丹燈籠』『真景累ヶ淵』みたいなのを「人情話」と言うようだ。えー!と思ったね。『牡丹燈籠』や『真景累ヶ淵』なんかは怪談噺で、今の感覚で使う「人情」っていう言葉がなかなか当てはまらないから。どっちかっていうと刃傷沙汰の「にんじょう」の方だよ、内容的に。
もっとも広い意味では『文七元結』や『芝浜』も人情話のカテゴリーに含まれるようだし、「人情」を心の動きと捉えれば、何もほろっとさせるだけが人情ではないかもしれない。江戸から現代にかけて言葉の感覚が変わってきているのも面白いと思った。
あ、乏しい僕の落語知識の中からたまたまここにあげた演目は全て三遊亭圓朝の作である。三遊亭圓朝ってすごい人だな。4、5年前に何を思ったか三遊亭圓朝の肖像画を描いて、描いたっきり誰にも見せずに押し入れにしまっていたのを思い出した。久しぶりに出して見たけど、お蔵入りした理由がなんとなく分かる絵だ……。圓朝の後ろにあらわれた幽霊は河鍋暁斎の幽霊画からとった。
なんと三遊亭圓朝(1839年生まれ)は12歳の時(1851年)に歌川国芳の内弟子になっている。河鍋暁斎も同じく国芳の弟子だった。圓朝が弟子入りした時は暁斎はもう20歳だった。暁斎は6歳で国芳に入門し、3年後には国芳の元を離れたので弟子時代の二人に直接の関係はないだろう。しかし圓朝とほとんど同時に国芳に入門した人がいる。月岡芳年だ。入門したのは1年違いの1850年だという。生まれも圓朝と同じく1839年生まれ。この二人の関係を知りたくて正岡容の『小説 圓朝』という本を読んだことがあるけど、どんなことが書いてあったか忘れてしまった。本もすぐに見つからない。またそのうち調べよう。
(佐川氏の証人喚問を聞きながら記す)
マガジンハウスの雑誌『ターザン』で「やっては、いけない!」という特集の絵を描きました。
一部の与党議員のために決裁文書を改ざんするという「やってはいけない」ことが明るみになり、さあ、どうする?どうする?と盛り上がってまいりました。
森友問題の方はだいたいの察しはついてたし、やっぱりね、って感じだけど、貴乃花親方がこれからどこに向かおうとしているのかよくわかりません。親方、職場に戻りましょう。親方には相撲しかないのです。
弟子を長い間部屋に閉じ込めたり、力士会を欠席させたり、親方がそんなことを「やってはいけない」のではないでしょうか。親方なのに無断で職場を休んだり、果ては春場所中はぜんぜん出勤しないなんてことも「やってはいけない」んじゃないかな〜て思います。
いや、でも、私が見ている大相撲と、貴乃花親方の宇宙の中に存在する大相撲はもう別のものなのかもしれません。親方は相撲道を極めると宇宙の真理もわかると思ってやってらっしゃるのだと思います。いつか親方を理解してくれる生命体が宇宙から迎えに来て、親方は金色に輝くUFOに乗り、全宇宙大相撲の土俵に上がるのだと思います。
明日に迫った確定申告。どうしても今日中に「やらなければいけない」ということで、ブログの更新はあっさり目で終わります。それではみなさんごきげんよう。