伊野孝行のブログ

最近の「賢人の選択」

UCカード会員情報誌「てんとう虫」とセゾンカード会員情報誌「express」(この二つの雑誌は中身はおんなじ)で泉秀樹さんの「賢人の選択」というコラムに絵をつけています。というわけで、ここ最近の挿絵を。開国する決断に悩む井伊直弼。動揺する御家人たちに大演説する北条政子。江戸城が火事で焼け落ちた後、天守閣など作らなくてもいいと言う、保科正之。三増峠の戦いで天下とりのためにわざと退却する武田信玄。徳川家康に楯突くヘウゲモノの古田織部。

このコラム、タイトルが「賢人の選択」とあるとおり、偉人たちの選択にいたる過程と決断が書かれています。ぼくは高校生のとき、大学の受験科目に「世界史」を選んでしまったために「日本史」の知識に穴のある部分が多いのです。この連載に関する限りその選択はまちがっていたということですね。

閉店屋五郎

人情ものを書かせたら天下一品の原宏一さんの新刊「閉店屋五郎」のカバーを担当しました。打合わせのときのノートを見ると〈現代の寅さん〉〈骨太〉〈エネルギッシュ〉〈主人公+娘〉〈若いころの西田敏行〉とメモしてある。それらのリクエストを全部いれたつもりなのが、このカバーです。文藝春秋より発売。デザインは征矢武さん。筆のタッチを残して描こうとしたのだが、この塗り方はぐずぐず塗りなおしていると、すぐに平坦なマチエールになってしまう。色も画面の上で混ぜるくらいな感じでやったほうがよさそうだ。特に顔は「若い頃の西田敏行」風にしたかったので、それらしくなるまで何回も描きなおす。やっと似たと思ったら、今度は筆のタッチが死んでいる…なんてこともあった。まだまだ研究の余地がありそうだ。

こどものとも5月号

福音館書店の「こどものとも」5月号の絵本として「おべんとうを たべたかった おひさまの はなし」を描きました。本田いづみさんの作。この絵本のめずらしいところは縦にめくって読むところです。というのは、話がすごく上下するからです。てきとうにダイジェストに載っけますが、おじいさんのお弁当をおひさまが食べたいお話。たけのこ掘りにきたおじいさんがおべんとうのつつみを置いたのをみつけたおひさま。おいおい、おじいさんそんなところにおべんとうを置いていっちゃいけないぜ、と思うが、いちいちそんなことをつっこんでいては絵本なんて読めないぜ。お日さまは、春になるときに、みんなを照らしてあげたので、おなかがペコペコなのである。おひさまがおべんとうを食べるのか?おひさまはお腹がへるのか?なんて野暮なことはつっこまない。子供のこころをもって絵本を読もう。いいな〜、おべんとう食べたいな〜、と思うおひさまなのだが、そのまえに、つつみの中身がおべんとうであることがなぜわかったのか?……お天道様はなんでも知っている、と、昔の人はよく言ったもんである。じーっと、じーっとおひさまが見つめると、ポカポカしてきた地面から、それもちょうど、おべんとうのつつみにひっかかる位置からたけのこが生えてきた!すごい!おひさまは、こりゃいいぞ!と思ってさらに照らすと、どんどこたけのこは伸びる。そんなに伸びたら竹になるんじゃないかって思うのは、くだらない大人になった証拠。たけのこのままどんどん伸びる!…さて、おひさまに届くまでは、まだまだ伸びなくてはいけません。このあとどうなるのか!?そしておべんとうを食べ損ねそうな可能性大のおじいさんはどうなる?…それはここでは見せられない(絵本というのは子供が何度も読んでくれろ、と親にせがむものなので、話がすべてわかったところで問題はないようだが、やはり見せないことにしよう)。そしてもうひとつのアナザーストーリー、おじいさんとおばあさんのこともあるのだが、それもここでは触れない。ちなみにおばあさんは、文中には登場しないのだが、ぼくが勝手に登場させた。たけのこの季節ですなぁ。今晩はたけのこご飯にでもしようかな。

伊藤若冲特集

ただいま発売中の「芸術新潮」で伊藤若冲のイラストレーションを描いてます。伊藤若冲は奇想の絵師。それならちょいと奇想のイラストでもいいかな?と…すこしやりすぎた見開きになってしまいました…。みょうちくりんな絵ですが、史実に基づいた場面を描いております。くわしくは「芸術新潮」でご確認を。他にも「若冲絵暦」と題した年表にも7点描いてます。ところで「芸術新潮」以外にもすでに3冊伊藤若冲を特集している雑誌があります。「聚美」「別冊太陽」「Pen」につづいて「芸術新潮」は4番手。なぜこぞって特集をやってるかというと、ちょうどサントリー美術館で「生誕三百年 同い年の天才絵師 若冲と蕪村 」という展覧会をやっているからです。昨日、展覧会を見てきました。月曜の昼過ぎにもかかわらず大盛況。月曜日は他の美術館が休みだから、余計に混んでいたのかも。とにかくスゴイ人気なんですよ、伊藤若冲は。片方の与謝蕪村だって人気はあるはずなんだけど、異常に人気なの、若冲が!伊藤若冲と与謝蕪村が同い年で、しかもお互いものすご〜く近所に住んでいた、という事実を今回はじめて知りました(はっきりと交流をしめす記録はない)。エピソードとして聞くだけなら、「ほう〜、そうなんだ」くらいにとどまるけど、実際に2人の絵を並べて見るのはとてもおもしろかった。僕の中で二人は比べる対象ではなかったのに、この展覧会のおかげで否が応でも比較して見れた。二人はとても対称的。若冲は人物画がとても少ない(ぼくは若冲の人物画はあまり好きじゃない)。蕪村は人物大得意。中国山水や俳諧の世界を楽しそうに遊んでいて、どこまでも広い。

若冲は動植物をこよなく愛する少年だった(子ども時代に昆虫好きだった人に変わった人多し、という説もあり)。いまではテレビの自然ドキュメンタリーなどで、動植物の小世界に、想像以上の色や形のおもしろさ、美しさがあることはみんな目の当たりにしているが、三百年前の若冲の絵はまさにその世界。狭い世界のなかに広がりがある。若冲はちょんまげ姿の日本人など描きたくない、とも言っていたようです。

ぼくも小学5年になるまでは、人間の友だちより、虫や魚と親交をもっていた孤独な子どもだったのですが、「カマキリのカッコ良さにくらべて、人間はなんてカッコ悪いんだろう」とよく思っていました。その気持ちを死ぬまで持っていた若冲はやはりそうとうな変わり者です。

ぼくはその後すっかり宗旨替えして、人間描くの大好き、むしろリアルな昆虫とかメンドクサクて描きたくない大人になりました。若冲の色使いはみなさん知るところですが、それよりも蕪村の色使いが不思議でした。金箔をつかってるわけじゃないのに、画面が光っているように見えるのはこれまでも体験しましたが(照明の影響もあるかもしれない)、隣り合う色の組み合わせや、バックの色の効果、などを見て蕪村はカラリストだなぁと思いました。

世界満腹食べ歩き

今月の小説現代(4月号、下谷二助さんの表紙がスゴい!)から新しくはじまった岡崎大五さんの「世界満腹食べ歩き」に絵を描いています。第一回目は岡崎さんがキューバに行ったときのおはなし。「カストロ存命中にキューバに行くべし」は海外旅行マニアのあいだで数年前からささやかれていたフレーズであるという。いまや地球でのこり少ない社会主義国のキューバへの旅。扉の絵では、キューバの街の雰囲気を伝えたかった。そうするとどうしても〈いわゆるキューバのイメージ〉を合成することにもなる。でも新鮮な絵にしたい。このあたりのコントロールを考えねばならぬ。旅のときの写真をかりるために、担当さんを通じて岡崎大五さんと連絡をとったが、岡崎さんのお人柄にすっかり気を良くしてしまった。連載のはじまりはいつも、うまくいくかどうか不安だ。岡崎さんはぼくのブログの茂田井武の記事を読んでくれたようで、茂田井のことをメールに書いてくださった。茂田井のことを好きな人、というだけで太い精神的なつながりを勝手にいだいてしまう。

茂田井がシベリア急行でパリに向かったこと。日本人倶楽部で皿洗いをしていたときの金子光晴との交流。藤田嗣治とも交流があったと岡崎さんは見ている。連載中にはシベリヤ鉄道にのって、エッセーに書きたい、連載の人気が出たら、取材費をねん出してもらっていっしょに行きましょう、なんて書いてくださるから、気持ちが躍った。

Tシャツ。その他お知らせ

急に春めいてきた。そろそろ亀(クサガメ12歳)が冬眠から目覚める頃だと思って、家の裏の日陰においてあるゴミ箱(ポリバケツに深く水と落ち葉を入れてある亀の寝床)の様子を見に行っていた。

半月ほど前は首をのばしてスヤスヤ眠っている様子だったので、起こさないようそっとしておいた。一週間前にも、のぞいてみたが、同じ姿勢で寝ていた。で、昨日見てみても、同じ姿勢で寝ていた。……ひょっとして…?棒切れでつついてみたら、同じ姿勢のまま水のなかでひっくりかえった。カメキチは死んでしまった…!

冬眠中は仮死状態に近いから、眠ったまま昇天したのだろうか。水の中からとりだして、つついたり、ひっぱったりしたが、もちろん反応はなく、固まっている。どれくらい前に死んだかわからないが、皮膚などは生きているときとかわらないさわり心地であった。ほんとうに死んでいるのか不思議に思うくらいみずみずしい。なきがらは庭に埋めた。飼いはじめたときはゼニガメだったが、20センチくらいに成長したので、ずいぶん大きくなったなぁ、と思いながら穴をひろげていった。

さて、「お知らせ」というのは、亀が死んだことをお知らせしたかったのではない。パソコンに向かって、春ですね、そろそろTシャツが着れる季節ですね、と書こうとして脱線してしまった。お許しあれ。

目白のブックギャラリー〈ポポタム〉でTシャツのグループ展に参加しています。(注:ポポタムは水曜木曜がお休みです)
「妄想ロックフェス2015」はコチラをクリック
「妄想ロックフェス」というように妄想バンドTシャツを作る、ということだったので、架空のバンドを設定しなければいけない。そのへんはTシャツの絵柄を決めてからテキトウにでっちあげておいた。タヌキがやってるバンドにしてCDケースの中には葉っぱを入れておきました。

「BIBIRI TANUKI は狸が化けてやっているとも、狸にばかされた人間がやっているとも言われるが、ほんとうのところはわかっていない。
「UOSUOM」というCDを出しているが、プレーヤーに入れても音が出ず、おかしく思ってイジェクトボタンをおしたら葉っぱがでてきた、という話もある。」

Tシャツは、サイズはもちろん、布の色、インクの色たくさんの中から選べます。ぜひ、この機会にTシャツをお買い求めいただきたく、一筆啓上申し上げた次第。北尾トロさんがライター仲間とつくっている「レポ」で連載がはじまりました。「頭にちょんまげをのっけてればいいってもんではない」というタイトルのエッセイです。でも「レポ」は次の20号が最終号なので2回だけの連載です。そのタイミングで連載がはじまるのもすごいが…。今号の表4「山田うどん広告」は石野てん子さんです。石野てん子さんって◯◯さんのことですけどね。会社が慎重社なだけに、そのへんは慎重なんです。(わからない人にはなんのことかわからないとおもいますけど)「江戸アートナビ」が更新されました。こちらも今回が最終回。

ブランドの影にゴーストライターあり?の巻

昔は工房で絵を描いていたわけですから、誰々の作ということ自体決めるのは難しいし、サインと判子だけ先生で、あとは弟子が描いている場合だってあったでしょう。酒井抱一の弟子には鈴木其一がいたわけですから、弟子と言っても筆が劣るわけではない。鈴木其一が描いた絵に、酒井抱一のサインと判子が入っているという「ニセモノ」もあるかもしれない。そういうものはニセモノとは言わないかもしれないが、「伝・酒井抱一」ということになるのだろうか。江戸時代にはニセモノを専門につくる人も多数いて、今ではあまり知られていないような絵描きの絵も、かならずニセモノがあるという。

たとえば、ある有名が絵師が亡くなるとする。どこからか手をまわして、絵師の判子を手に入れれば、判子はホンモノのニセモノの絵が仕上がる。…そのようなわけで、安村先生も「ホンモノかニセモノかほんとうのところは誰にもわからない。自分がいいと思ったら、それでいい」というようなことをおっしゃっていた。ぼくもそう思う。