伊野孝行のブログ

倫敦の旅、その1

ロンドンに着いて,明けて次の日、王立芸術院に「WILD THING」と題されたギル、エプスタイン、ブジェスカによる彫刻の展示を観に行きました。ギルについては少し予習をしていきましたが、他の二人については全くの無知。ポスターにはエプスタインの作品が使われていました。これが実際みると度肝を抜く作品でした。まず見ていただきましょう。これが作られたのが20世紀初頭だと聞いてびっくりしませんか?

黒い三脚みたいなロックドリルは既製品を使っています。彫刻に既製品を使うなど当時は理解されなくて、結局作者自身がこわしてしまって、これはレプリカだそうです。こわされた本物の上半身だけが何故か黒く塗られて展示されていました。(このへんの話はKさんに後で説明してもらいました。なんせ英語が全く読めないので…)時代を飛び越えたエプスタインに比べて、ギルの彫刻はいつの時代の作であっても不思議でない、つらぬいた想像魂を感じました。とうの昔からあったといわれたも納得してしまうような。でも何処にもこんな作品はありません。後日、V&Aでもギルは見ましたが,独特の雰囲気に包まれた作品は他の彫刻に混じっても異彩を放っていました。三人のあと一人、ブジェスカはキュビズムの影響下にあると思われる作品でした。当時はこの人が一番時代に乗っていたのかもしれません。ギルとエプスタインに比べるとあまりおもしろくありませんでした。それぞれの時代性というのも、この展示の狙いだったのかどうか、英語がわからないので定かではありませんが、そんなことを思いました。下はギルの作品です。

昼は美術館にあるカフェで食べました。ガイドブックにもおいしいと書かれていたとおり、おいしかったです。トイレの手洗いの水が熱湯に近かった。

午後はテートギャラリーでやっているターナーの企画展を観に行きました。イギリスではミュージアムは博物館で美術館はみなギャラリーと言うそうです。そしておしなべて広い!ターナーは前からスゴい人だと思っていましたが,正直こんなにスゴい人だとは思いませんでした。おっと、その前にテートギャラリーの前で記念撮影。パチリ。

企画展ではターナーの作品とそれに似た誰かの作品が並べて展示されてました。N君の説明によると、先輩,後輩問わず,ターナーが貪欲に挑戦し,消化し吸収し、モノにしていった相手と対に展示されている、ということでした。膨張しつづける宇宙のようなターナー。作品サイズも特大です。かなりの満足を覚えましたが,上の階にはテートの誇るターナーコレクションが、企画展の3倍くらいありました。これを日本で観ることはまず不可能でしょう。ロンドンに来た甲斐がありました。ターナーコレクションの次は、現代美術のコーナーがまだありました。無限に展示室が続くのではないかと思えてきます。ホックニーの絵も見れて良かったですが、ちょっと疲れてきました。もう少し集中力を残しておけば良かったと後悔します。いや、後悔はしません。ターナーの前においては自分などカスのような存在であると気づいたからです。この旅行の目的のゴッホ展もそうでしたが、素晴らしい絵を観るということは、絶望と幸福を同時に味わう体験です。(つづく)

 

 

ゴーギャン展に行った

ゴーギャン展に行ってきた。タヒチには行ったことがないが、たぶんゴーギャンの絵に描かれているようなところではないと思う。このあいだテレビで見たけど、ハワイのようなところだった。誰もが思い描く楽園。しかしゴーギャンの絵を観て楽園だなんて思えない。神話の絵巻をみているようだ。善も悪も生も死も未分化で、友達のように寄り添う。文明開化された自我の中から無意識が覚醒し、ジャングルの奥には自分を投影できる闇がある。それがゴーギャンのタヒチであり、それはまたゴーギャン自身の姿なのだ。印象派の画家達は身近なところでモチーフを見つけている。それが新しかったのだが、ゴーギャンは海を越えてしまった。最後は非業の死を遂げた。ゴッホにしろセザンヌにしろ昔の芸術家の覚悟はすごい。芸術家で最も大切なのは腹をくくることである。美術館の常設展では萬鉄五郎も観れた。ゴーギャンに似てるところがあると思ってたが、実際さっきゴーギャンを観てきたばかりの眼でみると、全然似ていなかった。間近に観ると鼻の穴がでかかった、脇毛もあわせて、これ以上小さくてはいけない必要な大きさである。萬鉄五郎はキュビズムっぽいのも描いてるが、これもちゃんと萬鉄五郎の絵になっている。また他に、木村荘八の大作「新宿駅」が観れて感激であった。木村荘八の描写力は挿絵画家であったことにより鍛えられた面もあると思う。当時の風俗、新宿駅を知る上で写真では映らない雰囲気を知ることができる。単なる画家ではできない芸当である。画像がなくて残念。

 

 

時代物について、その2

(先週からのつづき)当時は若い人で時代物を描こうとする人がほんとに少なかったので「君は変わってるね〜」とよく言われた。まわりの同年代の人をみても、自分だけ違うコースを走っているように思えてライバル意識もなかった。そんな状況にちょっと得意になっていたところもあるだろう。「ゆうぐれ」

昔の挿絵をよく見ていた。木村荘八、小村雪岱、石井鶴三が私のビッグスリーだった。今のイラストレーションの上質な部分はこういうところからも受け継がれている。ちなみに岩田専太郎は好きじゃない。あのセンスは後々、劇画やアニメに流れていくものがある。また、明治の浮世絵、小林清親、井上安治も大好きだ。石井鶴三「大菩薩峠」より(小村雪岱、木村荘八は今でもよく取り上げられるので、石井鶴三を載せてみた)

小林清親「江戸橋夕暮富士」

しかし、その後「チョイス」も落選続き、コンペも仕事も反応はなかった。いつかの自信もどこへやら、いったんそうなると、みんなと違うコースを走っているのも不安に思えはじめ、絵も二転三転してまったく自分を見失ってしまい、楽しまざる日々を送るしかなかった。今にして思えば、やりたいことは間違ってはいないが、どう見せるかの点で力不足だったのだろう。その後は開き直って今のような絵を描くようになった。

しかし、あのまま時代物専門で突き進んでいけばどうなったのだろう。よく時代物専門の人が着物を着て生活をしているのを見たりするが、あれはそうなるのも当然のことだ。そうなってる自分が想像つかないので、どっちにしろ専門にはなってなくて、今みたいなところに落ち着いていると思う。もう専門になる気はないが、得意分野には育てたい。捲土重来を期して、思う存分時代物の仕事がしたいものである。(おわり)

 

 

時代物について、その1

下は12年前に描いた絵。当時はこんな感じの「マゲもの」ばかり描いていた。まだイラストレーションというよりは絵画的気分が濃厚である。なぜこのような絵ばかり描いていたかを、今回は述べてみようと思います。「ひなたぼっこ」

イラストレーションの父は「絵画」であり、母は「デザイン」である。何をどう描けばイラストレーションとして成立するのか、デザインから考えた方が答えは導きやすい。イラストレーションはデザインから分業されたものだから。しかし当時、絵の勉強だけしていた私は、なかなか糸口がつかめなかった。小手先で描いたイラストレーションで仕事は経験済みだったが、この先通用しなくなる予想はついていたので、何かもう少しズッシリとしたものを押し出して行かねばいけないと思っていた。そんな時「時代物」なら目的がはっきりしていて修行するにはいいと思った。それに当時は若手の少ないジャンルで、ここの空き地は狙うしかないと、野心がモリモリ湧いてきた。

ところで、「浮世絵」の世界と、写真に残された幕末の頃のご先祖様の姿がかけはなれていて、最初はどうも頭の中で結びつかなかった。西洋人ジョルジュ・ビゴーの描いたスケッチは、なるほどこうだったろうと、納得がいくが、浮世絵の中の先祖達はかなりデフォルメされている。この洗練された美意識は今の日本人からはだいぶ失われてしまった。江戸時代は「浮世絵」と「写真」と「ビゴー」をミックスしたところにある。そのミックスをする場所は頭の中にしかない。他にもミックスする材料はあるし、調合も各人各様なのだが、本筋は外したくない。アニメ顔の時代物なんて許せないのだ。「時代物」の本筋は何も、浮世絵、日本画系のみにあるあけではない。ビゴーの絵も本筋である。ここにヒントを見いだして、非浮世絵日本画の時代物を描いてみようと思った。ビゴー「東京芸者の一日」より

幕末江戸を訪れた外国人の記述に、日本人は夏はほとんど裸で道を歩いているとあった。まず最初に「裸婦」の時代物を描いてみた。気分はゴーギャンで。これが冒頭に載せた絵だ。この「新しい時代物」の計画は図にあたり、初めて出した「イラストレーション」誌の「チョイス」で一発入選し、特別賞をもらったが、世の中そうはうまくいかなかった…。(次週につづく)

 

 

伊野孝行、愛を歌う。

このあいだ、ふと思い立って25歳の時に作った歌を自宅の風呂場で録音した。ヘッドフォンをして大音量で聴いてみよう!…演奏がヘタクソだけど素人なので許してください。

↓曲名をクリックすると聴けます。

「女の夢」

「あぁ、もう、アモーレ!」

「写ルンです」セピアフィルムで撮った当時の写真。

えをかくせいかつ

藤枝リュウジさんが「日本で一番好きな画家」という谷口幸三郎さんの個展に行ってきました。もちろん僕も大好きです。谷口さんは毎年「お茶の水画廊」で個展をされています。「えをかくせいかつ」というのがずっとテーマになっていて、今回は「わたしの中の私」というサブタイトルです。

「えをかくせいかつ」展はもう30年も続いています。藤枝さんが偶然、谷口さんの絵を見たのも「お茶の水画廊」です。残念ながら街の再開発で、来年で「お茶の水画廊」もここから姿を消すそうです。大正時代に建てられた大きな倉がそのまま画廊になってます。僕が谷口さんと知り合いになったのはここ数年で、「えをかくせいかつ」展を見に来たのも去年、今年そして来年をふくめても3回しかないのです。画廊も場所をかえて存続するかもわからないし、もちろん谷口さんはずっと絵を描き続けていくことは間違いありません。だから肩を落とすことはないですね。しかし谷口さんの絵はほんとに楽しいなー。

谷口さんの絵は楽しいんだけど、僕にはスリリングです。あっという間に出来た絵もあれば、完成されるまでに長い時間がかかった絵もあります。絵っていつ完成するかわからない。それが伝わってきてスリリングなのです。裏返してあったり、切られたり、貼ったり、そんな必死な格闘も最後は楽しい絵になって眼の前にならんでいます。

谷口さんが最近はじめたというブログはこちら