伊野孝行のブログ

おおきいねこちいさいねこ

「教育画劇」から発売された紙芝居に絵を描いております。「おおきいねこちいさいねこ」というお話です。もともとこのお話は民話としてあるそうです。紙芝居の絵ははじめてでしたが、いろいろ紙芝居ならではのルールもあるんですね。対象年齢もありますが、離れて見るからそれなりの大きさが必要だったり、絵を抜くときの方向が決まっているので歩く方向も決まっていたり。担当の三原さんはとても丁寧に仕事をすすめてくださったので、私のような初心者でもなんとか完成にたどりつきました。でも、課題も感じました。またやってみたいです。ちなみに「画劇」というのは紙芝居の意味です。おなかをすかせたおおきいねことちいさいねこがおにぎりをみてうらやましがっているところ。猫がおにぎり食べるかって?それをいっちゃぁおしまいよ。あーおなかへった…とあてもなくあるくニ匹の猫。おにぎりを食べるくらいなんだから二足歩行でもいけるはずだ。さっきのシーンとの間にもう一枚絵があるのだが、ニ匹は思わぬ方法でおにぎりを手に入れたのであった。しかしおおきいねこにちいさいおにぎり、ちいさいねこにおおきいおにぎり、という神の不公平…。おたがい譲らぬ二匹。あげくの果てに喧嘩!二足歩行していた猫がいきなり猫らしくフンギャーッ!している図。そんなニ匹に猿が救いの手を差しのばす。猿はある方法でわければよかろうと提案してくる。さてその方法とは?そしてニ匹の猫はすきっ腹をホカホカのおにぎりで満たすことは出来るのか!?お話は後半に移りますが、ちょうど時間となりました。またのご縁とおあずかり〜。(全部載せると営業妨害になっちゃうのでどこかの幼稚園でみてください)

惜別録/TIS夜店

運動音痴なので球技は大の苦手なのだが、走るのは得意だった。だから運動会は好き。大嫌いな球技がないし、大得意の短距離が走れたから。ふだんはジッとしているのに運動会のときだけ、急にサササっと走るのでクラスメートは驚く。ガニマタでダッシュする僕を見て、ふだんほとんどしゃべったことのない男子が近づいてきてこう言った。「伊野くん、ゴキブリみたいだね…。」
さて、ナンバーで連載中の安部珠樹さんの「スポーツ惜別録」。引退した選手や亡くなった選手への惜別の情がここにはある。トウカイテイオーが死んだ。「貴公子」と呼ばれたイケメン。馬にイケメンなんてあるのかと思う方は検索してみてください。馬にも髪型があることを発見。散髪してたとか。安部さんはトウカイテイオーを貴種流離譚の源義経にたとえていたのでこんな絵に。中畑の引退…ではなく、ソフトバンクの斉藤和巳投手。いつも絶好調とはいえぬ野球人生だったが子どもの頃のあこがれは、絶好調男の中畑。ちなみに斉藤投手の奥さんはタレントのスザンヌ。バレーの竹下選手、大友選手。コラムは安藤美姫の出産からはじまっていました。出産、育児は女子選手にとって重要な問題。即物的に「ママさんバレー」競馬の柴崎勇調教師。騎手でもあった。「決してトップジョッキーとはいえなかったが渋い腕を持っていた騎手と、クセはたっぷりあるが、力を開花させてくれる騎手を待っていた馬の幸福な結びつきがあった」ということでイヒヒ…と当人同士、お互い背中越しでもわかり合う仲という絵にしてみました。ちなみに「スポーツ惜別録」でいまのところ一番登場回数が多いスポーツは野球でもなくサッカーでもなく競馬。ご存知、高見盛。ぼくが唯一くわしい「相撲」はこれで2回目。前回は大鵬だった。相撲メンコ風にしたかったのでこんな絵。断髪式です。古いプロ野球選手の尾崎行雄さんです。「怪童」と呼ばれ、「記録よりも記憶」タイプの選手でオールドファンに愛されていました。絵は試合の前はカレーを二皿たいらげるというエピソードから。ベッカムの引退。実はこの回は旅行に行ってたため安部さんの原稿を読まずに描いた。なのでこんなエピソードがあるわけないけど…。萩原 宏久トレーナー。ジャイアンツ時代は一軍チーフトレーナーとして在籍、江川卓、桑田真澄、松井秀喜を始めとする選手たちのトレーナーだった。長嶋も信頼し、みんなからも「ハギさん、ハギさん」と親しまれた。まさに指圧の心は母心ならぬ野球の心である。プロレスラー小橋健太の引退。引退して、まるでサイコロみたいな体に着たスーツが似合わない!しかし、それこそ最高のプロレスラーであった証。おつかれさまでした!

ここで告知をひとつ。只今リクルートG8で開催中のTIS「歌舞伎イラストレーション」ですが、来る21日土曜日5:30p.m.-8:40p.m. 「TIS夜店」をやります。入場無料!今年はTISも25周年ということで、パッと盛り上がりましょう〜!ということで出品作家が売子になって1日限定の夜店を開店いたします。レアなグッズや本など、作家本人からご購入いただけます。お気軽にご来場ください。ファン感謝デーということで、たとえば、イラストレーターの直筆うちわが500円で買えたり、南伸坊さんをはじめ委員が制作した「点取り占い」が60種あって一回10円でひけます。安っ!今どき10円で買えるものはここにしかない!小銭をにぎりしめて土曜はG8に遊びに行こう!25周年企画TIS夜店はこちら!

 

 

偉人たちとの夏

絶対的存在感で君臨していた「夏」もどうやら過ぎ去ってしまったようだ。「もう〜、たえられない〜っ」と喘いでいたけど、今はチトさみしい。

あ、さて。

今週はこの夏描いた偉人の似顔絵をただ載せておわります。まずは「芸術新潮」の丹下健三特集で描いた似顔絵。丹下健三
おつぎは「日経おとなのOFF」で描いた「仏教特集 日本の名僧」と「書道特集 日本の書家」と、あとなぜか、秦の始皇帝とアショーカ王の似顔絵。空海法然一遍親鸞道元蓮如重源栄西…以上、日本の名僧松花堂昭乗本阿弥光悦烏丸光弘…以上、日本の書家秦の始皇帝アショーカ王

 

 

俳句と俳画をやってみた

一流のイラストレーターの条件とは何か……?それは面白い俳句をひねることができるかどうかだ!…と断言することはできないが、諸先輩方はなかなかうまい俳句を詠んだりする。自分はまったくの門外漢で今まで俳句を作ったこともないけれど、「良い俳句」は「良いイラストレーション」に通じるところ多し、と前から感じてはいた。事象の中から自分の言いたいことをまとめる際、ある部分に焦点を当て、ある部分は省く、というのはイラストレーションに限らずどんな仕事にも必要なことであるけれど、俳句ってのはまったくその作業だし、単にまとまればいいというもんでもない。たとえば正岡子規の「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」は一読、なんの変哲もない句のように思えるが「かきくえばかねがなるなりほうりゅうじ」と声に出してみると句の前半はカ行音、途中でナ音がまじり合い、ラ行音へと移っていく楽しいリズムになっていて感動する。 後藤夜半の写生句「滝の上に水現れて落ちにけり」は滝から落ちる水がいったんスローモーションになって、そしてスッと下に落ちていく様子を何度も何度もくり返して想像させる。こんなことができる詩は俳句だけだろうなぁ。うむむ〜面白いなぁ。(たまたま知ってる二つの句です。他に全然知識ありません。あしからず)で、先日、とある集まりで俳人の高山れおなさんを講師にお招きし、句会をし、俳句に絵をつけたりなんぞした。

俳句に絵をつける。べつにこれと決まったルールがあるわけでないが「俳画」といった場合には、俳句への「匂いづけ」であることがのぞましいようです。以前から俳句に絵をつけるのって面白そうだなと思っていて、その頃たまたま読んでいた正岡子規の文章にこういうのがあった。ようするに俳句や詩に書いてあることをそのまんま絵にしてもおもしろくない、ちゅうことなんですが、是非読んでみてください。絵と文章の関係についてもあてはまるところがあるのでイラストレーションの仕事でも応用できる。秘技ですぜ。クリックすると拡大しますんで。
さて実践、さっそく有名な俳句に絵をつけてみることにする。
「夏河を越すうれしさよ手に草履」与謝蕪村
さきほどの正岡子規の文章は頭にあったのだが、おもいっきりそのまんま絵にしてしまった。二人で川を越してるとは詠んでないのでそこは勝手に描きましたが。

「やはらかに人わけゆくや勝相撲」 高井几薫
またまたそのまんま。この句だったら相撲取りの後ろ姿を描いた方がよかったかも。でも難しいですね。後ろ姿でいい感じ出すのは。

「初恋や燈籠によする顔と顔」 炭 太祗
だから…なんでそのまま描いちゃうわけ?自分!でもなんか描きたかったんです。それに別に必ずしも外さなくてもいいわけだし(…と言い訳じみてくる)

「野ざらしを心に風のしむ身かな」 松尾芭蕉

お?ちょっといつもの調子が出てきたか?でもこれじゃ、俳画というより「俳漫画」かも。「野ざらし」ってのは白骨化した人間の骨のことです。

「夏草に汽缶車の車輪来て止まる」 山口誓子

近代の俳句になってくると、ずらして描くのがなんとかできるようになった。江戸時代の俳句は、ずらして描く方法が思いつかなかった。

「ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき」  桂 信子

いつもの自分らしい絵ではないが、そんなことはどうでもいい。狙いとしてはあえて「乳房」を描かず、でも存在は感じさせる。全体的にものうげな感じにしたかった。

「Aランチアイスコーヒー付けますか」 稲畑廣太郎

日常会話がそのまま俳句になっている。ここまでくるとべつにどんな絵だって合うといえば合う。自分的にはこれが一番うまくいったかなと思う。(ちなみに現代においては「俳画」という文化はほぼすたれているのである。これはチャーンス!)

「話しかけ聞きかえされる暑さかな」伊野孝行

こっぱずかしい自分の俳句。名句とならんで載せるのはおこがましいにもほどがあるが、一応句会もやってそのときに作ったのでオマケに描きました。わたしは滑舌悪く、声がこもり、声量がない、の三重苦なので聞き取りづらいらしく、よく聞きかえされる。「はぁ?」とか言われるとこっちもやるせなくなっちゃうぜ。そんな気持を詠んでみたのです。ちなみに一つの俳句のなかに二つ動詞が入るのはあまりいいことではないようだ。一流イラストレーターへの道はまだまだ遠いぜ!

ウィーンの旅、その3

外国に行って絵ばかり見るのもいいけど、なんといってもここは音楽の都、ウィーン。
◯押し売りに負ける
「カールス教会」へ行く。イスラムのミナレットのような塔が二つあるバロック建築。塔にはねじれた模様がついている。教会の前で待ちかまえていた美女(ミラさん。スペイン人。チケットエージェンシーの仕事)に「ウィーン楽友協会」でのモーツアルトコンサートのチケットを買わされる。このコンサートはモーツァルト時代の扮装をした楽士がモーツァルトの曲を演奏するもの。モロ100%観光客向け。といってもけっこう高額。旅の引率者Kさんが「楽友協会」の建物の内部の「黄金のホール」を見たいというのもあり、押し売りに負ける。次の日に観に行ったら日本人中国人韓国人近隣諸国の人達…観光客のみなさん全員集合〜!美術館は歩きながら見るから眠くならないが、座って音楽を聴いてるとつい睡魔に襲われる。スゴく必死なスペイン美人のミラさんの勧誘をうける一行。ぼくらは「どうするのかな〜?」と静観してたらミラさんは我々をさして「クワイエットチルドレン(静かな子どもたち)〜!」と言っていた。あきらかに僕はミラさんより年上なのだが…。これはウィキペディアから持ってきた写真だが、ここが「黄金のホール」だ。ここにいる紳士淑女を、全員普段着の観光客におきかえて、楽士を3分の1に減らしてモーツアルトの扮装をして演奏しているところを想像してください。

◯これが本場のオペラだ!
カジュアルな演奏会だけでなくちゃんとしたのも観ましたよ。国立オペラ座。幕はホックニーの絵であった。いろんなアーチストが毎年担当しているらしい。「ロミオとジュリエット」。3大テノールのプラシド・ドミンゴが演出&指揮。フランス語のオペラなので前の席の背についたモニターで英語訳が出る。ま、英語もわからんのでよく見なかったが。演出は「ウェストサイドストーリー」のような現代劇になっていた。歌い手は倒れた姿勢でもガンガンに歌う。舞台から伝わる圧力がスゴい。ブ厚い。それを包み込むオペラ座の重厚な空間。終わったあとの客席の歓声がまたすごい。ロックコンサートとはちがう感じ。後ろの立ち見席のハゲの小男の八百屋のおやじみたいなおじさんが感激してブラボーを叫んでいた。ブラボータイムがまた長い!そんでもって最初から最後まで暑い〜!ジャケットを着ていったが結局脱いで、さらにシャツの第3ボタンまであけて、汗をだらだらかきながら見た。でもオペラ好きの観客たちは暑さなんてぜんぜん気にしてなくて舞台に集中していた。◯倍返しのチャンス到来
「カールス教会」でも高所恐怖症ということでてっぺんまでのぼらなかったKさんだが、ウィーンのシンボル「シュテファン寺院」ではついエレベーターで登ってしまった(高さは100メートルくらいある?)。いつものアグレッシブな性格もどこへやら、心細そうに金網にしがみついていらしたので、いつもの「倍返し」でちょっかいを出そうとしたが、地上に降りたら「百倍返し」されると怖いのでやめた。◯食事
どこもおいしいけど、アルベルティーナの下の居酒屋「アウグスティーナケラー」が素晴らしい。ガイドブックにも載ってるお店だけど、味良し、サービス良し、雰囲気良し。旅行中2回行った。ここにはアコーディオン弾きがいて、彼の知ってる日本の歌「さくらさくら」を弾いてくれた。「さあ、歌いましょう」と言うので、つい乗り気になって歌おうとおもったが恥ずかしかったので、歌うフリをして口だけパクパクあけていたら、それをみたウェイターのおじさんが「彼はクレイジーだね」と言っていた。ウィーンの旅、終わり。

 

 

ウィーンの旅、その2

「セセション」にある「ベートーベンフリーズの」一部「セセション」
◯セセションでクリムトを尊敬しなおす
クリムトは画家として必要なものをすべてもっている。通俗性をもっている。俗受けする才能は実は一番難しいものではないか、と私などは思ってしまう。あぁ、もっと俗受けしたいものである。

才能というのは、何か欠落した部分があって、それを補うために工夫したり開き直ったりすることで形を現してくるものだけど、若い時から「どうだ!うまいだろ?」な絵が描けたクリムトにも、欠落があったはずである。それは何か?うますぎることか?まあ、よく知らないけど、クリムトは技術で絵の表面を覆い尽くしても仕方ない、と早々に気づいて、新しい造形をつくる一大事業に精を出したと思う。クリムトを初代会長とする「ウィーン分離派」はそれまでの保守的な芸術にアンチを唱えて集まった集団で「せセッション館」は彼らの展示施設である。アールヌーボーとモダンが混じり合った奇妙で美しい建築だ。一時期行方不明とされていたクリムトの『ベートーヴェン・フリーズ』も今はここの壁画となっている。地のものはその土地で味わうときにこそ、眼だけではなく、五感で直接味わうことができる。もちろん絵だから匂いも味も音もしないが、味わったと断言していいだろう。時代は変わってしまったが、磁場はまぎれなくそこにあり、我々を強くひきつける。『ベートーヴェン・フリーズ』の一室で「ああ、なんてクリムトはすごい人なんだ!」と大尊敬したのである。壁画に描かれた人間や動物、模様をしげしげ観察しているとクリムトのねらいの秘密が徐々に解明されてきて飽きない。かたちのひとつ、角度のひとつとっても計算され尽くしているのだ。

◯ウィーンの3分間写真は3分ではなく5分かかる。

前回のウィーン日記が後ろ姿ばかりで楽しくなさそうとの感想もあったので、無理矢理楽しそうな写真でものせておくか…。顔をさらすのは嫌いなのだが…。この3分間写真はたぶん証明写真に使うモノではなさそうだ。味わいがありすぎる。唐突にシャッターがきられてあわてた。しかし待ち時間5分て長いな〜。

◯ゴッホの意外な活用術ベルヴェデーレ美術館は元宮殿で「ベルヴェデーレ」とは良い眺めの意味である。ここでもクリムトを目玉としていろいろな絵が楽しめる。ちなみにここはゴッホの風景画を1点所有しており、それが意外なところに展示されていてうれしかった。クリムトの風景画の部屋にゴッホが1点混じって展示されていたのだ。クリムトの風景画はモネに似ているのだが、こうしてみるとゴッホの影響もあるような気がしてくる。ゴッホの絵はクリムトの部屋にとてもマッチしていた。ぼくはゴッホはきっと「表現主義」の部屋にあるにちがいないと思っていたのだ。一般にはゴッホは表現主義に影響を与えたとされているわけだが、画家にとっての「主義」というのはあっちへ行ったりこっちに行ったり自由に行き来できるものであって、共産主義、自由主義みたいに相いれないものではない。
「地のものはその土地で味わう」の第2弾はさきほどの「表現主義」の絵。たいへんおもしろく感じられた。退屈させないんだなぁ。定規で線をかいたような、筆後をのこさないような、クールな描き方の絵もいいと思うんだけど、描いていて楽しいのはそりゃこっちでしょ。「描いてる」ってカンジ。このカンジは絵でしか表せないんだもの。表現主義の絵を印刷物で見てるときは、中途半端な印象を受けたけど、どうして生で見ると、描き方にしろテーマにしろいろんな意味でギリギリをねらっているのがわかる。なんで中途半端だなんて思っていたのだろう?空気感とかやっぱこのへんの土地の感じがする。ちょっとひんやり暗めなのも気持いい。「エミール・ノルデ」「キルヒナー」「オスカー・ココシュカ」この絵いったいなんなの?ウーパールーパーまでいるよ。

◯ウィーンで太田さんに会う。
太田雅公さんはセツ時代の友達。年は5こくらい上なんだけど、入学がぼくより半年遅かったので、気がねなくなれなれしく接している。そんな太田さんがリンツに居るということをfacebookで知った。ちなみに同部屋のデザイナー兼イラストレーターの浅妻くんもセツの仲間。「太田さん、こっちに来ない?会おうよ!」ということでリンツから来てくれた。でもウィーンとリンツは東京と長野の松本くらい離れている。そんなこともいとわず来てくれた太田さん。実に久しぶり。太田さんは舞台衣装家だ。宮本亜門氏が新しく出来た劇場のためにオペラ『魔笛』を演出する、その衣装デザインのために7月まで2ケ月滞在する。夕食でベトナム料理をみんなで食べた。そのときに太田さんが武蔵美の教授!になってたことを知り驚く。あの太田さんが大学の教授かよ!でもひさしぶりに太田さんと話して刺激になった。とにかくこの人はいいものをつくるためならすべてを厭わない。自腹だって切っちゃう。そういえばセツ時代に一年に一度学校をあげての展覧会があったんだけど、そこで一等になると長沢節センセイの絵がもらえる。なので生徒ははりきって絵を描いて搬入するんだけどなかなか審査がきびしくてそう簡単には一等になれない。僕もがんばって何枚も出したんだけど、太田さんは B全パネルで12枚くらい搬入してて、あ〜、負けたと思った、そして見事一等をとった。そのころのままの熱量で今も生きているのがすごいね。太田さんは僕たちの部屋に泊まっていった。3人で話しているとここがウィーンだなんて思えない。新宿かどこかのようだ。太田さんはどこでも寝れると言ってソファでヒザをまるめて寝ていた。そして早朝、ホテルを去って行った。さようなら太田さん。太田さんいいこと言ってます。対談 池内博之 ×太田雅公『欲望という名の電車』について、それぞれの視点。「ハイ・ファッション」より。
ウィーンの旅、その2おしまい。あと一回くらいあるかも。